後藤青年と会ってから3日後、ツッタカの休みを待って午前中のマクドナルドに集合し、第1回目の緊急作戦会議が開かれた。
突如課された3週間後のライブというミッションを遂行するには、何らかの対策が必要なのは3人ともしっかりと理解していた。
「後藤君から、すぐにでも曲目を教えて欲しいって、来てるんだわ。なんでも前もってプログラムを作ったり、入居者さんに告知したりするんだって」
2人からの非難を避けるため、ナカジたちと同じ被害者然としてツッタカが言った。スティック砂糖を2本同時にコーヒーに流し込んで、細いマドラーでぐるぐるかき混ぜている。
体験レッスンからかれこれ3カ月。最初のカラオケボックスから2月半、3人そろう練習は基本的に週に1回で、その日誰かの都合が悪くなれば変更することなく、パスしていた。
ボランティアとはいえ、人前で披露するとなると、さすがに現状のままでは不可能だった。何しろ、レパートリーが2曲しかない。しかもうち1曲は未完成だ。
「今から? 本番は3週間後だろ、早すぎないか? 種明かししちゃったらつまらないだろ」
シュウジの言葉をそうだよなと聞きながらナカジはコーヒーの蓋を取って一口啜った。熱っと顔をしかめて外した蓋とカップを並べてテーブルに置いた。
そもそもどう作戦話に加わったらいいかも分からない。肚の中ではツッタカをどついているが。
「さあ、職員の都合かもよ。そこんところは何とも言ってないから分かんないなぁ」
ツッタカも施設の内情などは全く想像がつかない。まあ、問題はそこではないけれど。ようやくかき混ぜ終えて、甘ったるいコーヒーを一口飲んだ。
「当日用のプログラムを作ったり、お楽しみってことで、曲を流したり壁に貼り出したりするんだよきっと。ああいうところって、季節の飾りや入居者の作品とか、保育園の壁みたいに何でもかんでも貼りたがるからな」
シュウジがイスに背をあずけて言った。義母が施設に入っているので、何となく想像がつくようだ。
「ふーん。で、ライブなんだけど、だいたい30分から1時間以内でっていうんだ……」
ツッタカが爪の伸び具合を気にしながら少し口を尖らせて言った。
“ライブ”か……。ナカジとシュウジの心に思いがけない熱い感動がじんわりと広がった。マイッタナ。
「1曲を約3分として、2曲で6、7分。最初少しあいさつして、1曲やって、一人ひとりメンバー紹介とかして、それから2曲やったとして、15分…… 20分いくかな」
宙を睨みながら空想のライブを繰り広げ、指を折る。
メンバー紹介。またもいかす言葉が飛んできて、ナカジとシュウジの胸に心地よく響いた。ツッタカへの反感は残りながらも、ライブに向けた意欲が少しずつ湧いてくる。
「オープニングで1曲やってから、メンバー紹介までしたあと2曲で終わったら尻すぼみといいとこだな」
観客目線になったナカジが腕を組んで言った。「俺が観客だったら肩透かしくらってズッコケるよ。聴くならその倍くらいないと」。
「ドコドコドン、てか」
シュウジがテーブルを叩きながらコケる真似をした。
「そういえば、カホンにしたって言ってたけど、どういうことなの」
ツッタカが思い出してシュウジに訊いた。言われてナカジも思い出した。
すごく大事なことなのに、不倫の修羅場やツッタカの暴走で耳の奥に押し込まれたままだった。
「ほら、後藤君たちの路上ライブで箱に座って叩いてた人がいたの憶えてる?」
「んー。居たかもしれない」
ナカジとツッタカの記憶はすでに薄れている。
「空き箱を叩いてるだけに見えたから、ただの代用品かと思ったんだけど、なんとなく気になって訊いてみたら、ちゃんとした楽器でドラムの代わりになるっていうんだ。そう聞いて見ると結構、格好いいよな。
で、訊いてみると本物は中にいろいろ細工があるみたいだけど、作り方がネットに出ているっていうんでさ。んで、これ」
タブレットを出して自作したカホンの写真を出して2人に差し出した。「ま、簡単すぎてもつまんないしどうせだから真面目に作っちゃったけど、渋くてナウいだろう?」。
「……」
ナカジは納得しかねていた。細工と言うけど、板が鳴る以上の音は記憶になかった。路上でやるには便利だろうけど、豪勢なドラムの音が板の音に変わるのは寂しい気がする。寂しくなるついでに継続できてた活動の勢いまで落ちそうな気もする。
「このシンバルはどうしたの?」ツッタカが訊いた。タブレットの画面には小さなシンバルが開いた傘のように並んで立っている。
「これはハードオフ」
