三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

文聘(ぶんぺい) 字:仲業(?~?)その1

さて、今回紹介する人物は文聘じゃな。字は仲業と言うことは次男じゃった、と言うことじゃろうか。生没年は不明じゃな。彼は演義にも出てくる武将の一人じゃが、その活躍の様はあまり語られておらんように思うのう。

 

さて、今回紹介するのは文聘じゃな。

どうも、張郃だ。文聘殿か、常時孫呉と接する国境の守りに就き、その侵攻を許さなかった名将だな。  

演義ではそこまでは書かれていないですね、ただ忠義に厚かった描写はされていますね。

演義劉表に対する忠義は示したものの、武将としての彼の実力を示した、とは言い難いな。  

そうじゃな、今回は黄祖と同様に戦績と、具体的なエピソードを見ていくとしようかのう

 

人物紹介

軍事面の実績 

文聘戦績

    曹操    ×  (襄陽)

    劉備    〇 (長阪)

    関羽    〇 (尋陽)

    関羽    〇 (漢津)

    孫権    〇 (石梵)

    朱然    △ (江陵)

    孫権    〇 (石陽)

    孫権    〇 (石陽)

 

    8戦 6勝1敗1分

 

およそ以上になるかのう。勝率は7割5分じゃが、対戦相手を見ると、良くこの勝率を維持できているもの、と感心するぐらいの強さを示しているんじゃ。特に関羽相手に二回戦い、二回とも実績をあげている点は評価できるのではなかろうか。

上で少し書いておるが、孫呉に対するまさしく壁として立ちはだかった名将と言えるじゃろうな。

 

主な軍事内容

劉備関羽との戦い

劉琮が降伏した際に文聘は曹操に降伏するんじゃが、その時の対応が見事で、曹操は手厚い礼を以て彼を処遇したんじゃ。

この時文聘は兵を授けられ、曹純と共に劉備追撃の任を与えられて活躍し、更に呉と境界を接する江夏郡は民心が安定しなかったので、文聘を江夏太守とし、北方の兵を指揮させて国境地帯のことを委任したんじゃ。

この後、文聘は楽進と共に関羽を尋陽に破り、討逆将軍に昇進し、延寿亭侯の爵位を授けられるんじゃ。

更に関羽の輜重を漢津に攻撃し荊城においてその船を焼き払った、とあるんじゃ。

この時は直接関羽を対峙したわけではないが、相手の輜重を攻める判断は的確で見事な戦術だな。さすが文聘殿だ。

石陽の戦い

さて、孫呉との戦いでじゃが、いちばん有名なのは石陽の戦いじゃな。

本編とは少し内容が違うんじゃが、『魏略』には以下のように書かれているんじゃよ。

孫権が自身数万の軍勢を率いて押し寄せてきたことがあった、と言うんじゃ。

その時は大雨が降り城の柵が一部崩壊しておったんじゃが、丁度この時期人民は田野に散らばっていたため、まだ補修されずにいた、とあるんじゃ。

打つ手がない、と考えた文聘はそこで考え抜き、静かにじっとして孫権に疑念を起こさせるに限ると判断したんじゃ。

そして城中の人に命じて外から見えないようにさせ、また自身は官舎の中に横になり起きなかった、とあるんじゃよ。

孫権は果たしてこれに疑念を抱き

「北方ではこの人物を忠臣と考えたからこそ、この郡を任せているのだ。

今わしが来ているのにじっとしている。これは秘密の計画があるのでなければ、必ずや外からの救援があるに違いない。」

かくて思い切って攻撃せずに退却した、とあるんじゃよ。文聘は退却した軍を追撃し、更にこれを撃ち破る功績を挙げた、とあるんじゃよ。

俗に言う空城の計だな。本編ではないが演義の創作の諸葛亮の空城の計より、こちらのが真実味は感じられるな。

防衛能力は黄祖以上ではなかろうか。それでありながら関羽追討にも実績をあげておる、攻守にスキのない人物じゃのう。

さて、少し短いがキリの良いところじゃからいったん終了するとしようかのう。次もよろしく頼むぞい。

 

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