札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

札幌市豊平区豊平36号線付近の建築探訪

2024-04-23 21:22:54 | 札幌市豊平区

 

年に一度は市内のいくつかの神社に参拝しますが
「豊平神社」(豊平13丁目)へ行ったついでに豊平1丁目から13丁目まで歩いてみた。


街の中心を貫く国道36号線の起点は札幌中央区の北1西3
札幌から千歳~苫小牧~室蘭までの一般国道。

豊平の古い人は「月寒通り」と呼び
私はタクシーの運転手さんが呼んでいた「サブロク」「サブロク線」と呼んでいる。


スタートは神社から1丁目まで歩き、折り返して13丁目の神社まで戻ってきた

中央区から豊平橋を渡り、住所で言えば千歳方面に向かって右が「豊平4条1丁目」
向かって左が「豊平3条1丁目」で3条と4条は変わらずに進むほどに丁目が上がる。




*この撮影のほとんどは2020年4月~8月です*

※次回は4年間の間に変わったところを載せてみます




まず「豊平4条1丁目」には大型ホテルの「プレミアムホテル ツバキ」がそびえ立っている



ここもラマダだとかルネッサンスだとか名前が変わって働く人は大変だ 以前は家具店だった

お向かいの「豊平3条1丁目」はローソン

昔は「オーケー」というスーパーマーケットだったそう


豊平は古い町だけど最近は大型のマンションが国道沿いに随分と増えて商店街というイメージは遠くなっていいる

その中でも昔からのお店や会社もまだあるわけで
ガラス屋さんや



クリーニング店は閉店したか



「3条2丁目」




1丁目と2丁目の間の通りは菊水~12号線まで続く「大門通り」と呼ばれている
その昔、すすきのにあった「遊郭」をそっくり移転させたのがこの大門通りで
菊水あたりがその中心地だったそうだ

戦後、法律によって「遊郭」は無くなり、今はその存在を知らしめるものはここにはない(跡地としての看板表示はもっと白石区側にあり)

住人にしてみれば無かったことにしたいのかも知れない?



「3条2丁目」





帽子屋さんがある



「4条2丁目」

はんこ屋さんも


歯医者さんも



「3条3丁目」

看板屋さんも


この1角は4軒だ とにかく3階建てが多いのだ

写真屋さんもはんこ屋さんも
これ早朝なのでシャッターは閉まっている(閉店したお店もあるかと…)





茶色いビル右の「ちゅうしん豊平店」は令和元年に閉店していた



このちゅうしんの隣が凄い!

特に左のビルは傾いている!

そして




こちらも閉まっているのだろう




「4条3丁目」

新しい建物も


ワシダさんは中古車業界の老舗




「3条4丁目」

バイク屋さん


パチンコ台屋さん


3階建てが5軒が並ぶ 真ん中は薬屋さんで閉店している


オフィス家具などのリサイクルショップ屋さん

もう1軒、3階建てのビルがあったが取り壊しされていた

空いて医療食品屋さん



美容室、リフォーム、空き家 やはり3階建て


向かいの「4条4丁目」は銀行やお寺などで3階建ての建物はなかった


この4丁目と5丁目の間の道路は手前の大門通りより交通量のある「菊水・旭山公園通り」





菊水方面から旭山公園まで南大橋を渡って繋がる幹線道路で、しかも手前右に南7条橋、左に平岸街道を分ける道がある

その平岸街道・南大橋方面へ少しだけ入ってみたら


やっぱりあった 3階建て



弁当屋さん


印刷会社 窓はありません


左は閉店した業務用クリーニング店






さらに36号線に戻る 5丁目です

「4条5丁目」
ガソリンスタンドの隣奥に歴史的蔵を利用したカフェ


パン屋さん

こちら業務用(学校給食とか)のパン屋さん
そうそう、建物の横に標識が





昔はここが豊平の役場だった
それとパン屋さんの,この中路が旧平岸街道だそう




続けます「4条6丁目」


ここは通信の私立高校を経営する池上学院さんの塾
以前は酒屋さんだったそうで 
池上先生とは一度だけ商談でお会いしたが、さすが一代で学院を築かれただけある強い個性の方だった
お亡くなりになりましたが

