僕が好きなマーラーの交響曲

マーラーの全ての交響曲(大地の歌を除く)に対する特集の第2弾である。

僕は自分の趣味に合わないと言いながらも、それなりにマーラーの音楽は聴いてきた。合唱団のメンバーとして世界的な指揮者とオーケストラの舞台でオンステした貴重な体験もある。

我が家にあるマーラーの交響曲のCDコレクション
我が家にあるマーラーの交響曲のCDコレクション。全集が6種類ある。他には復活と第九が多い。

 

大好きでたまらない曲もいくつかあるので、先ずはそこから。

「ヴェニスに死す」で使われた第5番のアダージェット

何と言っても最高なのは、第5番のあの有名なアダージェット。第4楽章である。

あれがマーラーの残した最高に美しく、心奪われる音楽であることに異論のある人はいないだろう。

本当にこれは冷静でいられなくなるほどの悪魔的なまでに美しく、心の平常を保てなくなるほどの官能的にして耽美的な音楽。

美と官能が零れ落ちるかのようだ。

陶酔の極みのような音楽が切々と訴えかけてきて、酔わされてしまう。

これがあのイタリアの名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の一世を風靡した名作「ヴェニスに死す」のテーマ音楽であったことを知らない人はいまい。

ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」もチラシ
ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」のチラシ。

 

元々のトーマス・マンの原作では、絶世の美少年に心を奪われて、死の危険が迫っていることを知りながらも、彼を追いかけることを断念できなかった主人公は小説家だったのだが、ヴィスコンティはこれを作曲家に翻案し、正にマーラーをモデルにし、その主人公の死に被せた音楽がこのアダージェットだった。

映画「ヴェニスに死す」の1シーン。
映画「ヴェニスに死す」からの1シーン。主役のダーク・ボガード。
映画「ヴェニスに死す」からの1シーン。
映画「ヴェニスに死す」からの1シーン。終盤の映像。ダーク・ボガード。

 

これ以上、映画のテーマと映像に深く合致した音楽は考えられない。

僕は初めてこの映画を観て、初めてこの音楽を聴いた時に、その滴り落ちそうな耽美性と陶酔感に忽ち心を奪われてしまった

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第2番「復活」は小澤征爾&サイトウ・キネンにオンステ

第2番「復活」は本格的に活動している合唱団のメンバーにとっては、かなり馴染みの深い曲である。

ベートーヴェンの第九の影響を受けて、この最終の第5楽章には合唱が入る。

ところがこの合唱はいかにも短い。「復活」そのものは1時間半近くにも及ぶ長大な曲であるにも拘らず、最後の最後に出てくる合唱は、何と10分にも満たない短いもの。

これはいかにもバランスが悪い。

延々とうるさい?曲を聴かされ続け、最後の最後に10分だけ歌うのである。

この合唱はかなり美しく、感動的ではあるが、そこに至るまでのあまりにも長い音楽が好きになれない。何度も何度も聴かされたのだが、「復活」を好きな曲とは到底呼べなかった。

僕は関屋晋という著名な合唱指揮者の下で歌っていた時代があり、その関屋晋がオーケストラと合わせるときに編成される「晋友会」合唱団のメンバーとして、様々な世界的な名指揮者の指揮で、オーケストラを伴う合唱作品の名作や大作を何度も歌うという幸運な時期があった。

マーラーの「復活」もそんな曲の一つだったのだ。

マーラーの「復活」は、小澤征爾の指揮でサイトウ・キネン・オーケストラとの演奏にオンステすることができた。これはかけがえのない貴重な体験となっている。このときは「晋友会」でもオーディションを実施して、それに合格した上でのオンステであり、非常に嬉しい体験だった。

アルトのソロは大歌手のナタリー・シュトッツマンだったことを良く覚えている。

サイトウ・キネンとしては珍しい年末年始にかけての2都市での公演(演奏会は確か4回開催されたはず)で、松本と東京は上野の文化会館の大ホールで歌った感動は忘れられない。その時のCDが市販されており、これはかけがえのない宝物となっている。

