人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経提婆達多品第十二』について 22 | 中杉弘の人間の探求

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352 ※龍樹(りゅうじゅ、梵: नागार्जुन、Nāgārjuna、テルグ語: నాగార్జునుడు、チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、klu sgrub、タイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経提婆達多品第十二』について 22


 「八十種好を以って 用(も)って法身を荘厳せり」
 八十種好を以って、用(も)って法身を荘厳せり。
 「天人の戴仰(たいごう)する所 龍神も咸く恭敬す」
 天人の戴仰(たいごう)する所、龍神も咸く恭敬す。

天人とは、天にいる住人です。日本では、「天女の羽衣」という昔話があります。天人は絹の羽衣を着ていて、寿命も長いのです。寿命が長いので、石の上に腰かけていると、石が削れてしまうのです。その天人は仏様を供養しますが、龍神も供養するのです。
 「一切衆生の類 宗奉(しゅうぶ)せざる者無し」
 一切衆生の類は、最終的には法華経に帰依するのです。法華経に帰依しない者はありません。
 「又聞いて菩提を成ずること 唯仏のみ当に証知したもうべし」
 又聞いて菩提を成ずること、唯仏のみ当に証知したもうべし。

仏様を拝むということと、説法を聞いて菩提を成じるということは、仏様のみがまさに承知したのです。

「一人の人間がどれだけ成仏したのか?」ということは、内面のことだから見えません。「貴方の成仏度は、10%です。では、30%まで行きましょう」というように、成仏の度合いを測れるものではありません。そのようなわけにはいきませんが、全ての衆生は仏様を拝むことになるのです。

衆生は仏様の説法を聞いているのですが、成仏したかどうかは、仏様しかわかりません。仏様から見ると、「この人は成仏してきているな」とわかるのです。これは、仏にしかわかりません。
 「我大乗の教を闡(ひら)いて 苦の衆生を度脱せん」
 我は大乗の教を闡(ひら)いて 苦の衆生を度脱せん。仏様の目的は、衆生の苦を開くことです。人生は苦なのです。その苦の最初を、「四苦」と言ったのです。それが、生老病死です。これは、悉く苦なのです。

生まれてくることも苦、年を取り老人になっていくのも苦、病気になるのも苦、死ぬことも苦しいのです。お釈迦様は、「人生は苦だ」と言われているのです。「オギャー」と赤ん坊が生まれてくるのは、苦しみから生まれてくるのです。

赤ん坊が成長して生きていくということは、苦の連続です。「苦から解脱しなさい」とお釈迦様は言われたのです。どうやって解脱するのでしょうか? 4つの苦はわかりましたが、どうやって解脱するのですか? それをわかることを悟りというのです。

人間の存在は、生老病死です。何処を見ても苦なのです。それをわかった上で、自分というものを悟っていくのです。それが自体顕照です。貴方は生老病死です。生老病死だと知らないで、「人生は楽しいのだ」と言っている人がいます。人生が楽しい人は、そのように言います。

或は、生活苦を抱えている人や、人間関係が上手くいかない人は、「人生は苦だ」と思っているのです。貴方は、どんなにお金持ちになろうと、偉大な政治家になろうと、実業家になろうと、人生は苦そのものです。それを教えてあげることが大事なことです。これがお釈迦様の教えです。

しかし、生老病死と知ることによって、心は楽になりますが、そんなことを教わっても仕方ありません。「解脱する」ということは、「生老病死から解脱させて、どのような人生に変えていくのか?」ということです。そこに意味があるのです。

生老病死だけを習うと、「私は仏教がわかった。人生はあきらめが肝心なのだよ」と思ってしまうのです。生老病死とは、あきらめです。「そのようなものだ」とわかるのです。そうではありません。貴方の人生には、まだその上があります。

最初の生老病死を衆生は理解できたのです。お釈迦様がご入滅されて、時代が経つと、「人生は空である」と言いだしたのです。空などと、カッコイイ言葉が出てきたのです。般若心経は空を説いています。「色即是空 空即是色」これは、空を説いたものです。

空なのですから、生老病死もありません。「生老病死がある」と思っていますが、実際は幻のようなものであり、貴方の正体は亡くなるものではありません。本当は、死んではいないのです。

「生老病死なのだから、人間は死んで終わりだ」と思っても、終わりではありません。また、振り出しに戻るのです。生命は生まれると、「生老病死」で死ぬのです。死ぬとまた生まれて、「生老病死」が続くのです。これを永遠に繰り返していくのです。すると、この世の中で実体のあるものは何もありません。全て錯覚であり、空なのです。

一切の色=目に見えるものは空なのです。空というものは無いというわけではありません。空なのですが、実は有るのです。有るのですが、実体はつかめません。貴方が死んだら、どうやって実体をつかむのでしょうか? 

まして、自分は死ぬのです。何をつかむのでしょうか? 傍で見ている人は、「貴方は死んだ」と思うのです。死んだ人は、動くことはできません。この世の存在は、全て空なのです。

「最終の教えは空なのですか?」と思うと、空ではありません。「中だよ」と言われるのです。これを説いたのが、竜樹の中論です。仏教というものは、空を説いたものではなくて、中を説いたものなのです。(23に続く)

 

 

『妙法蓮華経提婆達多品第十二』

八十種好を以って 用(も)って法身を荘厳せり

天人の戴仰(たいごう)する所 龍神も咸く恭敬す

一切衆生の類 宗奉(しゅうぶ)せざる者無し

又聞いて菩提を成ずること 唯仏のみ当に証知したもうべし

我大乗の教を闡(ひら)いて 苦の衆生を度脱せん

 

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