人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授記品第六』について 8 | 中杉弘の人間の探求

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990 ※私は貧しい国から出てきたので、お腹が満たされればよいのです。貧乏が身に付いているので、こんな大ご馳走を出されたので食べられなかったのです。大王様のお膳はとてもではありませんが、食べられません。

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授記品第六』について 8


 「飢えたる国より来って 忽(たちま)ちに大王の膳(そなえ)に遇わんに」
 
飢えたる国より来た衆生がいます。「お腹空いたな」と言うと、いきなり大王様のお膳に連れていかれるのです。すると見たことのないお膳にビックリしてしまうのです。「俺が食べたいのはサンマだよ。サンマが食べたいのだよ」と言っても、大王のお膳が用意されているのです。たちまち大王の膳に遇うのです。
 「心猶(なお)疑懼(ぎく)を懐いて 未だ敢(あ)えて即便(すなわ)ち食(じき)せず」
 心にはなお疑念を懐いて、未だにあえて即ちただしに食べることはありません。こんなご馳走が沢山出てきて信じられません。私は貧しい国から出てきたので、お腹が満たされればよいのです。貧乏が身に付いているので、こんな大ご馳走を出されたので食べられなかったのです。大王様のお膳はとてもではありませんが、食べられません。
 「若し復王の教を得 然して後に乃ち敢て食(じき)せんが如く」
 もしまた王の教えを得て、然して後に即ちあえて食べようとしたのです。王様が出てきて「心配しなくていいよ。君が飢えているから、食べ物を出してあげたのだよ。安心して食べなさい」と王様に言われたのです。そのように言われて初めて安心して食事をしたのです。
 「我等も亦是の如し 毎(つね)に小乗の過(とが)を惟(おも)いて」
 我等もまた是の如しです。まいに小乗の過ちをうけて、
 「当に云何して 仏の無上慧を得べきかを知らず」
 まさに如何にしてか、仏の無上慧を受けても信じられません。普段はまずいものばかり食べているので、こんなご馳走は考えられません。それは、貴方がたが小法を願っていたからです。小さな悟りを得るために邪教を習ってきたから、本当の美味しい食べ物を見た時にビックリしてしまい食べられないのです。

小法もそうなのです。「小乗経でいいよ」などと言っている人は大勢います。「阿弥陀経で救われるのだよ」という人は、大王様の無量義一法は大ご馳走なのに、食べようとはしないのです。比較にならないくらい仏様のご馳走は立派なご馳走です。

貴方は貧しい心を捨てなさい。「仏様のようになりたい」と思えばよいのです。無上が一番よい教えです。それは無量義一法です。小乗経の法を求めないで、最高の法を求めないと得ることはできません。
 「仏の音声の 我等作仏(さぶつ)せんと言(のたま)うを聞くと雖も」
 仏の音声で「我等が成仏する」と聞いても、
 「心尚憂懼(おうく)を懐くこと 未だ敢て便ち食(じき)せざるが如し」
 そのようなことを聞いても「本当なのかな?」と悩みが多いのです。「サンマこそ、ご馳走だ」と考えているから、本物の大ご馳走が食べられないのです。

仏教も同じです。仏様は無量義一法を説かれているのに、衆生は小乗経を求めているのです。仏様が法華経を説こうとすると、「失礼します」と言って、五千の上慢が席を立ったのです。

「小乗経の教えは有難いと思いますが、法華経だけは聞きたくありません。失礼します」と言って、五千人が席を立って一礼して帰ったのです。それは、小乗を願っているからです。

法華経は物凄く大きな教えです。君たちが求めることもできない教えです。それを説いているのが妙法蓮華経という経文です。そのように心得て、世界最高の教えを受けているのです。「これがわかって仏になるのだ」と決めるのです。

この教えを聞いて、仏様に近づいていく人は、誰よりも偉いのです。だから、折伏しなければいけません。「貴方はもっと大きな法を求めたらどうですか?」と言うと、「いや、それは結構です」と言われます。そこから始まるのです。

「座禅もよいですが、座禅では本当の悟りは得られませんよ。法華経の説法を聞いたらどうですか?」と言うと、「いや、私は結構です。私は毎日座禅を組んで満足していますから、余計なことを言わないでください」と言うのです。

「お婆ちゃん、念仏など止めなさい。念仏は仮の教えだから、極楽浄土など存在しないのですよ」と言うと、「よござんすよ、私はね、阿弥陀さんを拝んで極楽へ逝くんですから」と言うのです。

念仏の信者は臨終する時には、自分の指に糸をまいて阿弥陀さんの像と結び付けて、極約浄土へ連れて逝ってもらおうとするのです。極楽浄土へなど、逝けるわけがありません。お婆ちゃん、「阿弥陀様のいる西方極楽浄土に生まれたい」というのはいけません。

往生ではなく、成仏です。成仏とは、自分が「仏に成る」ということです。往生とは、「阿弥陀様のいる所へ逝く」ということです。阿弥陀仏の所に生まれるというのはウソなのです。「人間が仏に成る」ということが仏道修行の目的です。法華経を信じる人は、必ず成仏するのです。

貴方が成仏しなければ、永久に救われません。あの人が救われても、貴方は救われません。肝心なことは、「貴方が救われる」ということです。「西方極楽浄土へ逝けば幸せになれる」という話は偽物です。これは仮の教えです。本当の仏教は人間を仏にしていくのです。これを即身成仏といいます。

 

 

『妙法蓮華経授記品第六』

飢えたる国より来って 忽(たちま)ちに大王の膳(そなえ)に遇わんに

心猶(なお)疑懼(ぎく)を懐いて 未だ敢(あ)えて即便(すなわ)ち食(じき)せず

若し復王の教を得 然して後に乃ち敢て食(じき)せんが如く

我等も亦是の如し 毎(つね)に小乗の過(とが)を惟(おも)いて

当に云何して 仏の無上慧を得べきかを知らず

仏の音声の 我等作仏(さぶつ)せんと言(のたま)うを聞くと雖も

心尚憂懼(おうく)を懐くこと 未だ敢て便ち食(じき)せざるが如し

 

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