「へー。いいんじゃないの」画面を見ながらツッタカはあっさりと言った。「丁度いいじゃん。ハードオフってホントに何でもあるんだなぁ」
関心はそっちかよ、とナカジは内心でツッタカに突っ込んだ。
「今度の演奏会はそれでやるわけ?」
ナカジが心配げに訊ねた。
「おう、そのつもりだ。それに、その方が何かと楽だろ」
さらににっこりと笑ってシュウジが答えた。確かに貸し手を探すことから始まるドラム調達の手間が省ける。けどだ。
「叩き方とかは違う訳だろ、今からで大丈夫なの?」
「使うのはドラム譜だし、音の種類が少ない分自由を利かせられて、却ってこっちの方が簡単なんだって。例えていえばお前たちのパワーコードみたいなもんだな」
「……」
“自由が利く”って、パワーコードのシンプルさとはちょっと意味合いが違う気がするけど。
「まー、分かり易く言えばバイクとクルマみたいなもんだな」
「シュウジって、バイクに乗ってたっけ?」
「ううん、乗らないよ」
当然。何を今さら知ってるくせに、とばかりに返ってきた。
「まーまー、準備も楽になるし却ってよかったじゃん。いいじゃん、いいじゃん、それでいこうよ」
どこまで真剣に考えているのか、ツッタカはすっかりその気になっていた。こうなってくるとナカジ1人で反対するわけにいかない。
「次の練習の時に持ってくるから、楽しみにしててよ」
シュウジが自信満々に言った。
「じゃあ、ライブの曲だけど、あいさつして『レットイットビー』やって、メンバー紹介して、4曲? やるとしたら全部で5曲かぁ」
ツッタカが話を戻して数えた。「ちょっと多くない?」。グーになった左手を見ている。
「イベントの歌手って、どのくらいやってたっけ……」
シュウジが腕組みして天井を仰いだ。遠い昔、付き合いで参加した宴会やパーティーで何度か本物の歌手が来ていた。
上手だったけど知らない曲ばかりで興味もなかったので、思い返そうにもほとんど記憶がなく、すぐに諦めた。
「『ザ・ベスト10』が1時間だったから、やっぱり30分やるなら5曲は要るんじゃない」
ナカジが言った。
「ランキング以外の曲が出てくるときもあったじゃん、もっと多いかもよ」
シュウジもおぼろげな記憶をたどる。いつも仕事で夜遅かったから、たまたま帰宅したときの、付いていたテレビを含めた風景が印象に残っていた。
「歌手が来ない時もあったから、10曲ないかも。あ、けど、CMがあるから正味、45とか50分とすると、あんまり変わらないか」
ナカジも似たようなもので、ほとんど理屈で話している。
「うーん、やっぱり、30分として5曲は要るかぁ。3週間で3曲だから、1曲を1週間でマスターするのか」
ツッタカがそう言うと、2人もうーんと考え込んだ。それが3回続くなんて、思っただけで息が止まりそうだ。
テーブルに置かれた紙コップのコーヒーは減らないまま、どんどん冷めていく。
「バンドを始めるときに、まずは『レットイットビー』と『シーラブズユー』『プリーズプリーズミー』をやろうって言ってたじゃん。とりあえず3曲目はそのまま『プリーズプリーズミー』でいいよな」
ツッタカの言葉に、ナカジもシュウジも頷いた。全てが白紙なのだからいいも悪いもない。
「あと2曲か……」
ツッタカが頬杖をついて頭を巡らせる。何でもいい分、逆に決めても見つからない。
「そういえば、一日体験の時、講師が一番初めに弾いた曲、かっこよかったな」
ふと思い出してナカジが言った。
「どんなのだっけ?」
シュウジとツッタカが訊いた。
「シュウジがドラムの部屋に行った後だよ。ほら、ジャカジャーン、ジャンジャージャン、ジャージャ、ジャージャン、てやつ」
押さえてない地声だったので、隣の席の高校生カップルが会話を止めて、目玉だけを動かして老人たちを見た。
シュウジとツッタカも呆然とナカジを見たが、それは違う意味合いだった。ジャージャー言ってる口三味線が、何を歌っているのか全く分からなかったのだ。
それでもツッタカは眉間にしわを寄せて集中し、目力で曲名を引き寄せようと、ここでない次元を凝視している。ナカジのヒントは水面の藁より頼れなかった。
「有名なやつだよ。昔から何かと耳にしているから、名前は知らなくても曲自体は絶対知ってるよ。ほら、デデーンデ、デーデ、デーデデ―デーデ……」
なんで分からないんだよと、焦れてナカジが再び歌いだした。今度は“デーデン”だ。シュウジはさらに混乱して考える気も失せた。
「あー、思い出した!」
かなり間を置いてツッタカが叫んだ。「あれかぁ」。