正面に窓は無いが横に回ると3階があるのかないのか❔


3階建てではないが通る度に待ち客が目に入る「トリトン」さん



反対側の「3条6丁目」には1軒だけ3階建て

不動産屋さん

隣のお寺の門が立派だ




「3条7丁目」 ここも面白い

3階建て4軒が連なる



カフェ屋さん、床屋さん


個人宅、洋服修理屋さん


北海道銀行豊平支店も3階建て


漢方薬屋さん

3条7丁目は交番で終了




「4条7丁目」です
国道沿いに銭湯があり





左はカフェですね 正面から見ると長方形だけど

横から見ると

このパターンの建物が多い



「4条8丁目」
豊平は古い町だけあって寺院が多い



老舗の丸富旅館 1階の食堂は宿泊者以外でも利用できる?



「3条8丁目」

ここも3階建て、4階建てが連なる




ビストロ、自転車屋さん


個人宅、床屋さん



4条8丁目にこんな標識が


ここにはその昔、定山渓鉄道の「豊平駅」があった
この右側の建物が駅舎でした。

突き当りの東光ストアが開業当初に駅舎があった場所

ちょっと別所にあった定鉄の路線図



ちなみに、現在も中央区内で走っている路面電車は
この36号線も走っていた
やはりここが終点で豊平橋を渡り今のすすきのと繋がっていたようだ

昭和44年に定鉄が、昭和46年に市電が廃止された。



「3条9丁目」
シンプルな社屋ビルだね


こちらの会社の裏手に歴史を感じる倉庫がある


新しい建物も3階建てがあるね



硝子屋さん




向かいの「4条9丁目」
生命保険会社も3階建て


新築も3階建て




「4条10丁目」

窓はないけど3階はありそう
王道だね

こちらも古くからの会社



「3条10丁目」はパチンコ屋さんやコンビニなど


「4条11丁目」まで来た
個性的な家も


ケーキ屋さんも

パティスリーフレール 何度か利用しているイイお店



「3条12丁目」
街並みに合わせて3階にではないでしょう




こちらは古いかな




ついにラスト「4条13丁目」

国道に面している土地が狭いのでしょうか


国道沿いラストはこちら

ラストにふさわしい豊平3階建ては餅屋さんだった


隣が豊平神社



4条側はセイコーマート


3条側はカーディーラーで豊平区豊平が終わりです



ここから先は「豊平区 美園」になる







推測ですが
この地は早くからの開拓で、36号線沿いは多くの商店などで賑わい
個人住宅は少なかったと思う

早い賑わいゆえ、建て替えが戦後くらいから始まり
古い建物が無くなっていった
歴史があるのに歴史的なものが少なく感じる街だ

そして市電も定山渓鉄道もこの街から無くなった

今はマンションや個人住宅が増えてお店や会社が減った
昔ながらの石造りの蔵も減ったよね


3階建ては、おそらく1階が店舗、2階が事務所・住居、3階が倉庫・物置ではないかと・・・
もう少しきちんと文献なりをみて勉強したらいいのだろうけどねぇ


前記したけど次回は今月撮影したものと変化を見る

 


田上義也氏の設計探訪(未確認物件) ※1軒追加しました

2024-04-22 21:49:19 | 田上義也氏

田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日- 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。

大正から昭和にかけて、北海道を拠点に活躍した。若くしてフランク・ロイド・ライトの影響を受け、確かな腕を持つ棟梁の小島与市と出会った。北海道の気候風土に根ざした、特徴的な要素を持つ洋風建築を数多く残している

また、札幌交響楽団の創立者でもあり、初代指揮者も兼務した。 
※wikipediaより

 

現存する主な設計作品として

※旧小熊邸(現ドリーバーデン)札幌市
※坂牛邸 小樽市
※旧佐田邸 函館市
※旧北見教育会網走博物館 網走市
※北海道銀行本店 札幌市
※八雲町庁舎・公民館 八雲町
※人形劇場こぐま座 札幌市
※日本キリスト教会札幌北一条教会新会堂 札幌市
※札幌教育文化会館 札幌市
※北海道立旭川美術館 旭川市
※本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市
※豊平川さけ科学館 札幌市

上記以外でも現存、すでに解体された建物がたくさんあるのが特徴。

 

