先日、初めて登山家だった栗城史多さんのことを知りました。
*一応、公式ブログ載せておきます↓↓↓
登山家YouTuberで「元ニート」としてその名を広めた栗城さん。
様々なプロの登山家から「3.5流だ!」「マラソンでいうとあいつは市民ランナーだ!」などと言われながらも、以下のことを達成しました。
- 2004年マッキンリー(北米最高峰)(6194m)登頂
- 2005年アコンカグア(南米最高峰)(6959m)登頂
- 2005年エルブルース(ヨーロッパ最高峰)(5642m)登頂
- 2005年キリマンジャロ(アフリカ最高峰)(5895m)登頂
- 2006年カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰)(4884m)登頂
- 2007年ビンソンマシフ(南極最高峰)(4892m)登頂
つまり、六大陸最高峰を全て制しているんですよね、、、
これでも十分凄いんですが、栗城さんには登山家としての目標がありました。
それが、、、
エベレスト(ユーラシア最高峰)(8848m)登頂
でした。
結果的に栗城さんは2009年から亡くなるまで計八回登頂アタックをしていますが、いずれも失敗、、、
そして、2012年の四度目の登頂アタックの際、指9本を第二関節から切断するという大怪我を負ってしまいます。
しかし、それでも諦めませんでした……
あくまでも栗城さんに見えているのは「エベレスト登頂」という目標だけでした、、、
そして、迎えた2018年シーズン。
栗城さんは八度目のエベレスト登頂アタックを仕掛けます。
今回栗城さんが行おうとしていたのは、
「エベレスト南西壁単独無酸素登頂」
という、まだ人類史上誰も達成していないことでした。
- エベレストの南西壁というのは最難関と言われる場所です。↓↓↓
登山家曰く、南東陵ルートを東京タワーの内側階段ルートだとすると、南西壁ルートというのは
東京タワーの側面をよじ登る
という感覚だそうです。
そんな難しい南西壁ルート、歴史から見ても難しいのが分かります。
人類史上初登頂が1953年なのに対して、南西壁ルートでの人類初登頂が1975年でした。
20年もブランクがある!!!
- エベレスト無酸素の難しさ
エベレストの山頂の酸素濃度は地上の三分の一だと言われています。
そして、酸素ボンベが必要になるのが8000m以上(いわゆるデスゾーン)。
つまり、8848mあるエベレストを登頂するには酸素ボンベが普通必要なのです。
- 単独登頂…
エベレスト単独登頂はとても難しいそうです。いわゆるロープを使った登りが基本的にはできない(?)そうです。そして、なおさら南西壁を登るのであれば、自分でルートを開拓しなければならない…(普通はプロのシェルパが先にルートを切り開くのだそうです)。
これらの難しさが全て合わさった「エベレスト南西壁単独無酸素登頂」は最難関だということがわかります。
そして、指9本を失った状態で「エベレスト南西壁単独無酸素登頂」をアタックした栗城さん、、、
「無謀だ!」「指失ってまでもやるのは上からの圧力だ!」
結果的には批判的な意見が多くなってしまった結末…
2018年5月21日。
入山時より続いていた体調不良により下山を開始していた時でした、、、
無線連絡が途切れ、キャンプ2付近にいたシェルパがルートを登って捜索したところ、栗城の遺体を発見しました。
何度も逆境に立たされながらも「エベレスト登頂」を目標に最期まで貫いていた栗城さん。「登る勇気」はあるのに「降りる勇気」がなかったなどと言われますが、彼の最期まで貫いた姿勢やモットーというのは人々にいい意味でも悪い意味でも大きな影響を与えたと思います。(主もその一人です)
今回は、「登山家:栗城史多さん」について取り上げました。最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後に栗城史多さんのYouTubeチャンネルを載せておきます(最後の投稿が3年前なのが痛々しい…)↓↓↓
栗城史多 "Share the Dream" - YouTube
それでは、、、