僕がオンステした演奏会のCD。小澤征爾、サイトウ・キネン・オーケストラ。
僕がオンステした演奏会のCD。貴重な体験をさせてもらった。

僕がオンステした演奏会のCDの解説書から。
僕がオンステした演奏会のCDの解説書から。晋友会の表示が。2000年の年明け。

 

☟ 興味を持たれた方は、こちらからご購入の上、聴いてみてください。
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マーラー:交響曲第2番「復活」 [ 小澤征爾 ]

最高傑作で、最も好きな曲は迷うことなく第9番

マーラーで最も好きな曲は交響曲第9番である。これは本当に素晴らしい曲で、かなり昔から何度も繰り返し聴いてきた。

直前の第8番「千人の交響曲」では複数の大合唱団と児童合唱、多数のソリストを擁する肥大化の極致とも言うべき大規模な作品を作り、その次には第九の名前を避けて、敢えて番号を振らずに作曲した実質的な交響曲である「大地の歌」でも全面的に歌手を擁して声楽を加えたマーラーが、この第9番では純然たる器楽だけに戻り、規模も縮小し、しかも第4楽章までという典型的な古典派の交響曲の基本に立ち返った第9番「マーラーの第九」だ。

それがマーラーの最高傑作となったというのは皮肉な話しだが、本当にこの曲には一切の無駄がなく、純粋器楽としての粋と切り詰めた純粋な美しさに満ち溢れている。

形式的には典型的な古典派の交響曲と同様なのだが、第1楽章と第4楽章に緩徐楽章を用いている点は珍しい。この冒頭と終楽章の緩徐楽章が素晴らしい聴きものなのである。ここには死の予感があると言われる感動的な音楽だ。

これを聴けばみんなマーラーを好きにならずにはいられないという超一級の至高の音楽

それでいて、その響きは如何にも20世紀という新しい時代の音を充溢している。

☟ 第9番には名盤が揃っているが、何といっても一番のお薦めは、イギリスの名指揮者バルビローリがベルリン・フィルハーモニーを指揮した1枚。これが圧倒的な名演奏でお薦め。本当に素晴らしい。
ベルリン・フィルの客演として指揮をしたが、その指揮と演奏に感動したベルリン・フィルの団員が、どうしても一緒にレコーディングしたいと熱望して実現したエピソードはあまりにも有名だ。稀有の名盤。絶対に聴いてほしい。

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マーラー:交響曲第9番/バルビローリ(ジョン)[CD]【返品種別A】

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全10曲の交響曲の辛口一言コメント

この機会にマーラーの全交響曲に対して、僕の勝手なコメントを書かせてもらう。

いかんせんマーラーについての僕の聴き込みは極めて不十分である。いくつかの曲を除いて、今まで僕はあまりじっくりとマーラーを聴いてきたわけではないのだから。

そんな僕のコメント、評価などと言うつもりは毛頭ない。評価ではなく、現時点での僕の簡単な感想、薄っぺらい寸評である。あまりあてにもならないが、率直にありのままに書かせてもらう。かなり辛口な部分もあるだろう。納得できない向きにはどうかご容赦を願いたい。

気軽に読んでもらえれば幸いだ。

マーラーの写真
マーラーの写真。右側を向いた写真が非常に多いのが特徴。

第1番ニ長調「巨人」

【概要】

作曲1884〜88年。マーラー24〜28歳。約50分。全4楽章。
J・パウルの小説「巨人」(タイタン)に発想を得て2部5楽章の「交響詩」として初演されたが、後に第2楽章を削除して4楽章からなる交響曲に改作された。
第2楽章は自作の歌曲集「さすらう若人の歌」第2曲からの引用。第3楽章は同歌曲集の第4曲からの引用。

