かつての私は「頑張ってない人」を否定することで、「頑張っている自分」を肯定したかった。

2021年8月17日 0 投稿者: goldeneuglena

このブログを開設して間もないころ、「友達が少ない」というようなタイトルの記事を書きました。この記事はその後、当ブログの発信する情報の傾向に合わずPVが上がらないこと、また内容も時間が経過するにつれてリアルタイムで自分が思っていることはとズレが生じてきたという理由で、現在は削除しています。

今回はそれと関連して、努力と、環境と、嫌いな人について考えてみた徒然。

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かつての私は「頑張ってない人」を否定することで、「頑張っている自分」を肯定したかった。

今記憶をたどるとその記事は、うつ傾向のある知人との連絡を絶った、という内容でした。

関わりたくないな、面倒くさいなと思っていたのです。彼女(元知人)が抱える困難を私は一緒に担う余裕はなかったし、気を使いながら接するのも疲れるから、適度に距離を置きたい、と思っていたのです。私自身に余裕がなかったので、最終的には連絡を絶ったのでした。

元知人はうつの診断は受けてなかったはずなんですが、他人との交流や遊びには行けるけど仕事には物理的に行けない(起き上がれない、会社のあるビルまで来ても、執務室に入れないなど)ので、少なくとも適応障害やうつっぽい感じで、何かしら精神的にしんどかったのは事実でしょう。

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でも、私は知人を批判したかった。

そんな感じで、一応、頭では理解していたんですよね。精神状況以外にも元知人には頼れる親戚や実家がないと言うのも知ってたので。でも、一緒にいると煩わしく思っていました。

これ、最近になってようやく気が付いたけど、問題は知人ではなく、私なんですよ。

当時の私は、渡米前のビザの準備と、引越し、さらに仕事しつつ自分のやりたい勉強も同時並行。夫は抱えてる仕事が佳境で、でも上司と上手くいかなかったりで、家でも鬱々&ピリピリな彼をケアして…という感じだったんです。今思い返しても、この頃の私はかなり頑張ってたと思うのです。そういえばお弁当も作ってたな…。ほんと、しんどかった。

そんな状況で、元知人に寄りかかられても、受け止めきれなかったのです。むしろ、「私はこんなに頑張ってるのに、こんなにしんどいのに…余計な面倒持ってこないで」と思ってました。

それに元知人が、お金がない、仕事がしんどい、と私に言いつつ、一方でヘアサロンやネイルサロン行ってるのを見ると、口では「素敵ね」と返事しておいて、心の中では「サロンの前に病院では…?」とも思ってました。そもそもお金の使い方なんて人それぞれでしょうに、「優先順位違うのでは?」とか思ってたんですよ。厚かましい。

しんどい状況をどうにか生きてる人/生き切ったと思った人は、そのしんどさが成仏されないうちは、他人に厳しくなるのかもしれません。

辛い当時の私は、自分のしんどさを誰かに認めてほしい、ねぎらって欲しいと思っていたのかもしれません。

あるいは自分自身で「しんどかった、でも頑張ったな私」と認めるだけでも十分だったのかも。

でも渦中にいると自分を客観視する余裕はなくて、結果、他人にも厳しくすることで、「あの人に比べて私は頑張っている」というように自分を慰めたかったのかも…と思います。他人を否定することで、そうではない自分を肯定していたのです。

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達成できる/努力できるというのは、環境要因も大きい気がする

また当時の私は、私がこんなに頑張っているのだから、元知人もできるだろう、頑張れよ、と思っていたのです。そして私から見たら非建設的な活動ばかりの彼女に、腹が立つというか、それを良く思わないというか、そういう視点でした。

でも、最近よく思うんですけど。

「頑張る」「努力する」っていうけど、それって本当は自分の行為だけで成立してないですよね。結構、その時点での状況とか、あるいはもっと過去の、例えば育った家庭の状況などによって、頑張れるかどうかって決まったりしません?

