更年期障害は病気か否か。桃枝は自分の体調不良を更年期障害だと診断されたとき、夫と娘が「病気じゃなくてよかった。ほっとした」と言ったことを、口にはしないが根に持っていた。慰めるつもりで言ったのだろう。だが、その台詞は毎日の死にたいような不調を気のせいだと否定された気がした。今ではもう、夫も娘も桃枝のことを「病気ではない」と思っていないのは分かる。だが、家族が自分のことをどこか軽んじていることも桃枝には分かっていた。(中略)いつ終わるのか。夫の顔にも娘の顔にも、いつもそう書いてある。山本文緒 『自転しながら公転する』 より
478ページはやはり長かった。
朝のうちには読み終えることはできず、午後本を返却に行った。
長いのには理由があるのだと思う。
自由に好きな長さで書いても478ページなのか、連載時の回数やページ数に関係しているのかわからないけれど。
長さに意味があるとすれば、これは32歳女性の主人公の「この人なのか」「この人でいいのか」の逡巡に必要な長さだったのかもしれない。
人はスペックだけでは測れない。
測ろうとすると余計にその人が遠くなる。
更年期障害にしろ何にせよ、自分の経験していない人の辛さを想像だけで理解するのは難しい。
自分が30代の初めにいろんな不定愁訴に襲われた時、それは「死にたい」という言葉では浮かばなかったが、幼い2人の子どもがいたのに「この子たちの成長した姿を見れなくてもしかたない」という言葉で浮かんできたことはあった。
その言葉が浮かんできたことに自分で驚いたが、生きる気力がちょっとずつちょっとずつ目減りしていく日々だった。
寝たきりになるほどでないがいつも不安定な様子の自分を、家族はよくわからない、どうしていいかわからないというふうに見ていた。
そりゃあそうだろう。
逆の立場なら自分もそうだろうし、自分でも説明できない状態なのだから。
その後何十年もかかったけれど、波がありながらも少しずつ楽になっていき、50代も終盤の今が一番安定していると思う。
人って穴ぼこだらけだなと思う。
明日また新たな穴ぼこができるかもしれないけど、寝て食べて体を動かして、ちょっとでも穴の補修をしながら生きていくのかなと思う。
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