【コメント】

マーラーの作品の中でもとりわけ有名で演奏される機会も多く、人気の高い曲なのだが、僕にとっては全くつまらない曲と言うしかない。本当にこの曲との相性は最悪だ。

これはマーラーの有名な歌曲集「さすらう若人の歌」と双子のような関係にある曲で、「さすらう若人の歌」のメロディが随所に出てくるのだが、これがいただけない。「さすらう若人の歌」は僕が熱愛しているフィッシャー・ディースカウがあのフルトヴェングラーの指揮で歌う素晴らしい演奏があるのだが、あれはフィッシャー・ディースカウが歌うから聴く気になるし、感動もするが、ハッキリ言って低俗な、陳腐なメロディだと言いたくなる代物。歌ならまだ許せるのだが、これが器楽で演奏されると嫌になってしまう。

特に耐えがたいのは第3楽章の有名なメロディ。これを聴く度に吹き出して笑ってしまいたくなる何だ、このバカバカしいメロディは。こんなものが大作曲家が作曲するメロディなのかと、聴く度に唖然とさせられる。

「さすらう若人の歌」の第4曲目に使われているのだが、歌曲ならともかく、これは交響曲に用いられるメロディなのだろうか。

こんなどうしようもない曲を作曲したマーラーが、よくぞ後に第5番や第9番のような稀有な名曲を作るところまで到達したものだといつも感心してしまう。

本当にこの第1番「巨人」はどうなのか。格調の高さとは全く無縁で、管楽器や打楽器の扱いも大作曲家の仕事だとは到底思えない。僕にとっては聴くに堪えない曲。

☟ フィッシャー・ディースカウが歌う「さすらう若人の歌」をどうか聴いていただきたい。第1番の交響曲はともかく、この歌曲は本当に素晴らしく、感動的だ。フルトヴェングラーの指揮。
フルトヴェングラーは若いフィッシャー・ディースカウからマーラーの魅力の全て教えてもらったと言っている。

☟ 1,345円(税込)。送料無料。


マーラー:歌曲集≪さすらう若人の歌≫≪亡き児をしのぶ歌≫ [ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ]

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第2番ハ短調「復活」

【概要】

作曲1888〜94年。マーラー28〜34歳。約80分。全5楽章。
ソプラノ・アルト・混声合唱。
第3楽章に自作の歌曲集「少年の魔法の角笛」の6番「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」からの引用。第4楽章に同歌曲集の12番「原光」からの引用(角笛三部作の1)。
第3楽章まで書き上げた後に、著名な指揮者H・ビューローの葬儀で聴いたフリードリヒ・クロプシュトックの詩による「復活」の合唱に感銘を受けて、同じ詩による合唱を第5楽章に引用。

【コメント】

あの低俗で陳腐な音楽を作っていたマーラーが一挙にそれなりの格調の高い音楽を作ったことには驚かされる。1番「巨人」とはまるで違うレベルで安心はするのだが、やはりまだまだ僕には不満が多い。

上述のとおり小澤征爾の指揮でサイトウ・キネン・オーケストラと一緒に歌った忘れ難い貴重な記憶はあるのだが、それでもこの曲は、それほど好きにはなれない。

どうだ!といわんばかりのもったいぶった曲想妙に深刻めいた仰々しい曲想がハッタリに聴こえてしまう。マーラーの苦悩と切実な思いが僕には素直に伝わってこないのだ。何故か好きになれない。自分でも不思議なくらい。

そもそもうるさ過ぎるのだ。特に管楽器がうるさい。洗練さとは無縁の音楽なのである。

第5楽章の最後の最後の合唱の部分はかなり感動的である。どうせならこの合唱部分をもっと長く、縦横無尽に展開してほしかったと思う。

有名なマーラーの写真
非常に有名なマーラーの写真。いつも右側を向いている。

第3番ニ短調

【概要】

作曲1893〜96年。33〜36歳。約90分。全6楽章。
アルト・児童合唱・女声合唱。
第4楽章にニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」からの詩。第5楽章に自作の歌曲集「少年の魔法の角笛」の11番「3人の天使がやさしい歌を歌う」からの引用(角笛三部作の2)。
一貫して自然をテーマとし、全体を通じて生命のない世界から、動植物、人間を経て、天上的な世界に至る発展の過程を段階的に表現している。作曲当時、マーラーが夏の度に療養に訪れていたシュタインバッハを取り巻く自然が霊感を与えたと言われている。

