三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

畢諶(ひつしん) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは畢諶じゃな。字や生没年は不明じゃな。

既に一回名前が出ておるが、新ためて彼の紹介を行うとするかのう。

  

さて、今回は畢諶じゃな。彼も既に曹操のところで名前は出ておるのう

確か曹操を一度裏切ったんでしたよね。

そうじゃな。曹操のところでは多少省略して書いておるから、改めて彼の紹介と行こうかの。

分かりました。よろしくお願いします。

人物紹介

さて、畢諶じゃが、彼が出てくるのは武帝紀の中じゃな。

曹操兗州刺史(牧の書き間違い?この辺りは境界があやふや)だった頃に東平の畢諶を別駕(従事)として任用したんじゃ。

じゃが張邈の反乱の時、張邈は畢諶の母、弟、妻子を脅迫したんじゃよ。このように兗州で反乱が起こった時、州の人間が全て曹操に反感を持っていた訳ではないと思うんじゃよ。この畢諶の家族のように、脅迫によって止む無く呂布達に従った、と言う人物も多かったと思うんじゃよ。

さて、この時畢諶は曹操に従っており、非常につらい立場だったんじゃ。そこで曹操は君臣の関係を断ち、彼を行かせようとしたんじゃ。

「卿の老いた母親が向こうにいる。行って良いぞ。」

畢諶はぬかずいて二心を抱かないと言ったんじゃ。曹操もそれを嘉し、彼のために涙を流したんじゃよ。

そして退出後・・・畢諶は故郷に逃げ帰り、呂布の方に付いたんじゃw

じゃがまあ、これは畢諶を責めるのは酷じゃろうな。やはり親のことが心配だったんじゃろうな。

そして呂布が生け捕りにされた際、畢諶も生け捕りにされたんじゃよ。人々は畢諶が処刑されるのではないかと心配したが、曹操

「だいたいその親に孝行な人間で、主君に忠義でないものがあろうか、(畢諶は)わしが必要とするものじゃ。」

と言って畢諶を許し、魯国の相とするんじゃよ。

魯国は予州最北端に位置しており、丁度徐州と兗州に挟まれたような場所じゃな。なかなか重要な場所を任された、と言えそうじゃのう。

じゃがこれ以降畢諶の名前は史書に出てこなくなり、その後の動向は不明じゃ。

さて、人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回もワシの評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 畢諶(20歳)  50 70 55 80
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 畢諶(45歳)  79 101 84 112

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畢諶は曹操の下から一度逃げ出しながら、再度登用されていることから、やはり相当に能力を認められていると考えられるんじゃ。国相となっておることから、政治と統率はそこそこの高さと考えられるんじゃ。

じゃが具体的な実績が言えてこないため、全体的な評価はやや抑えめになってしまうかのう。

 

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雑談ぢゃ

さて、畢諶の能力評価じゃな。

以前同じように曹操を裏切った魏种にちょっと似ていますね。

そうじゃな、実績がないからそこまで極端に高い値にはできんが、太守に任命させると言うことは政治力は標準以上のものがあったじゃろうからのう。

それにしても、何故曹操が戻って良いと言った時に戻らなかったのでしょうか。

そこは本人じゃないと分からんのう。じゃが人が大勢いる前だと気が大きくなってつい言ってしまった。じゃが一人になったら不安になって、と言う辺りはありそうじゃな。

一人でいるとどんどんネガティブ思考に陥っちゃうパターンですね。

うむ、特に畢諶のように心配ごとがあれば尚更じゃな。

曹操もその辺りが分っていたから許した、と言うのもあるんでしょうか。

まあ他の人が畢諶のことを心配した、とあるように決して心から曹操を裏切っていたわけではない、と皆理解しておったのかもしれんのう。

曹操もその辺りは理解していたのでしょうね、当然。

うむ、そうじゃな。さて、これで張邈勢力、そして兗州の勢力もこれで終わりじゃな。

長かったですね、なんだかんだで兗州で2ヶ月ぐらいかかっていますね。

そうじゃなあ、まだまだ先は長いのう。今回はここまでじゃな、次も良ければ見てくだされ。

良ければ次も見てくださいね。それではまたです。