「そうだよ、一番初めに講師が弾いたあれだよ」
「これだろ、ジャジャーン、ジャジャージャ……」
ツッタカが口ずさむと、今度はシュウジもああ、と納得したように頷いた。高校生カップルは離れた席に移って行った。
「このフレーズだけでいいんだよ納得しかねつつもナカジが話を進めた。
「確かに。オープニングにいいな。登場しますぅ、で、ジャジャーン。そして『みなさん、こんにちは』か。格好いいなぁ」
ツッタカもその場面を想像してうっとりとしている。もちろん、自分で弾いて自分でMCをしている姿だ。エレキギターの割れた重低音が響きわたり、観客は一気にこっちのものだ。
「な、いいだろう」ナカジもすっかりその気になっている。
「で、ちょっと喋って『レットイットビー』か」
「悪くないんじゃない」
シュウジもナカジもその状況を想像しながら満足そうににやけている。この短いメロディーは俺たちのテーマ曲ともいえる一節なのだ。
「じゃ、これはツッタカ担当な、俺は『レットイットビー』のソロをやるから」
ナカジが言うと、今度はツッタカも素直に納得した。
「シュウジさ、話の内容によっちゃぁ、さっきみたいにお前がタタタンって叩いて合いの手入れたり、シンバルでバシッとツッコミを入れたりしてもいいんだぜ」
ツッタカがニヤニヤしながらシュウジに振った。頭の中では観客を巻き込んだトークで盛り上っている風景が広がっているようだ。
「それな、俺も同じようなこと考えてた」
「このオープニングも1曲でいいかな」ツッタカが嬉しそうな顔のまま訊いた。
「……」
答えの代わりに2人は冷めたコーヒーをゆっくり飲んだ。
いつの間にか昼食時となり、店内は混雑してきた。
「そうだ、アンコールがあるじゃん」
ツッタカが明るい声で切り出した。「最後にアンコールでもう1度『レットイットビー』をやるのさ。締めくくりとしてもいいだろう?」自信たっぷりだ。「だから曲順は始めの方な」。
「そっか、アンコールか」
ナカジとシュウジの顔も明るくなった。「“アンコール”って手拍子している間も演奏時間に入るしな」。ナカジが呟いた。「曲は節約できるし、演奏時間は稼げるし、構成もよくなって一石三鳥だ」。
演者にアンコールを求めるかどうかは観客が決めることなのに、3人はそんなことはすっかり頭から抜けている。彼らにとって、アンコールはランチセットに付いてくるコーヒー程度の認識だった。
「ところでさ、著作権とかは大丈夫なの?」
ナカジが真面目な顔になって言った。
「え? 著作権?」
ツッタカとシュウジが怪訝な顔をした。
「だって、観客の前で演奏するんだよ、カラオケだって、歌った分が作った人にお金が支払われてるだろう。黙ってやって訴えられたりしたらどうする」
「ビートルズが俺たちを訴えるの? 老人ホームのボランティアだよ、別にいいじゃん」
ツッタカもシュウジも呆れている。そもそも日本中にビートルズを演奏する素人なんていくらでもいるだろうに。
そんな人を並べて片っ端から徴収してると思うか、と言ってもナカジは納得しない。
シュウジがタブレットで検索し、営利目的でなく、出演料を得ず、観客からも報酬を得なければ、著作権料は発生しないと書かれた一文を読んで、ナカジはやっと安心してその話題から離れた。
「観客と歌うっていうのはどう?」
シュウジが閃いた。「まず、俺たちが最後までやるだろ、で、皆さんご存知の曲でしょうから、今度は皆さんも一緒に歌いましょうって、またその曲をやるの。
1フレーズこっちで歌って、同じ部分をはいどうぞって歌ってもらうのさ。“聴く”だけじゃなくて“参加して歌う”から趣向も変わるし、全部で3回歌うことになるから、1粒で3倍おいしいぞ」
「おー、さすが砂尻製作所、テクニシャン・シュウジだ! 超一流、亜流アレンジャ―!」
ツッタカが大喜びで言うと、シュウジは憮然と睨み付けた。
「お前は意味も分からないくせに言ってんじゃないよ」
ナカジが柔らかくたしなめたがツッタカはどこを指摘されているのか分から無いようだった。シュウジの気に障ったことにすら気付いてないかもしれない。
「けどさ、せっかくだけど、英語だもん、無理だよ」
ナカジが冷静に返した。
「そこはそれ、日本語でやるのさ」シュウジはニヤリと笑って言った。「日本語で歌ってる有名な洋楽なんていくらでもあるじゃん」。
「日本語でー? 変だよ」我に返ったツッタカも理解に苦しんでいる。「“シーラブズユー”ってこっちが歌ったあと、“彼女はあなたを愛してますー”って歌わせるわけ?」。