いくつかの書籍やサイト、ブログ等で設計したことがわかっても
それが現在残っているのか無いものなのか自分でわからない物件を深堀していきたい。

ただ「これは⁈」という物件があっても確証が無いものがあり
ここに保留物件として記載して行こうと思う


田上氏関係の書籍以外に研究のサイトとして非常に参考となる
「札幌ノスタルジック建築散歩」様を参考にさせていただきました

 

 

①1969年設計 丸越㈱ 帯広市 NEW


書籍「北のまれびと」の田上氏設計史に
「1969年 丸越ビル 帯広」の記載あり

ネットで見てみると
昭和26(1951)年設立の「丸越株式会社」があり自社HPには社屋ビルの写真があった
繊維製品総合卸の会社で業者向けの卸会社である

田上氏との繋がりは不明だが、帯広に行ったので寄ってみた。

出来れば「定礎」があれば竣工年が判ったと思うが、探したが無かった。

一般個人への販売はしていないので関係者以外はビル内に入ることが出来なく未確認物件です

 

 

 

 

 

 

 

②1967年設計 札幌造形美術学園 札幌市

この記録からネット検索すると「同名」の学校はヒットしない
類似したもので

①「北海道造形美術学園」 創立?
②「札幌美術学園」 創立1953年
③「北海道造形デザイン専門学校」 創立1961年 ※1966年北海道美術学校に改名

このうち①は創立年がわからず また現校舎はそんなに古いものではない
③は学校の沿革がきちんと記載されており田上氏の設計ではないようだ

②の「札幌美術学園」は60年の歴史ある校舎と謳っており、期待して行ってみた。


中央区南5条西26丁目


この正面の建物はまだ新しく見えたが、その裏に建つ建物が歴史あり


裏面


校名が見えるので、建築当時はこちらが本校舎だったのかも知れない。

屋根は変更されているように見えた
塗装の剥げ具合が歴史を感じる
連続する窓がいい感じだ。

 

田上氏、同年の設計で現存しているのは

「高台病院」 豊平区

これを推して似ているとは中々言い難く、札幌美術学園が田上氏設計の確証はまだない
もう少し調べてみたい。

 

これは学校案内のパンフにあったもの

 

 

③1962年設計 K谷氏邸 札幌市


K谷氏は苗字しかわからない
しかし田上氏設計の建物の代表者にK谷氏の名前を見る。

自宅から始まり次に会社の建物を依頼する
またその逆も氏の設計にはよくみるパターンで、
古くは関場博士の別荘から自宅
旧小熊邸に入った北海道銀行初代頭取の島本氏は邸の増築から銀行支店の数々と例がある。

一応設計の記録では
1956年 施設の改築
1962年 自宅新築
1968年 施設新築竣工
1969年 寮新築 となっているが関係性の確証はまだない

K谷氏の自宅をストリートビューで見てみると、補修や改築はありそうだが
田上氏の個性は?と言われると……

ただ真上からの写真を大きく見ると

 

マークの下に見える白い枠はパーゴラではないだろうか
田上氏の住宅作品の中でパーゴラが一つの特徴でもあったと思う
ストリートビューからは木々が多く確認はしていないが。

もちろん他者でもパーゴラを用いたりするだろうが
今回は、「同性」の方が代表をしている施設の設計を田上氏がしていること
そして「同性」の方の自宅にはパーゴラがありそうなこと

だが同じく確証はないので保留としたい。

 

 


木造校舎・廃校 占冠村の閉校

2024-04-18 20:24:03 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

 

  • 占冠村立湯ノ沢小学校(1963年占冠小へ統合)
  • 占冠村立下苫鵡小学校ホロカ分校(1970年)
  • 占冠村立新入小学校(1975年)
  • 占冠村立下苫鵡小学校(1977年)
  • 占冠村立双珠別小学校(1997年)
  • 占冠村立占冠小学校(2005年
  • 占冠村立トマム小学校(2017年占冠村立トマム中学校と統合し占冠村立トマム学校へ)

 

「旧占冠村立双珠別小学校」

 

開校:明治41(1908)年
閉校:平成9(1997)年
校舎:()年竣工

占冠村双珠別



今回の旅行行程で占冠村の学校は予定が無かった。

たまたま帰札の日に清水町で雨と霧が強くなり、予定をしていた日勝峠をあきらめて道東道に乗った。
すぐ占冠インター降りて国道274号線に合流する途中にこの学校があった。

 

