さて、今回は文聘の2回目じゃな。今回は前回語った以外のエピソードと、能力評価について見ていくとしようかのう。
さて、今回は文聘の紹介2回目じゃな。
どうも、張郃だ。能力評価とかも気になるところだな。
史書においては張郃さん達の次に臧覇さん達と並んで紹介されていたんでしたよね。
そうじゃな、実力的にも張郃殿達にひけをとらない人物達なのは確かじゃからなあ。それでは早速見ていくとしようかのう。
人物紹介
曹操に降伏した時の態度
時は劉琮が曹操に降伏した時のことじゃ。劉琮は文聘を呼んで行動を共にしようと考えたんじゃ。じゃが文聘はこう言うんじゃ。
「私は州を保つことができませんでした。処罰を待つのが当然です。」
そして曹操が漢江を渡ると、そこで初めて文聘は出頭したんじゃ。曹操は文聘に訊ねるんじゃよ。
「どうして来るのが遅かったんじゃ。」
これに対して文聘は次のように応えるんじゃ。
「過日劉荊州を補佐して国家に仕えることができませんでした。
荊州は滅びましたが、常に漢川をよりどころとして守備し、領土を保全し、生きては若年のみなしご(劉琮)を裏切らず、死しては地下の方(劉表)に恥じないことを願っておりましたが、計画はどうにもならず、ここまで来ました。
実際悲痛と慚愧の思いに早くお目通りする顔もなかったのです。」
そう言うと文聘は涙を流した、とあるんじゃよ。
この辺りは確か演義にも載っている内容であったな。
曹操もこの文聘の態度に感銘し
「仲業、卿は真に忠臣である。」
と高く評価したんじゃよ。
文聘のその後
その後、曹丕の時代になるんじゃが、夏侯尚と共に江陵を包囲するんじゃが、この時、文聘は別に沔口駐屯の任を受け、途中石梵で宿していた時に敵の一隊とぶつかったんじゃが、これを見事に撃退し、功績を立てたんじゃよ。
この戦役には俺も参加して、中州の砦を奪い取る等、終始押し気味に戦いを進めていたのだがな。朱然の粘りにしてやられたわ。
この時の活躍で文聘は後将軍に任じられたんじゃよ。
文聘は江夏に数十年いたんじゃが、威光と恩愛があって名は敵国に轟き、敵は思い切って侵入できんかった、と言うことなんじゃよ。
孫呉も文聘が健在の間は手を二度と出さんかったようじゃな。
さて、それでは文聘の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
文聘は魏を代表する武将の一人として臧覇同様に郡境を守り、敵の侵攻を防いでおったことから当然軍事と統率は高めじゃ。
特に孫権相手に空城の計を決め、撤退させたことから統率だけでなく、知謀も高めの評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、文聘の能力評価じゃな。
おれと比較すると統率が文聘殿の方が高いのだな。他の作品も全体的に高評価となるのか。
鄭問さんがちょっと低めですかね。ただ于禁とかも少し微妙な評価だったですよね。
そうじゃな。まあ軍事も統率も15越えておるから、それなりに評価はされていると思うぞい。
この辺りの武将が辺境を守ってくれるから、魏は国家として安定していた訳だからな。
黄祖や文聘、黄忠といたことから、劉表陣営も長年維持できた訳じゃからな。さて、文聘についての評価はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。