大津ヶ丘権現古墳・石塔と大島田安房栖神社と泉蔵寺東葛印旛大師第49・74番ポタリング

大津ヶ丘前原公園

東葛印旛大師88ポタリングこれまでと今回

さて、
東葛印旛大師88ポタリング

ここまでは、
キッカケの柏地区呼塚の常夜燈以外は全て旧沼南地域。

・手賀地区
  札所6・掛所2
・布瀬地区
  札所4・元札所1
箕輪地区
  札所4・元札所1
・片山地区
  札所1
・鷲野谷地区(含染井入新田地区)
  札所6・元札所1
・泉地区
  札所4・掛所3
柳戸地区
  札所2・掛所1・元札所1
・岩井地区
  札所2・掛所1・元札所1
若白毛地区
  札所3・元札所1
大井地区
  札所2・元札所1
五條谷地区
  札所2・元札所1
金山地区
  札所2
藤ヶ谷地区
  札所3・番外1
・藤ヶ谷新田地区
  札所1

その旧沼南地域17地区のうち、
14地区までは進んだ。

まわった札所は41・元札所8・掛所7・番外1
となる。

それで今回は、
旧沼南地域の17地区の内の15地区目になる大島田地区

ここは、
若白毛地区お隣

地図だと、
こんな感じ。

この大島田地区には、
東葛印旛大師の札所が2つ元札所が1つある。

大島田地区
  ①泉蔵寺 49・74番札所
  ※安房栖神社 元49番

その前に周辺の寄り道で、
大島田地区のお隣の大津ヶ丘地区へ。

沼南の歴史をあるく51 大津ヶ丘前原公園の古墳と庚申塔

大津ヶ丘前原公園

安房栖神社から1Kmもないところに、
大津ヶ丘前原公園という公園がある。

大津ヶ丘前原公園沼南の歴史をあるく51

この公園は、
沼南の歴史をあるく51 前原公園

大津ヶ丘前原公園沼南の歴史をあるく51

この公園には、
「権現古墳」と言う古墳が現状保存されています。
この団地のある場所には、
縄文時代から、
奈良・平安時代にかけての集落跡が沢山あり、
現在と同じく多くの人々が生活していました。
古墳の前の石塔は全部で11基あり、
道標や庚申講として各所に建てられていたものをここに集めました。

沼南の歴史をあるく51 前原公園
大津ヶ丘前原公園権現古墳

というわけで、
ここには権現古墳という円墳が保存されている。

直径は20mくらいで、
高さは2mくらい。

この古墳の前には、
説明文にもあったように11基の石塔が並んでいる。

各所に建てられていたものをここに集めたのは良いんだけれど、
どこにあったものか?がわかるとより良いのだが。

多くのこういった石塔の元々の分布図みたいなものって、
ないんだろうか?

大津ヶ丘前原公園石塔

左から、
安永八年(1779年)文字二十三夜塔

大津ヶ丘前原公園石塔文字二十三夜塔

寛政四年(1792年)
多分駒形大明神石祠

大津ヶ丘前原公園石塔駒形大明神

天保六年(1835年)
尾鑿までは読める。

大津ヶ丘前原公園石塔

天保十年(1839年)
ショケラ持ちの青面金剛塔

大津ヶ丘前原公園六臂青面金剛塔

享和四年(1804年)
文字青面金剛塔

大津ヶ丘前原公園文字青面金剛塔

三猿のうち、
右の聞か猿の傾げた首がカワイイ。

大津ヶ丘前原公園文字青面金剛塔三猿

享保十年(1725年)
六臂青面金剛塔

大津ヶ丘前原公園ショケラ持ちの青面金剛塔

貞享五年(1688年)
文字庚申塔

妙法奉修庚供養とか、
二世安楽云々と刻まれている。

大津ヶ丘前原公園文字庚申塔

三猿は、
皆正面向き。

大津ヶ丘前原公園文字庚申塔三猿

文政六年(1823年)
猿田彦大神塔

大津ヶ丘前原公園猿田彦大神塔

この三猿は、
三猿神楽舞かな?

