人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 7 | 中杉弘の人間の探求

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147 ※奈良の大仏も観光客を集めているだけで、「仏教の教えを聞きたい」という人は来ません。そこにいるのは、坊主ではなくて魔物が住んでいるのです。仏教の話は聞けません。それを末法というのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 7


 「劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。」(続き)

仏の寿命は、「無量千万億阿僧祇劫」です。それを専門に説いたのが『妙法蓮華経如来寿量品第十六』です。『妙法蓮華経授学無学人記品第九』では、布石を打っているのです。

何故、そのように言うのかというと、仏様になると、生死の上にいるのです。生死の上にいるのですから、生死はありません。生死がなければ、寿命は永遠です。そのように考えると、すぐにわかるのです。

普通は、生まれた者には、必ず死があります。仏様は生死を超越しているのですから、仏の寿命は永遠です。しかし、仏様は釈迦牟尼仏として生まれたから、説法ができるのです。これは、方便です。仏は方便を持って衆生に示さなければいけません。

「私も生まれて死にますよ」というのは、方便です。それを「方便現涅槃」と言いますが、本当は死にません。仏様は生死の上にいるのですから、死ぬわけがありません。だから、寿命が、「無量千万億阿僧祇劫」だと言っているのです。衆生には信じられませんが、法華経に書かれていることは、全て真実です。生死の上にいるのだから、無量の時間が経っても、仏は死にません。
 「若し人、千万億無量阿僧祇劫の中に於いて、算数校計(さんじゅきょうけい)すとも、知ること得ること能(あた)わじ。」
 若し人々が、千万億無量阿僧祇劫の中に於いて、頭がよい人が計算して仏の寿命を考えても、知ることはできません。頭の構造が違うのです。貴方がいくらコンピューターで、仏の寿命をはじき出そうとしても、そんなことはできるわけがありません。

仏の寿命は、無量劫ですから、貴方の頭で考えることはできません。これは、体験した人でないと、わからないのです。仏様も生まれて死ぬのですから、生死があるのです。仏様は生まれて、死ぬけれども、永遠の生命です。本当は死なないのです。衆生と同じ姿を示すために「方便現涅槃」をするのです。貴方が計算しても、仏の寿命はわかりません。
 「正法世に住すること、寿命に倍し、像法世に住すること、復正法に倍せん。」
 正法が世に住すること、寿命に倍し、像法が世に住すること、復正法に倍するのです。面白いことを言っています。仏様の寿命は無量であるのに、正法は寿命の倍です。無量の時間の倍なのですから、計算などできません。

像法は、正法の時間の倍です。正法は仏の教えが残っている時代です。それもなくなった時代を像法といいます。像法とは、形だけが残るのです。具体的に言うと神社仏閣です。東大寺に行くと、大仏があります。でも、そこに仏はいません。

京都の名所である清水寺へ行っても、お寺や仏像など、造られたものはありますが、教えはありません。東大寺で仏教の話が聞けるのでしょうか? 「仏教の話をしてください」と言っても、それはできません。仏教は、もうありません。それを像法といい、形だげが残っている時代です。

奈良の東大寺は、大仏という仏像が残っているだけです。或は、五重塔という形だけが残っているのです。形だけしかなくて、仏教を説いてくれる仏様はもういません。だから、像法というのです。形だけの時代です。

その形もなくなってしまうと末法です。お釈迦様の法が残っている時代を正法、形だけが残っている時代を像法といい、末法は形もなくなってしまうのです。今は末法ですから、仏教寺院が観光名所になってしまっているのです。

奈良の大仏も観光客を集めているだけで、「仏教の教えを聞きたい」という人は来ません。そこにいるのは、坊主ではなくて魔物が住んでいるのです。仏教の話は聞けません。それを末法というのです。

そのような末法の世には、本当の仏様が現れるのです。「末法の衆生は、どうしたらよいのでしょうか?」と思うのですが、心配はいりません。末法になると、もの凄い仏様が現れるのです。末法の衆生は仏法など求めていません。求めていない衆生に「こっちを向きなさい」と言って、口の中に仏教を投げ込むのです。

今、僕がやっていることは、そのようなことです。衆生が聞きたいのは、祈りが叶うご利益の話です。そのような話はしません。「貴方は仏教の話が聞きたくないのか? 口を開けなさい」と口を開けさせて、教えを投げ込んでいくのです。そのくらい無理強いをしないと、末法に衆生は仏教を聞くことはできません。

末法の衆生は、最悪の悪人ぞろいですから、仏縁は全くありません。仏縁がないから、仏縁をつくってあげるのです。これが折伏です。「法華経を信じると成仏することができるのですから、貴方も信じなさい!」これが、折伏です。すると、こちらをチラッと向くのです。その瞬間に口の中に光を投げ込んであげるのです。折伏は、そのようにやっていくのです。(8に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。(続き)

若し人、千万億無量阿僧祇劫の中に於いて、算数校計(さんじゅきょうけい)すとも、知ること得ること能(あた)わじ。
正法世に住すること、寿命に倍し、像法世に住すること、復正法に倍せん。

 

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