退職してわかるトラウマってあるんですね。
この週末、共通テスト会場で起きたできごとが、こんなに自分を不安定にするとは、我ながら驚きでした。
◆競争とか出世とかに興味のないタイプでした
最初につとめた民間企業は、仕事と研究とが混じったよう日々でした。
専門性を活かす、深める、広げるのが楽しかったですね。
ただ、企業ですから「請け負える仕事」は、「利益」が出るものに限定されます。ある状況に対し、それを解決することが社会的に必要で、私たちの持つ専門性の使命であっても、「利益」を生まないものには取り組めないのです。
公務員に転職したのは、「本当に困っている人・解決すべき状況」に対し、「利益度外視で取り組むことができる」と考えたからです。平成の初め頃、「公務」とはそういうものだったのですね。
◆公務員に転職して…
上司によりますが、人事評価で向上心がマイナスになりました。
専門性を高めるための自己研鑽は評価の対象ではないそうです。
出世のためにガツガツアピールすること、競争的な状況を意図的に作り出して結果を出すことが評価になるんだそうです。まぁ、これは公務員だけでなく、民間でも共通ですね(笑)。出世を目指さないのは男ではないとかもあります。そういう価値観は、昭和・平成の「普通」でしょう。上司が悪いわけではありません(笑)。
でも、私が求めたのは、自分の専門性と能力とを通じた社会貢献、幸福の実現なので、そのために出世は特に必要ないんです。ちなみに、民間企業との「競合」もありません。
◆競争は解決にならない場面もある
医療・福祉・教育の課題を、競争原理で解決しようとする発想があります。
社会・市民・議会は、そういう発想を好みますね。
競争原理をあおることで、大学進学率が向上したとしましょう。ただ、競争原理の導入によって、不登校などの問題も発生します。そもそも、福祉の充実にはコストがかかります。大学病院の役割には、「数万人に一人がかかる難病」の研究があります。ここに経済原理×競争原理を過度に持ち込むと、解決から遠ざかることが多いです。
残念なことですが、競争原理が原因と考えられる課題によって苦しむ人、数は少ないけれど確実に存在する病を、競争原理・コストで否定し、自己責任で結論付ける考えがあるのです。そういうものに、かなり苦労したのが現役時代でした。
◆競争原理で解決することを煽る人を見ると…
共通テストの日に起きたことは、競争原理の末期状況というか…。
すぐに、原因探し・悪い者探しが始まり、パターン化された記事が並びはじめたころ、かなりストレスが高まりました。ちょっと心乱れたんですね(笑)。
こういう時、過去のトラウマにまだ囚われている自分を感じます。
ご機嫌に過ごすってのは、難しいですね。こういう時、どう自分と向き合うのが、これからの課題というか、修行ですね(笑)
兼好法師が仁和寺の法師に対して「イラつく」のは、この心境なのかもしれません。
早期退職2年目ですが、まだまだ「灰汁とり」が必要なようです。