「いやいや、そのときは、俺たちも日本語で歌うのさ。ツッタカが先に“彼女はーお前が好きー”って……」
「“イエーイエーイエー”はどうするのさ」
ナカジが食い気味で詰め寄った。ナカジにとってこのパートがこの曲の全てと言っても過言ではない。
「それは、そのままでいいだろ。そうだな、“あの子はーお前が好きー、イエーイエーイエー”ってかんじかな」
シュウジがナカジの勢いに圧されながらも歌ってみせる。
周囲はBGMと雑音で溢れていたのに、フッと静かになりまたも人々の視線が集まった。もちろん3人は自分たちの話に夢中で何も気づかない。
「“イエー”ってのは、盛り上げだけど、冷やかしも入るから日本語で言うと“ヒュー”になるんじゃない?」
ツッタカが真面目に言った。
「そこは“イエー”でいいだろう」
論点はそこかよと、シュウジは呆れて邪険に返したが、ナカジは真剣に「そうだそうだ」と抗議していた。
「それにしても、かなりの文字数だよ。英語と日本語だからな。シー ラブズ ユー、で、3音ちょっとって感じなのに、“あの子はーお前がぁ好きー”で、11かな、ラジカセなら3倍速だ」
ツッタカが指を折りながら言った。ツッタカの言う“音”数は自己流の数え方だが、2人も同じように思えた。どんなに頑張っても歌いきれない。
「そうだ、“あの子はお前が”で切って、イエーイエーイエーのところで“好き―好き―好きー”って歌うのはどう? あの子ぉは、お前が……」
ツッタカが思いついたまま歌ってみせた。
「だから無理だって」ナカジがバッサリと切った。「“あの子ぉ”で、終わってるよ」。そもそも“好きー”になんて絶対に変えない。「別に、一緒に歌うのは『シーラブズユー』じゃなくてもいいんだろ」。
いつの間にかランチタイムが終わり、混雑していた店内も落ち着いてきた。店員が空きテーブルを拭いて歩いているが、3人は全く頓着していない。
解決策は決まらないし、免罪符代わりのコーヒーも半分以上残っている。何より自分たちの時間はたっぷりある。
「な、な、これ見ろよ」
シュウジが笑いを堪えながらタブレットをナカジとツッタカの前に差し出した。歌詞の和訳らしい。
……
彼らが見る可能性はまだあります
答えがあるでしょう、それをしましょう
させて、させて
させて、させて
……
「させて、させて?“それをしましょう、させて、させて”って、何これ?」
歳のせいか、目に入ったものが脳を通過して意図せず音読になっていた。
隣の席で遅い昼食を摂っていたスーツの女性が奇異の目で3人を見たが、3人はシュウジのタブレットに没頭していて気付かない。
「な、知らなかったろ。これ『レットイットビー』なんだよ。AIの自動翻訳だと“レットイットビー”って“させて”なんだってさ。ほらこれが原詩、な、で、“翻訳”をタップすると……」
画面にさっきと同じ日本語訳が現われた。
「変なエロサイトじゃないんだ」
ナカジとツッタカが感心して言った。
「変なアプリでもないよ。『プリーズプリーズミー』もすごいぞ」
シュウジが再びタブレットを操作して2人の前に出した。
……
私はあなたが決して試みさえしないことを知っています
女の子
おいで(おいで) おいで(おいで) おいで(おいで) おいで(おいで)
プリーズ プリーズ ミー、オーイエー
……
「“カモン”は“おいで”にするくせに、“プリーズ プリーズ ミー、オーイエー”はそのまんまなんだ」
ツッタカが不思議そうに言った。元を残すなら逆だろう。どう訳しても面白くなりそうだけど。
「なあ、そこも訳してくれたらもっと面白かったよな」
シュウジが笑いながら応えた。
「AIすごいな、意味深なところもあからさまだし、ちゃんと汲み取ってるってことか。歌詞の意味まで考えたことなかったけど、けっこう、ストレートに言うんだな。作ったときは20代そこそこだろ」
ナカジが感心しながら言った。
「あれだけ、もててたら、堂々と言えるさ。あっちは物事をはっきり主張するし、根本的に日本人とは違うのよ」
シュウジが言った。
「俺たちの若い頃なんてうぶで馬鹿だったな。どう逆立ちしても敵うわけがないわなぁ」
ナカジがほろりとこぼした。人生全部で勝負してもほとんど勝ててないけど。
「日本語で歌うのは厳しいか……」
シュウジが断念したように言った。
「言葉数も少ないし、却って英語の方が歌いやすいかもよ?」
抗うようにツッタカが言うと、シュウジは黙って歌詞を英語に戻した。
「……いい考えだと思ったんだけどな」
観客参加の歌唱案は却下となった。