最近になってやっと頭に「お墓」というワードが浮かんできたのだが、夫も自分たちのお墓のことなど、おそらく何も考えていないんじゃないかと思われた。



先日喫茶店で私が「お墓のことなんやけど…」と切り出し「お義父さんのお墓って今はお義父さんだけが入ってるけど…」と話を進めて、いつも車で義弟に先導してもらってようやく辿り着く、あの和歌山のお墓に、このままいけば自分も入ることになる、ということに、案の定、初めて、気がついたようだった。





自分が死んだら、あの墓地に入るのか…という想像を、戸惑いつつもひと通りしているであろう時間を待ってから「私も、1ヶ月くらい前に急にお墓のことを考えるようになって」「現実味ないよなぁ」「でも還暦やし、一応お互いどう思ってるかは話しておいたほうがいいかなと思って」と言うと「ほんまやなぁ、ほんまやわぁ」という、まだまだリアルに考えるのは至らないが、一理は大いにあるという反応。





「お墓のことやからお義母さんや義弟とかと気軽に話するのも難しいし、よう考えんとあかんねんけど」

「なんというか… まず私が先に死んだとして、あのお墓に納骨されるというのは、どうも現実味がないねん」

「〇〇(夫)があのお墓に入るというのは筋ではあるよなぁ」

「〇〇が先に死んだら、私が生きてる間はなんとかあのお墓に参りに行こうと思う。でも、私が死んだら〇〇くん(夫の息子  横浜出身在住  車に乗らない)にお願いすることなるんやけど…」




夫の頭の中は、妻が先に死んだり、自分が先に死んだり、自分のお墓に妻が参りに来たり、息子が参りに来たり、で忙しそう。笑




すべて「もし…だったら」の話なのでどうしてもフワフワした話になるのだけど、なぜか、ちょっとした高揚感みたいなものもあって、けっこう話は盛り上がった。




お墓のことって、ここ30年くらいでもずいぶん様変わりしてきて、墓守をする人がいなくなって墓仕舞いをしたり、昔は滅多なことでしなかったお墓の移転の話もよく聞くし、都会のマンション型のお墓に人気があったりで、お墓の常識も変わってきている。



この先10年でももっと変わるだろうから、何かをいま決めてしまうのもどうなのかなとも思う。
お義母さんの存命中に「息子(夫)が死んだらどうしましょう」とは言えないし「私もあのお墓に入らないとダメですか」とも聞けない。
誰も動揺させたり傷つけたりしない範囲で、考えたり、準備しておくしかない。




喫茶店を出る頃には、今の家から車で10分ほどの(歩いても行けるくらいの)場所にある、樹木葬ができるお寺を近いうちに見学しようかという話になった。
1人用、2人用、4人まで用があるとのこと。
これは、まったく想像していなかった。




夫もだんだんと、自分たちに少しはゆかりのある場所で、息子たちにも来てもらいやすい、できれば妻と一緒の、お墓にできないかという思いが湧いてきた様子。





そういう具体的な場所の話が出てくると、あんまりグズグズせずに決めてしまいたいと思えてくる。
決まってしまえばもうお墓について考えなくていい! 準備はちゃんと出来た!となり『明日死ぬかもしれんしなぁ』というようなヨワヨワな考えはどっか行って『こうなったら100まで生きたるでぇ〜』と、妙なファイトが湧いてきそう。
この話、進むのか…?





向き合っておんなじ顔してた。

眠いよぉ








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