※大迦葉(だいかしょう、梵: Mahākāśyapa महाकाश्यप マハーカーシヤパ、巴: Mahākassapa महाकस्सप マハーカッサパ)は、釈迦の十大弟子の一人。仏教教団における釈迦の後継(仏教第二祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集、経典の編纂事業)の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。 摩訶迦葉、摩訶迦葉波、迦葉、迦葉波とも呼ばれる。
人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経薬草喩品第五』について 1
本日から、『妙法蓮華経薬草喩品第五』の講義に入ります。
「爾の時に世尊、摩訶迦葉、及び諸の大弟子に告げたまわく、」
その時に世尊、摩訶迦葉及び、諸々の大弟子に告げたのです。「爾の時」とは、衆生が「仏様の説法を聞きたい」と渇仰して、仏様がそれに答えて説法をしてくださる時が、「爾の時」です。
お釈迦様には十大弟子がいて、摩訶迦葉もそのうちの一人です。
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舎利弗は、智恵第一です。
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摩訶目犍連(まかもっけんれん)は、神通第一です。
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摩訶迦葉(まかかしょう)は、頭陀第一です。
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須菩提(しゅぼだい)は、解空第一です。
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富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)は、説法第一です。
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摩訶迦旃延(まかかせんねん)は、論議第一です。
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阿那律(あなりつ)は、天眼第一です。
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優波離(うぱり)は、持律第一です。
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羅睺羅(らごら)は、密行第一です。
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阿難陀(あなんだ)は、多聞第一です。
摩訶迦葉は、釈迦の死後、その教団を統率し、第1結集では五百人の仲間とともに、釈迦の教法を編集する座長を務めた人です。そのような弟子です。
「善い哉(かな)善い(かな)、迦葉、善く如来の真実の功徳を説く。誠に所言(しょごん)の如し。」
よいかな、よいかな、迦葉、よく如来の真実の功徳を説きましょう。誠に所言の如しです。
「如来復、無量無辺阿僧祇の功徳あり。」
如来はまた、無量無辺阿僧祇(あそぎ)の功徳あり。
「汝等(なんだち)若し無量億劫に於いて説くとも、尽くすこと能わじ。」
汝等、もし無量億劫において説くとも尽くすこと能わず。釈尊から頂いた功徳は、無量億劫に供養しても尽くすことはできません。釈迦は無量義一法を説いているのです。「無量義は一法より生じる」という経典を説いているのですから、無量のものは説くことができません。
何処まで説いても無量ですから、まだ終わりません。「何故、豚なのですか?」「何故、恐竜なのですか?」などということを説法したら、無量です。いくら説いても説ききれません。
その結果として、「無量義は一法より生じる」と言われたのです。一法を勉強することを信心といいます。法華経の信心とはそうなのです。だんだんと信心が進むにつれて、一法がわかってくるのです。
「何故、豚なのか?」「何故、あいつは悪人なのか?」「何故、あいつは鬼になったなのか?」ということが、だんだんわかってくるのです。全ての生命は、因果の法則が働いているのです。
悪人や、キチガイはいきなり出てくるのではありません。全て、「原因と結果」という順番があります。これが、因果の理法です。鬼になる原因があり、鬼の体を持って生まれてきたのですから、因果倶時です。
因果倶時で決まったことが、次の因果の源になるのです。そのまた因果が続くから、生命は永遠です。我々は永遠の生命の旅の途中で、今ここにいるのです。いきなり自分になったのではありません。遠い昔からの因縁があり、人間に生まれてきた生命です。
今、法華経を学んでいる人は、過去世からの功徳があるのです。法華経を学べること自体が大功徳です。ピンとこない人もいるかもしれませんが、生命はドンブリコと苦海の海を流れているのです。生死の闇の世界の中で、何処に生まれるのかもわからず、生命は流転しているのです。自分は苦海の海に沈み、ドンブリコと流されていくので、何処へ行くのかもわかりません。次に何処に生まれるのかもわかりません。
「因果の理法で見ると、あの人の人生はやがて破滅する。私の人生はこうなる」ということが見えてくるのです。本当に見えてくるのです。それを実相というのです。実相が見えてくるということを、無量義一法と言うのです。無量億劫にそのことを説いても尽くしきれません。(②に続く)
『妙法蓮華経薬草喩品第五』
爾の時に世尊、摩訶迦葉及び諸の大弟子に告げたまわく、
善い哉(かな)善い(かな)、迦葉、善く如来の真実の功徳を説く。誠に所言の如し。
如来復無量無辺阿僧祇の功徳あり。
汝等若し無量億劫に於いて説くとも尽くすこと能わじ。
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