人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経序品第一』について 31 | 中杉弘の人間の探求

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07 ※日蓮聖人が身延山を開くに当たって信者から寄進された太刀で、日蓮聖人は常にこの太刀を佩用し、柄に珠数をかけて破邪顕正の剣とされたところから珠数丸の号がつきました。(正理会の御宝剣には、破邪顕正という銘が入っています)

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経序品第一』について 31

 

「是の諸の王子、無量百千万億の仏を供養し已って、皆仏道を成ず。」(続き)

修行をすると何に成るのでしょうか? 空手を習うと空手が強くなるのです。何十人でも楽に倒せる力が身に付いてくるのです。ボクシングでもそうです。元世界チャンピオンの竹原慎二は強いのです。挑戦者がかかっても誰も敵いません。そのような力が身に付いてくるのです。

極真空手を習うと体格が違ってきます。体格を見ただけで「この人は極真空手だな」とわかるのです。挨拶の仕方は「オウッス!」です。これをやったら完全に極真空手です。歩き方は蟹股で、体格がよくて、プロレスラーのような体格です。すると、「この人は極真空手だな」とわかるのです。

柔道3段や5段になったら、普通の人には負けません。喧嘩にも強くなるのです。剣術もそうです。ある程度、実力が身に付けば、太刀打ちできません。僕は昔、自衛隊を辞めたゴロツキに「お前、僕の体に剣先が触れたら、100万円あげるよ」と言ったのです。すると、立ち合ってこなかったのです。

仏道の修行も同じです。仏教を習うとどのようなご利益があるのでしょうか? 力持ちになるわけでもないし、頭がよくなるわけでもありません。では、「何のために仏教を修行するのか?」というと、一つは神通力が身に付いてくるのです。それが『無量義経徳行品第一』で説かれている功徳です。

何とも言えない力が身に付いてくるのです。「エイ、ヤー!」と言ったら、空から雨が降ってくる神通力ではありません。「エイ、ヤー!」と言ったら、火山の噴火が収まるというものではありません。

普通の生活をしているのだけれども、仏法を修行してきた人は全然違います。剣術の名人である勝海舟は座禅を組んで、仏道を修行しているのです。それと剣が合わさって、凄い力が身に付いてくるのです。

妙法蓮華経とは、少林寺拳法のような強い力ではなくて、もっと強い神通力がついてくるのです。人はわかりません。「俺がこれから神通力を見せてやる、エイヤー!」ということではありません。何もしないのです。

しかし、神通力がついてくるのです。不思議なものです。現代流で言うと本当に仏法の極意に到達してくると、知らない間にお金には困らなくなるのです。「ああ、これで私はお金持ちになった」ということではありません。

気が付いてみるとお金に困らなくなっているのです。貧乏だった私が、生活苦に追われていた私が、真面目に仏道修行をしていたら、お金に困らなくなっているのです。「そのような境涯にいつなるのか?」というと、ジワジワと知らない間にそのような境涯になっているのです。「エイヤー! お金よ、降って来い!」というようなものではありません。知らない間に困らない境涯になってしまうのです。

それから丈夫な体になっているのです。敵がかかってこようと思ってもこられません。そのような例もあります。

例えば、ヤクザ者みたいな奴が、40度の熱を出してうなっているところ、「大丈夫ですか?」と声をかけると、「何だ、コノヤロウ! こんなことで参るような俺ではないのだ! 俺はな、キンタ●と根性は誰にも負けたことはないのだ!」と暴れ出して殴りかかってくるのです。そんなたわいもないことで殴りかかってくるのです。それは、ヤクザの境涯がそのような境涯だからです。

仏界の人間を見るとイラつくのです。境涯が違うからイラつくのです。ヤクザは、そのような境涯が身に付いているのです。相手は仏界の人間を害そうとするのですが、そんなことはできません。

仏の不思議な神通力はまだまだ沢山あります。人の心がわかってくるのです。他心通です。これから起きてくることがわかってくるのです。世界情勢がわかってくるのです。本当にそうなのです。仏道修行をしてくると、言葉で表現できないような神通力が身に備わってくるのです。

例えば、日蓮大聖人様は武術などやられていません。名刀「珠数丸」は日蓮聖人の護身刀とされていますが、武術の修行などはやっていません。仏道一心です。でも、会う人は日蓮大聖人様にひれ伏すのです。この経を修行するとそうなってしまうのです。(32に続く)

 

 

■天下五剣の名刀「珠数丸」は日蓮聖人の護身刀 高橋俊隆

名刀「珠数丸」は日蓮聖人の護身刀とされます。珠数丸は後鳥羽上皇の番鍛冶の一人である備中の青江恒次の作です北条泰時は刀工六人を隠岐の後鳥羽上皇に献じています。珠数丸恒次は天下五剣の一振りとされ刀身は九一、四㌢の長身です。由来は後鳥羽上皇が関東調伏祈願のため、自ら向う槌を取って青江恒次に鍛えさせた三振りの中の一つです。天下五剣とは鬼丸国綱大典太光世三日月宗近数珠丸恒次童子切安綱の五口の名刀のことです。日蓮聖人が身延山を開くに当たって信者から寄進された太刀で、日蓮聖人は常にこの太刀を佩用し、柄に珠数をかけて破邪顕正の剣とされたところから珠数丸の号がつきました。しかし、日蓮聖人の葬送のとき池上兵衛志宗長(弟)が大刀を奉持しています。その大刀は珠数丸と思われます。佐渡流罪中に北条彌源太氏より寄進された大刀と思われます。『彌源太殿御返事』に、

「又御祈祷のために御太刀同刀あはせて二送給はて候。此太刀はしかるべきかぢ(鍛匠)作候歟と覚へ候。あまくに(天国)、或は鬼きり(切)、或はやつるぎ(八剣)、異朝にはかむしやうばくや(干将莫耶)が剣に争かことなるべきや。此を法華経にまいらせ給。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬ば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や。後生には此刀をつえとたのみ給べし」(八〇六頁)

と述べていることから二振りの刀が寄進されたことが分かり、日本や中国の名刀にも匹敵すると述べています。この天国とは日本の刀鍛冶の祖のことで、天国作とされる「小烏丸」は現在、皇室御物として国立文化財機構で保管されています。鬼切(童子切安綱)とは多田満仲が戸隠山の鬼を切ったとして源氏に伝わる名刀です。八剣とは草薙剣のこととも言います。(『日蓮大聖人御書講義』第二五巻三七七頁)。また、菊の御作、備前宗吉、備前行国、備中貞次、備中次家、遠江友安(友吉)、ほか二名は不詳ですが、これらの八剣を言うものと思います。干将と莫耶は中国の二名剣で、干将と莫耶の夫婦が呉王のために作った陰陽二剣のことを言います。日蓮聖人がこれらの刀にも詳しかったことが分かります。

http://www.myoukakuji.com/html/telling/kyousen1/index79.htm

 

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