私はアメリカで割と運動してた方なんですけど、私はそれをついこの間まで私個人の意志によるものだと勘違いしてたんです。運動、フランス住んでた時は運動できなくなったのでわかったんですよ。色々あって環境的にしんどくて、運動どころじゃなかったというのが理由なんですけど、意志だけで継続できるなら地獄のフランス生活でも運動できたはずなんですよね。私が運動できたのは、アパートにジムがついてたからよ。

私がちょろっとフランス語できるのも、そりゃもちろん多少は私個人の努力もありますけど、でも何も考えずに高校生活送っていれば大学行ける環境(経済的&人的資源的に)であったこと、進学した大学の第二外国語の先生が超面白い人だったこと、この2つの偶然目の前に転がってた幸運が、とても大きいんです。

逆にこの2点がなかったら、私はフランス語に興味すらなかったかもしれないし、ということは多分夫と結婚もしてないんだろうなぁ…と思うのです。

もし私が元知人であったなら、自分を取り巻く状況を努力でどうにかできたでしょうか。

父親がいない、母親は既に他界、職につながる資格もない、うつ病のような症状があり仕事に行くのもままならない、まとまったお金はなく、保険証が無いので病院に行けない。どうすればいいのでしょうか。おそらく、福祉の手を借りるでしょう。でも、役所の窓口までたどり着けるんでしょうか…必要書類を集めるのにも体力が必要でしょう。

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簡単に変化するなら、あなたと私に違いはあるのか

初めてここに書きますが、フランスに住んでた時実質的にSDF(定住する家がない)に近い状態だったんです。夫も転職活動中で、義母家といざこざがあったりして、固定収入が無いまま泊まれる場所を定期的に変更せざるを得ない状況でした。いとも簡単に人は不安定な状況に陥るのです。

私たちのこの状況は過度な楽観の結果でもあるのですが、アメリカのビザが切れるタイミングとコロナ禍が重なったあの頃に戻っても、結局は同じ選択をする気がします。

不幸中の幸いは、我が家には多少の資金があったこと、そして義父家が受け入れてくれたこと。もしこれがなかったらと想像すると、その先には困難しかない。

でも今の時代、数か月間生活できるまとまった貯金ない人もいます。元々ギリギリの生活だったのに、コロナ禍で仕事をなくした人はとても多い。生活保護を頼れるなら突然路上に放り出されることはないかもしれませんが、受給には条件もあるでしょうし、いくつか手続きを踏む必要があります。

そして一度深い沼に足を取られたら、そこから這い上がるのはとても難しい。定住がなければ銀行口座は開けませんし、働こうと思っても身なりを整えないと面接も通らないでしょうし、整った格好をするにはお金が必要で、でもそのお金がない。信用情報がなければアパートを借りるのだって難しい。

個人の努力でこの状況を脱して社会に再び順応することは可能なのでしょうか?

今まで、ビッグ・イシューを売っている人がいれば購入したり、スーパーで慈善団体が缶詰集めてたら渡してたり、寄付したり、手が届く範囲でできることを少しだけやってはいたのですが、実際に自分がその立場に近づいたときに、今まで全く他人事としてしか認識してなかったんですね。

これほど簡単に状況が変わるなら、私とあなたの違いは何なんだろう。そもそも違いなんてないじゃないか、という感覚は、人権を学校で習ってても得られなかった。

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おわりーこちらの人権を認めない人をどう扱うのかこまる

こんな話を書いてるのも、某メンタリストさんがホームレスの命は猫より価値が無いとか、生活保護受給者は自助努力が足りないという趣旨の発言をしたことに起因してるのですよ。

自分の力で頑張ってきたと自負する人って、頑張ってない人ように見える相手に対して過度に厳しくなる事あるんだけど、それって努力のわりに自己肯定できてないからで、そういうの私にもあったな、と書いておきたかった。

あと、個人の努力だと思ってた成功体験・失敗談って、実は結構その状況に飲まれてしまった結果にすぎない…ってこともあるってことも書きたかったんです。全部が全部そうじゃないけど、自分の力だけで成功した人もそんないないと思う。だから生活保護を受給する場合を個人の努力不足とそんなに簡単に言えないよね、って。

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嫌いな人とかどうする?

最後にもう一個、メンタリストさんが猫よりホームレスの命を軽視してることと、私がう●こ投げつけたいくらい義母旦那を嫌いなことを合わせて考えたかったんです。

義母の旦那とのいざこざを思い返すと、あそこでは私の基本的人権が侵されていたんですよね。相手はオートリタリズム信者なので「人権なんてどうでもいい」と言ってたし、せっかくいらぬと言ってたものをこちらがわざわざ認めてさそあげなくてもいいかな、と思う(いや、そもそも人権を認めるって言い方も変な感じ?)。

でも顔を合わせると私は最低限は相手を尊重しようとすると思うし、いやでも、それもしゃくだしで、絶縁なんですよね。同じ人間として存在は全然認めるけど、遠くで私と関わらずに命を全うしてくれ、という感じですね。

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