※「諸法の王なり」ということは、一法ということです。あらゆるものは、妙法蓮華経という一法から生まれてきたのです。その一法を説く人は、諸法の王です。
人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経薬草喩品第五』について 2
「迦葉、当に知るべし、如来は是れ諸法の王なり。」
迦葉よ、当に知るべし。如来というものは、諸法の王なのです。何故、王なのでしょうか? 皆、これをカン違いしているのです。「諸法の王なり」ということは、一法ということです。あらゆるものは、妙法蓮華経という一法から生まれてきたのです。その一法を説く人は、諸法の王です。
変化していく諸法を説くならば、それは仏ではありません。諸法の王である、一法のことを教えてくれる人のことを仏と言うのです。般若心経、キリスト教の教えもよいのですが、そんなものを教えている人は、仏ではありません。
仏とは、「様々な生命は、たった一つの法から出来ているのですよ」と説く人です。「それは何ですか?」と聞くと、それは「妙法蓮華経」としか言いようがありません。自分で悟っていく以外、修行方法はありません。
「何を修行するのか?」というと、「人生という道を通して、人生を歩んでいる」ということが即修行です。無量義一法を知る人間から言うと、人生そのものが修行です。山に籠って滝に打たれたり、断食したり、座禅を組む時だけが修行ではありません。貴方の人生そのものが、仏道修行なのですから、全てが修行道場です。
「若し所説有るは、皆虚しからず。」
もし、所説はありますが、皆虚しくはありません。お釈迦様も実相だけを説いたわけではありません。般若心経も阿弥陀経も説いたのです。それらは、虚しいことではありません。お釈迦様から見ると諸法実相ですから、全て真実です。
「一切の法に於いて、智の方便を以って之を演説す。」
一切の法において、智の方便をもってこれを演説したのです。「智」とは、「智る」ということです。真実の仏教から言うと、「智る」ということは方便です。何故でしょうか? 人間は智るということはないのです。何を智ったとしても、やがては死んでしまうのです。死ぬと智などは消えてしまうのです。「僕は勉強して東大に合格しました」と言っても、死んでしまえば何もかも無くなってしまうのです。「死ぬ」ということは、方便です。
「勉強する」ということは、全て方便です。一法とは、感じることです。智ることは方便です。
「其の所説の法は、皆悉く一切智地(ちじ)に到らしむ。」
その所説の法は、皆悉く一切の智地にいたらしむのです。一切の法の何を智っても、虚しいのです。それは、実存ではありません。
「如来は一切諸法の帰趣する所を観知し、亦一切衆生の深心(じんしん)の所行を知って、通達無碍(つうだつむげ)なり。」
如来は一切諸法の帰る所を感知して、また一切衆生の深心の所行を知って、通達無碍なり。これは、どのような意味かというと、あらゆるものが諸法になっているのですが、本体が何だかわかりません。「何故、恐竜に生まれたのか?」ということです。
或は、なぜ馬、犬、河童に生まれたのかわかりません。如来は全てわかっているのです。何故、お前が犬なのかわかっているのです。「犬になって気の毒だな。豚になって気の毒だな。悪人になって気の毒だな」ということが、全てわかっているのです。如来は全てわかっているのです。根本の法は、たった一つです。一つのものから馬になり、豚になり、どんどん変化をして生命は無量の数だけあるのです。
その根本の一法を見ていくのが仏教です。根本の法を説いているのが法華経です。だから、法華経は尊いのです。「無量の生命の根本は一法です」と教わっても、すぐに一法がわかるわけではありません。
「妙法蓮華経とは、どのようなものですか?」と質問してみても、触ることもできません。目に見えるものでもありません。
目に見えるものは無量の義です。そこに実相が見えてくるのです。豚という実相があり、豚がここにいます。諸法が豚になったのです。どうして豚になったのでしょうか?
『千と千尋の神隠し』という映画では、千尋の両親が屋台でガツガツと豚のように食べていると、本当に豚になってしまったのです。このことを言っているのです。仏から見るとガツガツ豚のように食べるという因縁を積んでいると豚になるのです。それが諸法です。一法は目に見えません。
仏は何を見ているのかというと、その一法を見ているのです。仏道修行をしたならば、その一法がわかってこなければいけません。仏教とは、修行の中にあるのです。「修行とは何か?」というと、自分の人生の中に修行はあるのです。
仏道修行が進むと眉間白毫の光が世間を照らすので、あらゆることがわかってくるのです。人間の心を一法から見るのでわかるのです。一人一人の人間の心を考えたらわかりません。一法を見ていくのです。すると人間は皆、同じです。
「この人はこのような理由で豚をやっているのだな」「このような理由で鬼になったのだな」ということが、全て見えてくるようになるのです。(3に続く)
『妙法蓮華経薬草喩品第五』
迦葉当に知るべし、如来は是れ諸法の王なり。
若し所説あるは皆虚しからず。
一切の法に於いて、智の方便を以って之を演説す。
其の所説の法は、皆悉く一切智地に到らしむ。
如来は一切諸法の帰趣する所を観知し、亦一切衆生の深心の所行を知って、通達無碍なり。
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