四国巡礼編(19)菩提の道場(2)龍光寺(41番札所)~佛木寺(42番札所)
【菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)】
[第41番札所:稲荷山(いなりざん) 護国院 龍光寺]
・御本尊:十一面観世音菩薩
・創建年:(寺伝)大同2年(807年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:愛媛県宇和島市
※別称:三間(みま)のお稲荷さん、稲荷寺
お遍路23日目の早朝、40番札所観自在寺を出発。
この日は、国道56号をひたすら北上した。
旅日記には、道中2回飲食物のお接待を受けたことと、地元の方(中年男性)との会話を書き記している。
高校野球の練習を見学するのが楽しみというこのおじさんより愛媛はスポーツが盛んであると力説された。高校野球・サッカー等で全国優勝している高校もあるとのことだった。
※改めて調べてみると、確かにこの方の言う通り愛媛県の高校が日本一になっている。
(高校野球:選抜高等学校野球大会(春の大会))
・愛媛県立松山商業高等学校(松山市)(1925年、1932年)
・愛媛県立宇和島東高等学校(宇和島市)(1988年)
・学校法人済美(さいび)学園 済美高等学校(松山市)(2004年)
(高校野球:全国高等学校野球選手権大会(夏の大会))
・愛媛県立西条高等学校(西条市)(1959年)
・愛媛県立松山商業高等学校(松山市)(1935年、1950年、1953年、1969年、1996年)
(高校サッカー:全国高等学校サッカー選手権大会(冬の選手権))
・愛媛県立南宇和高等学校(南宇和郡愛南(あいなん)町)(1989年)
この日は30km弱の距離を歩き、テント泊をした。
この日の旅日記には、「色即是空 空即是色 目に見えるものと見えないものは一つだ」と書き記している。
※色即是空・空即是色:般若心経の言葉。「物質的現象というものは、実体がないということである。実体がないということは物質的現象なのである」という意味らしい。
お遍路24日目。
朝降っていた激しい雨を言い訳にして二度寝。雨が小降りになってから出発した。
お昼過ぎに41番札所龍光寺に到着。
ここでは山門の役割を果たしている鳥居や、仁王像に代わる狛犬を見ることが出来る。龍光寺はかつての神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場だ。
寺伝によると、大同2年(807年)に弘法大師がこの地を訪れた際、稲束を背負った白髪の老人に出会った。老人は「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて姿を消したという。
大師はこの老人が五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻み堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建てて安置した。
このとき、本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍として不動明王と毘沙門天を彫り、「稲荷山龍光寺」と号し開創したと伝えられる。
その後、江戸時代前期には「立光寺」という名で神宮寺としての龍光寺が成立していたという。
※神宮寺(別当寺):神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。神社の管理権を掌握する場合は別当寺と呼ばれる。
明治時代の廃仏毀釈令により上段(神社)と下段(寺院)に分けられている。
上段の旧本堂は「稲荷社」となり、下段には本堂が新築され、本地仏十一面観世音菩薩像が御本尊として安置され、隣に弘法大師勧請(かんじょう)の稲荷明神像も一緒に祀られている。
[第42番札所:一カ山(いっかざん) 毘盧舎那院(びるしゃないん) 佛(仏)木寺(ぶつもくじ)]
※一カ山の「カ」:「王」偏に「果」と書く
・御本尊:大日如来
・創建年:(寺伝)大同2年(807年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:愛媛県宇和島市
龍光寺から次の札所42番佛木寺までは4km弱。
1時間程歩いて佛木寺に到着した。
以下、佛木寺の寺伝より。
大同2年(807年)に弘法大師がこの地で牛を引く老人と出会った。老人の勧めで牛の背に乗って進むと楠の大樹にかかっている宝珠を見つけたという。
この宝珠は、大師が唐から帰朝する際に、有縁の地を求めて三鈷杵(さんこしょ)と共に東方に向かって投げたものだった。
大師はこの地が霊地であると感得され、楠から彫造した大日如来像の眉間(みけん)に宝珠を埋め、堂宇を建立して開創した。
大師が牛の背に乗ってこの地に至ったことから家畜守護の寺とされている。
佛木寺の境内で一人の青年に出会った。絵を描きながら自転車でお遍路をしているという。その絵は水墨画で、味わいのある画風だった。
彼の話では、画商(美術商)に鑑定してもらったところ高い評価を得たとのことだったが、88ヶ所霊場の絵は、完成間近というタイミングで全て盗まれてしまったそうだ。
現在の状況を話した後、彼は善根宿:栄タクシーのご主人の話を始めた。
過去に栄タクシーで売上金を盗まれる事件が2回発生したことがあった。2回とも同じ人物(歩き遍路)が泊まった時に起きた出来事だったという。
その人物が100%犯人だと断定は出来ないが、他のお遍路から「彼をまた泊めるのですか?」と聞かれたご主人はこう答えたという。
「3度お金を盗まれても泊めてあげる」
この話を教えてくれた彼は、再び絵を描き始め、今は2周目のお遍路の道中だという。
その諦めない心にエールを送り、青年と別れた。
この日の宿は、43番札所明石寺(めいせきじ)近くの善根宿だった(佛木寺から明石寺までは、遍路道(山道)経由で約10km)。
夕方頃に宇和町卯之町(うわちょううのまち)(愛媛県西予(せいよ)市にある重要伝統的建造物群保存地区)に到着。
ここで一人の男性に声を掛けられた。半年程前から善根宿を始めたということで、良かったら今晩泊まっていきませんかとのことだった。
しかし、既に別の善根宿に電話で予約を入れていた為、せっかくのお誘いだが丁重にお断りをした。
最後にこの方より興味深い話を伺った。
「善根宿を始めてから、人生いいことばかり起こっているんですよ」
幾つもの実例を挙げて頂いたが、確かに一般的なラッキー(幸運)のレベルを越えた出来事がこの方の身に起きているようだった。
※この方のお話に関するおまけ記事はこちら
その後、予約していた善根宿に到着。一泊千円で、美味しい食事(二食)とお風呂、寝床を提供して頂ける。洗濯もOKだった。
宿の主は女性の方で、亡くなられたご主人の意志を継いで善根宿を続けているとのことだった。
温かいおもてなしを受けたことを改めて感謝したいと思う。
(旅した時期:2006年)
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