日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

東大門前殺傷事件、この国の知的世界への警鐘である

2022年01月18日 07時48分54秒 | 政治
 15日早朝、東京大学弥生キャンパス前の歩道で、大学入学共通テストを受験しに来た高校生2人を含む男女3人が、名古屋から出てきた高校2年生の男子に包丁で刺され、重軽傷を負うという陰惨な事件が起きた。
 報道によれば、犯人は愛知県NO.1進学校の2年生。東大医学部への進学を希望している(た?)が、最近思うように学力が伸びないことに悩んでいたという。そのことが、どういう頭脳経路をたどってこういう凶悪犯罪に直結したのかは理解できないが、本人にしてみれば大事件であったのであろう。それ自体がすでに<貧困な青春>と言わなければならないのだが・・・
 おそらく、わざわざ周到に凶器を準備し、一晩かけて名古屋から東京まで出てきて凶行に及ぶにつては、その朝始まる、そして待ったなしに来年のこの朝、当人が受験することになる入試について、こういうシステムが少なくとも自身の意識の中で価値の無いものにするためにこの凶行を実行しようと考えたのであろう(?)。
 東大医学部に合格する「正」なる事態と、その大学前で凶器を振り回す「負」の行為とがプラスとマイナスの違いはありながらも十分に「対」になると考えた幼児性は、日本の英才教育の正味の無価値を表しているようで絶望的になってくる。
 その学校が発表したメッセージがひろく新聞に報道されている。曰く、「本校は、もとより勉学だけが高校生活のすべてではないというメッセージを、授業の場のみならず、さまざまな自主活動を通じて、発信してきました。また本校の長い歴史のなかで、そのような校風を培ってきました。ところが、昨今のコロナ禍のなかで、(中略)「密」をつくるなという社会風潮のなかで、個々の生徒が分断され、そのなかで孤立感を深めている生徒が存在しているのかもしれません。今回の事件も、事件に関わった本校生徒の身勝手な言動は、孤立感にさいなまれて自分しか見えていない状況のなかで引き起こされたものと思われます。(以下)」」(2022/01/17毎日新聞)
 この事件を「学校」の責に帰するのはお門違いだろう。しかし、ここに言うようにこれを「コロナ」の所為にするのもまた当たらない。そうではなくて、この国の民が持つ学校教育に期待する貧困な要求(=有名大学入試合格)、その結果として偏差値競争に見る入試競争の愚劣さ、それに耐えかねた少年の一人が件の高校2年生だったのではないか?
 これを要するに、彼は氷山の一角にすぎず、国を挙げてする一大行事=「大学入試共通テスト」の日の早朝に、はるばる名古屋くんだりから「東大」弥生門までやってきてその門前で凶行に及ぶという、17歳にもなってこの知恵の無さ、それが偏差値73の有名高校の生徒が体得していたという、総じてのこの国の教育システムこそが国を挙げて猛省すべき問題点ではないか?
 日本の大学の国際ランキングはこの10年間ただただ落ちていくだけだった。予算は削られ、知的興味の赴くままに知的空間を拡大していく学術文化は見る影もない。そんな大学に夢を見る若者がしたこういう凶行、これは絶望の証である。このままでは、10年後には日本人ノーベル賞は皆無になるだろう。この悲劇はこの国の知的世界へのちっぽけで大きなおおきな警鐘である。
 


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