【コメント】

この曲は最も長い交響曲として、一時期はギネスにも掲載されていたらしい。

何とも素晴らしい曲だ。僕の好みに最もフィットするマーラーの交響曲かもしれない。上述のとおり自然をテーマにしながら、最後に天上まで聴く者を誘ってくれるかけがえのない一品。あのうるさ過ぎる第2番「復活」から、よくぞここまで静謐さに満ちた癒しの音楽に到達したものだと感嘆してしまう。時にマーラー30代半ば。この優しさに満ち溢れた境地は聴いていて本当に心地良い。

第1楽章も忘れ難いが、第3楽章のホルンが牧歌的でこころが和む。第4楽章は更にホルンの魅力が全開。優しいホルンに導かれるアルトの独唱が心に染み渡る。抒情的ないかにも天国的な優しさに満ち溢れている。そして終楽章の第6楽章に至って、天上に導かれ、そこで地上の苦悩から逃れ、癒されることになる。聴いていて悲しくもないのに自然に涙が込み上げてくるかけがえのない曲

最美のマーラーがここにはある。多くの音楽ファンと、今、苦悩の真っただ中にある全ての悩める人に聴いていただきたい。

きっと救われるに違いない。

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第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」

【概要】

作曲1899〜1900年。マーラー39〜40歳。約55分。全4楽章。
ソプラノ。
第3楽章は自作の歌曲「夏に小鳥はかわり」を編曲。第4楽章に自作の歌曲集「少年の魔法の角笛」の5番「天上の生活」からの引用(角笛三部作の3)。
マーラーとしては珍しく小編成のオーケストラを用いて、童話的な世界を描いたユーモアあふれる作品。

【コメント】

曲の冒頭、第1楽章の非常に軽やかな響きがまるでモーツァルトのようで惹きつけられる。軽やかに加えて伸びやか、非常に美しくもあり、これは好きになってしまう。上機嫌のマーラーがここにはいる。第2楽章も小規模のオーケストラならではの個々の楽器が躍動する様がストレートに伝わってくるようで耳に心地よい。バロック音楽のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)のよう。

第3楽章の美しさは格別。いかにもマーラーならではの緩徐楽章である。ゆったりとした伸びやかな響きが癒しに誘う。

マーラーの写真
マーラーの写真。

第5番ハ短調

【概要】

作曲1901〜02年。マーラー41〜42歳。約70分。全5楽章。

【コメント】

曲の冒頭のトランペットによるファンファーレが実に印象的で、カッコイイのである。悲愴感を奏でるが、あまり深刻さを増していかずに、むしろカーニヴァル的な華やかさが展開される。聴きごたえ十分。
マーラーが41歳から42歳にかけての作曲。正に最も脂が乗っていた時の会心の一作だ。第5番の交響曲というと作曲家は誰でも力が入った渾身作を作曲するという典型例。これもそれも全てベートーヴェンの第5番「運命」の影響である。

この曲の魅力については既に詳しく書いたので、そちらをお読みいただきたい↑。

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第6番イ短調「悲劇的」

【概要】

作曲1903〜04年。マーラー43〜44歳。約80分。全4楽章。

【コメント】

第1楽章の冒頭の激しい行進曲風の曲調が、この作品のとトレードマークとなっていて、それが故の「悲劇的」なのだろうが、この音楽は僕の好みではない。不安を煽るような音楽で、どうしても好きになれず、魅力を感じない。第2楽章も何だか非常に似たような音楽だ。タイトルのとおり悲劇的な色彩が強く、その上、なんだか非常に厭世的でもある。