校舎はみたところ新しいので補修をしたのだろう
敷地内は残雪で入るのをあきらめた。

現存しているのは校舎と校名プレート付の校門、バックネット
それと記念碑があったが残雪でほとんど見えなかった。

校舎はおそらく木造モルタルだろう
板張りの場合は古さも味があるがモルタルはきれいな方が好きだ
なのでこの校舎は私にとっては素敵な校舎となった。

 

だが正直、あまり通る道ではないので再訪は難しいだろう が、
見るべきものを見ていないということは覚えておかないとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※2024年3月撮影

 


木造校舎・廃校 音更町の閉校

2024-04-17 15:22:00 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

  • 音更町立光和小学校(1975年音更町立駒場小学校へ統合)
  • 音更町立葭原小学校(1979年音更町立東士幌小学校へ統合)
  • 音更町立高倉小学校(1983年音更町立東士狩小学校へ統合)
  • 音更町立長流枝内小学校(1984年音更町立下士幌小学校へ統合)
  • 音更町立鎮練小学校(1986年東士狩小へ統合)
  • 音更町立然別小学校(1995年音更町立鈴蘭小学校へ統合)
  • 音更町立南中士幌小学校(1999年駒場小へ統合)
  • 音更町立上然別小学校(2002年駒場小へ統合)
  • 音更町立東中音更小学校(2010年駒場小へ統合)
  • 音更町立豊田小学校(2015年駒場小へ統合)
  • 音更町立昭和小学校(2020年音更町立音更小学校へ統合)
  • 音更町立南中音更小学校(2021年駒場小へ統合)

 

「旧音更町立然別小学校」

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成7(1995)年
校舎:昭和35(1960)年竣工

音更町然別8線西45



今回の十勝旅行では幕別町~音更町は2日目の帰途中でスケジュールを立てた。
どうしても帰途のルート上にある閉校しか訪問できず、音更町からも1校の記載になった。

 

旧然別小学校は道道214号線沿いにあり、校名プレート付の校門がある。
敷地内には校舎と体育館は現存しており、グーグルマップでは「然別児童館」の表記があった(臨時休業と表記)

パッと見て校舎と体育館の新しさが違うように見える
校舎は木造モルタルかもしれない

他に大きな石の80周年記念碑と閉校記念碑があり
奥には教員住宅であろう建物もある。

閉校したが地元では活用されているようで、学校全体がほぼ変わらぬ姿のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※2024年3月撮影

 

 


木造校舎・廃校 幕別町の閉校

2024-04-15 16:25:14 | 木造校舎・廃校

幕別町の閉校(小学校) 赤字は今回レポート

 

幕別町

幕別町(2006年・幕別町〈新〉へ)

  • 幕別町立南勢小学校(1970年幕別小〈初代〉・幕別町立糠内小学校・西猿別小へ分割統合)
  • 幕別町立弘和小学校(1972年
  • 幕別町立豊岡小学校(1974年
  • 幕別町立幕別小学校〈初代〉(1978年統合により幕別町立幕別小学校〈2代目〉へ
  • 幕別町立新川小学校(同上
  • 幕別町立西猿別小学校(同上
  • 幕別町立大豊小学校(同上
  • 幕別町立美川小学校(1980年糠内小へ統合
  • 幕別町立新和小学校(1987年幕別小へ統合
  • 幕別町立相川小学校(1996年幕別小へ統合)
  • 幕別町立中里小学校(1989年には入学者がおらず代わりにヤギが入学したが、1998年閉校となり糠内小へ統合
  • 幕別町立古舞小学校(2024年幕別町立札内南小学校へ統合)

 

「旧幕別町立相川小学校」

 

開校:明治32(1899)年
閉校:平成8(1996)年
校舎:昭和55(1980)年竣工

幕別町相川403



現在は「まなびや相川」となっている

今回の閉校巡りは1泊2日の温泉旅行に組み込んでおり、
閉校以外のレトロ建物見学を優先したのと閉校は木造建築の現存が多い、
芽室町を優先したので幕別町からはルート上の1校だけの見学となった。

旧相川小学校は国道38号線に面しており訪問しやすく
雨天でもあり助かる。

RC造りの校舎、体育館とも健在で最後の建築もそう古くはなかったようだ。

ただ雨を気にしすぎて現存している校門を撮り損ねたのは失敗だった。

敷地内には記念碑、二宮像もありまだ卒業生達も思い出に浸れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影