猿田彦大神塔

台座に講中と刻まれた次のものは、
崩壊していて不明。

大津ヶ丘前原公園崩壊した石塔

天保四年(1833年)
山神石祠

大津ヶ丘前原公園山神石祠

最後は、
明治31年(1898年)馬頭観音文字塔

大津ヶ丘前原公園馬頭観音文字塔

沼南の歴史をあるく52 安房栖神社

大島田地区安房柄神社

安房栖は、
あわす

沼南の歴史をあるく52は、
この安房柄神社泉蔵寺なのだが白い標柱はない。

大島田地区安房柄神社

境内石碑によると、
創建は元和六年(1620年)。

大島田地区安房柄神社

地区の氏神様として、
少名彦名命を祀っている。

大島田地区安房柄神社

今の社殿は、
まだ新しく平成二十四年(2012年)に改築されたもの。

大島田地区安房柄神社

全てが新しいわけではなく、
狛犬明治28年(1895年)のもの。

大島田地区安房柄神社

手水舎は新しそうだけど、
手水鉢文政十二年(1829年)のもの。

社殿裏にまわると結構いろいろあって、
中央には鹿島神社

大島田地区安房柄神社

その左側に並んでいるのは、
浅間大菩薩阿夫利大神と刻まれた庚申塔。

大島田地区安房柄神社

三峰神社と刻まれた庚申塔、
そのうしろには不明な石祠

大島田地区安房柄神社

出羽三山塔に、
百万遍供養塔

右にも、
不明の石祠がいろいろ。

大島田地区安房柄神社

鳥居の正面には、
待道大権現

大島田地区安房柄神社

この安房栖神社が、
以前は東葛印旛大師第49番だったらしいが近くの泉蔵寺に移されている。

沼南の歴史をあるく52 泉蔵寺

大島田地区泉蔵寺

その普門山遍照院泉蔵寺は、
安房栖神社と同じく元和6年(1620年)の創建とされる。

こちらに沼南の歴史をあるく52の標柱があるかと思いきや、
こちらにもなかった。

本堂は、
昭和53年(1978年)再建

門前右手には、
宝永五年(1708年)三面六臂合掌の青面金剛像塔

大島田地区泉蔵寺

三猿の隣に二鶏がいるのは、
珍しい。

何となくこれって、
箕輪で見た庚申塔を思い起こさせる。

時代の開きは、
あちらが正徳2年(1712年)で4年なので同じ人がつくったとしても不思議ではない。

木祠の前には、
文政十二年(1829年)の庚申塔

大島田地区泉蔵寺

門前左手には、
お家は新しいが享保九年(1724年)六地蔵

大島田地区泉蔵寺

同じく、
標石が2基ある。

大島田地区泉蔵寺

新四國七十四番の方は文化五年(1808年)のもので、
新四國四拾九番淨土寺冩伊予國文政11年(1828年)のもの。

境内の左には、
これまたいろいろと並んでいる。

大島田地区泉蔵寺

左から、
光明真言供養塔

次の石碑には中央上に出羽三山
両脇に西國秩父坂東四國八十八カ所

中央下には、
光明真言百万遍・真ん中に彌?寶號一千万遍・高王?5千?

右は、
享保十年(1725年)青面金剛塔

大島田地区泉蔵寺

青面金剛塔の左奥にも
小さな線彫りの石碑がある。

大島田地区泉蔵寺

木祠の中には、
明和六年(1769年)の南無勢至菩薩塔

大島田地区泉蔵寺

文政七年(1824年)弘法大師塔
寛文十一年(1671年)金剛界大日塔

無縫塔の並んだ先にも、
まだいろいろある。

大島田地区泉蔵寺

明治29年(1896年)
線彫りの釈迦三尊碑

大島田地区泉蔵寺

3基の十九夜塔は、
享保三年(1718年)・文政七年(1824年)・元禄四年(1691年)のもの

台座に女人講中と刻まれた石祠は、
判読不明というか差し換えられているのかな。

大島田地区泉蔵寺石祠

これは新しそうだけど、
不明。

大島田地区泉蔵寺

東葛印旛大師第49・74番

大島田地区泉蔵寺東葛印旛大師第49・74番

東葛印旛大師第49・74番は、
1つ屋根の下。

大島田地区泉蔵寺東葛印旛大師第49・74番

実際の四国八十八所霊場第49番は、
浄土寺

大島田地区泉蔵寺東葛印旛大師第49・74番

所在地:愛媛県松山市鷹子町
創建年:(伝)天平勝宝年間(749年-757年)
開基:恵明
山号:西林山
院号:三蔵院
寺号:浄土寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:釈迦如来
真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌:十悪の わが身を棄てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ

大島田地区泉蔵寺東葛印旛大師第49・74番

実際の四国八十八所霊場第74番は、
甲山寺

大島田地区泉蔵寺東葛印旛大師第49・74番

所在地:香川県善通寺市弘田町
創建年:(伝)弘仁12年(821年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:医王山
院号:多宝院
寺号:甲山寺
宗派:真言宗善通寺派
本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:十二神 味方に持てる 戦には おのれとこころ 甲やまかな

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
大島田地区第49・74番

その第49・74番があるのが、
普門山遍照院泉蔵寺

そして元第49番
安房栖神社

寄り道で、
大津ヶ丘地区の前原公園にある権現古墳と11基の石塔も併せて一緒に。

東葛印旛大師第49・74番ポタリングMAP

過去分1はこちら

過去分2はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

コメント

タイトルとURLをコピーしました