「じゃあ、ほぼ決まりだな。そしたら、何曜日なら都合がいい? 俺もまぁ、そこそこ忙しいけど、極力お前たちに合わせるから」

 ツッタカが2人にそれぞれ4サイズのチラシを突き出した。

 

「なんだこれ」

 さっきの楽器店でやっている音楽教室の1日体験だった。また、あの店がらみか、と、やっと落ち着いた気持ちが再びざわついてくる。

 

「講師がついて軽く演奏するんだよ。随時開催だから他の人もいないし、うってつけだ

 確かにこれだけを切り離して見れば、ずぶの素人にはありがたい入門体験だ。

 

『楽しく楽器に触れてみよう!』か、けど、楽しませた後にセールスだろう?

 シュウジが置かれたままのチラシに目を落として言った。

 

「そりゃ、向こうも商売だから多少はあるだろうけど、教室はまた別だよ。こんなの初期投資だけで、あとは講師の人件費だけの割りのいい商売さ。講師だって非常勤だろうし、人さえ来ればいいんだから、逆に変な商売っ気出して生徒に疎まれるのを避けるくらいさ」

 

「お前、詳しいな。通ってたのか

 シュウジが訊く。

 

「ないよ。でも、そんなもんだろ、大体想像つくよ。時間だってそんなに長くないんだしいろはの手ほどきだけ受ければいいんだよ。なんやかや言って来たら、断ればいいだけじゃん」

 

「ま、確かに」

 ナカジも頷く。考えてみれ、ツグミちゃんの出現がなかったら、そこまで警戒してなかったかもしれない

 

「ヨシイがいたらなぁ」思わず口から出た。

 

……ヨシイがいたって、昔みたいに俺たちの面倒を見るのは無理だよ」

 シュウジが言った。

 

 実際、独学となると、まだ探してもいない教本に頼るしかなく、いろんな意味で心細い。

 

「本格的な教室となると、高いんだろうな……」

 ナカジがチラシを手に取って、笑顔でギターを抱える講師の写真を眺めながらつぶやいた。

 

月の小遣いは保奈美たちが出戻ってきたことで2万円から1万円に減されていた。会社員時代から出張費や特別手当などを密かに貯めていた加代子に内緒の口座があるのだが、これから楽器も買うし、さらに出費を増やすような目立つことは絶対に避けなければならなかった

 

「そう思うだろう、ナカジ!」

 待ってましたとばかりにツッタカがもう1枚のチラシを差し出した。

 

「個人授業だと割高だけど、他の人もいるグループレッスンなら大丈夫! それにナカジ、ラッキーだよ。今、ちょうどオータムキャンペーンの真最中でさ、今なら入会費の1万円タダだし、1レッスン4,500円のところが何と3,000円! 

 

これ、今申し込めば、っとこの値段なんだよ。さらに、月のレッスン数を決めて3カ月以上まとめて前払いすれ“おまとめ割引”も効いて、まとめた月数分だけさらに割安になるんだ。

 

例えば月2回のコースを半年まとめる月額6,000円のところがその半年間はたったの5,000円になるんだ! 安いだろう! 元値が9,000円だから4,000円も安くなるんだよ! 

 

毎週じゃ家のこともあるし、練習も大変だろっ、落ち着いて練習しながら、プロの指導がたった5,000円で月に2回も受けられるんだからもう、ぴったり、俺たち向けだよな!」

 

 詐欺と紙一重なのは何なのだろう。夢中で喋るツッタカを眺めながらナカジは思った。それ以上に不思議なのが、それを厭わずに受け入れている俺たちの感覚だ。

 

掘れば深い理由もあるだろうが、理屈じゃない。そら豆やザーサイも旨いわけだし。

 

「ま、とりあえずは1日教室だ。いつぐらいが都合いい?」

 そうだな…… とナカジが薄い手帳、シュウジは携帯を開く

 

月、水、金…… あと土曜の午後なら大概大丈夫だ」

 ナカジが言った。

 

「それなら、俺も大丈夫だ」

 シュウジが同意する。

 

「火曜はだめか。実は火曜だったら俺は確実に休みなんだ」

 残念そうにツッタカが言った。

 

「火曜は……、ま、昼過ぎならいいかな」

 ナカジが言った

「午前中は何やってるの?」

 シュウジが訊いた。

 

マルシェ・マーケット売り出しだ」

 

「そりゃ、大した大仕事だな」ツッタカが嫌味ったらしく言った。「俺の仕事よりスーパーの特売か!」

 

まとめ買いの方が安上がりなんだって。ドライバー兼荷物持ちだからしょうがないんだよ

 言い訳のようにナカジが言う。

 

「と言いながら、お前の方がチラシとか見てそうだな」

 シュウジがからかうように言った。

 

「家のは安いと何でも買い込むんだ、計画ってもんがないんだな。いくら安くたって買い過ぎたら無駄だししまう場所に困ると俺に押し付けてくだから。俺が事前に確認して計画を立てなきゃなんないんだ

 

 なんだ当りシュウジとツッタカは思った。ナカジはあくまで大真面目だ。きっと仕事に対峙するときと同じ、その表情でレジに並ぶのだろう。

 

「じゃ、火曜の午後ならいいんだな。シュウジは大丈夫か?」

 ツッタカがシュウジに向いて訊いた。

 

「うん。まあ、大丈夫だ」にっこりと笑ってシュウジが答えた。

 

 意味ありげに携帯なんか見てるけど、はなから予定なんか無いんじゃないか、という言葉を飲み込んでツッタカは2人にチラシを差し出した。

 

「じゃ、善は急げだ。ここに名前と連絡先を書いてくれ」

 

 申し込み欄を見2人は再び怪訝な顔をツッタカに向けたの担当者欄に「沼野」と印がある

 

「だから、さっきも言ったように深い意味はないって。たまたま、キャンペーン期間で、彼女の成績がちょっとよくなるっていうだけの話だよ」

 ツッタカはどうしてそんなに訝しく思うのか理解できないといった表情で言った。

 

「やれやれ」

 ナカジとシュウジは呆れながらも名前と連絡先を記入した。

 

 


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