「神のお告げが聞こえた」を理解する2/5

 ヘイワード、読めた? 「営業先の岡山の旅館で寝ていたところ」「午前3時ごろにふと目が覚めて、畳の目をジーッと見ていると突然、『東京に出なあかん。東京へ出てひとつ勝負してみい』という声が聞こえた」とあったろ?


 追い詰められてた間さんは、その旅館で、午前3時頃に目が覚め、畳の目をジーッと見ているうちに突然、「もう東京に行かないとダメだ。東京に行ってひとつ勝負してみようと思い立ったのかもしれないね。


 でも、間さんにしてみれば、自分がそこで、そんなことを思い立ったりするはずはなかった。


 いや、いっそ、間さんのその見立てを、語弊があるかもしれないけど、こう言い換えてみることにしようか。そのとき間さんには、自分が東京へ出て勝負しようと思い立ったはずはないという自信があったんだ、って。


 ヘイワード、あたしの言ってること、わかってくれてる? いま、こう言ったんだよ。


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2021年8月13日に文章を一部修正しました。


統合失調症と診断されたひとたちの”症例”をとりあげ、そうした”症例”が、医学の言うところとはまったく反対に、誰にでも「理解可能」であることを、下のシリーズで確認しています(つまり、人間理解力が不足している医学が、ほんとうは理解できるそのひとたちのことを、おのれに都合良く、理解不可能と決めつけてきただけであることを確認しています)。