さて、今回紹介するのは董璜の紹介じゃな。彼は姓を見ればわかると思うが、董卓の一族なんじゃよ。字や生年は分からんが、没年ははっきりしておる、董卓と同じ年じゃな。それでは董璜の紹介と、能力評価を行うとしようかのう。
さて、董璜の紹介じゃな。
董卓の一族で董卓と同じ年に没しているということは董卓と一緒に斬られた、と言うことですか?
いや、董卓とはまた別に、じゃな。
別の場所で斬られた、と言うことは董卓の死とはまた別の要因で亡くなった、と言うことですか?
いや、そんな訳ではないんじゃ、よし、その辺りも軽く説明していくとしようかのう。
人物紹介
さて、董璜についてじゃが、正史における出番はごく僅かじゃな。
董卓伝を見るとまず董卓が長安に遷都した時に、董璜の名前が出てくるんじゃ。
当初は名士にへりくだり、有力な人物達を郡太守や州刺史に任じ、自身の配下や一族にはさして高い官位を与えていなかった董卓じゃが、この頃から権力への欲望をむき出しにしてくるんじゃよ。
一族は内外いずれも朝廷の高官になった、と記載されており、董璜はこの時侍中・中軍校尉となり、軍の統率を行った、とあるんじゃ。
侍中は皇帝に近侍し、殿中の奏事を司る役目を担っている。まあ名目だけかもしれんが、董卓一族で文事にも手を染めるとは珍しいな。
そうじゃな、実際、その役割を担っておったエピソードもあったようじゃからな。
中軍校尉として軍を統率していた董璜じゃが、董卓の孫娘の白が渭陽君として領地が与えられた時、董璜は使者に仕立てられ、白に印綬を授与させる役割を担ったんじゃよ。
この辺りが丁度侍中の役割になるのではなかろうかの。ちなみにこの白が、近年ゲームで見かける董白のモデルじゃろうな。
さて、そんな董璜の最後じゃが、董卓が暗殺された時、董璜はじめとする董一族は皆老若を問わず、彼らの本拠地である郿におったんじゃ。じゃが、董卓が死ぬと部下たちの反乱が起こり、彼らは皆部下たちによって、斬られたり射殺されたりしたんじゃ。
この辺り、権力欲に取り付かれた董卓は、侠の精神を持ち昔の部下を大事にしていた董卓からは変わってしまった、と言うことであろうな。
そうじゃな、さて、董璜の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回は三国志14に登場じゃな。
能力評価
董璜は中軍校尉として、中軍の統率を任されておったことから統率を高めの評価としたんじゃ。また侍中として、形だけとは言え白への印綬の授与を行ったりしておることから、政治も少しだけ高めじゃな。
その一方、知略面や武勇で目立つエピソードはないため、軍事は武将としてそれなりの評価じゃが、知謀は抑えめじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、董璜の能力評価じゃな。
ふむ、統率が高いのは共通しているな、ただ三国志14の方は政治が低いな。
まあ、印綬の授与とか無理やりやらせたような感じですからねえ。
そうじゃな。一応実績があるからワシは少し高めにしたが、馬子にも衣裳じょうたいであったかもしれんからのう。
まあ、董璜だけがいきなり宮中の作法を身に着けていた、とも考えにくいし、そう考えるとお主よりも妥当な評価かもしれないな。
う、まあ本人を直接に知っておらねば、この辺りは何とも言えん部分じゃからのう。さて、董璜の紹介はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。