マーラーの交響曲の中でも非常に人気の高い1曲ということなのだが、僕としてはあまり好きになれないのである。

第3楽章のアンダンテ・モデラートはいかにもマーラーらしい典型的な緩徐楽章としての魅力を放つが、他のアダージェットやアダージョほどの魅力は乏しい。そうは言っても非常に美しい音楽ではあるが。

第7番ホ短調「夜の歌」

【概要】

作曲1904〜05年。マーラー44〜45歳。約80分。全5楽章。第2楽章と第4楽章は「夜曲」と名付けられている。

【コメント】

冒頭第1楽章、マーラーお得意のホルン(テノールホルン)がいかにも魅力的なメロディを奏で、惹きこまれる。その後は万華鏡のように曲想が目まぐるしく展開していくのが特徴だ。ホルンと弦楽器の絡み合いが実に興味深い。第2楽章でもホルンから始まる。近現代の作曲家で、ここまでホルンに大きな役割を担わせたのはマーラー以外に思いつかない。その先には次々に様々な管楽器が競い合うように登場してくる。マーラーはホルンに限らず管楽器を非常に有用に扱った作曲家であった。

「夜曲」と名付けられた第4楽章は実に優しい。ここでもホルンの活躍が目覚ましいが、ヴァイオリンも非常に印象に残る。
この第7番の交響曲は、悲劇的かつ厭世的だった第6番に対して全体的に明るくて、未来志向のエネルギーを感じさせてくれるのが好ましい

第8番変ホ長調「千人の交響曲」

【概要】

作曲1906年。マーラー46歳。約90分。全2部。第2部は更に3部から構成される。
ソプラノ3人・アルト2人・テノール・バリトン・ベース・2群の混声合唱・児童合唱。
第1部は賛歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」(ラテン語)。第2部はゲーテの「ファウスト 第二部」から終幕の場(ドイツ語)による。

【コメント】

感動的な素晴らしい曲で、僕はかなり気に入っている。

先ずは合唱が素晴らしい。こんな肥大したとしか言いようがひたすら大規模な編成を誇りながら、実は、意外なほどの静謐を極めた弱音で響かせる合唱が秀逸。その上でのうねりと高揚感。もちろん大迫力にも事欠かない。これは聴きものだ。

ベートーヴェンの第九の合唱には、何度歌ってもほとんど魅力を感じることのない僕としては、「第九」よりも「千人の交響曲」の合唱の方がよっぽど好きだ。この曲はもっと聴かれてもいいのに、どうしてもこの編成の大きさがネックになって、気楽に演奏するというわけにはいかないのだろう。残念なことだ。

晋友会で歌っていた当時、何度かこの曲を歌うチャンスがあったのが、逃してしまって実際には歌ったことがないのが痛恨の極み。

マーラーの全ての交響曲の中でも突出した規模の大きさを誇るこの第8番は、それゆえにあまり実際の演奏に接する機会も少なく、これだけマーラーの交響曲が広く聴かれ、人気が高じる中にあって、この第8番は少し敬遠されているきらいがある。だが、間違いなくこれはマーラーの全作品を通じても屈指の傑作だと信じて疑わない。

マーラーの戯画
マーラーの有名な戯画。テオ・ツァッシェ作のカリカチュアである。実はこのカリカチュアは第1番「巨人」の演奏を揶揄したもの。楽譜も第1番である、念のため。

マーラー自身の言葉

オランダの名指揮者メンゲルベルクに宛てた手紙が有名だ。「これまでの私の作品の中で一番大きなもので、内容の点でも、形式の点でも、独特のものであって、それを言葉で表現することはできません。大宇宙が響きはじめる様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなくて、太陽の運行の声です」

さらに「今までの私の交響曲は、全てこの曲に対する序曲にすぎなかった。これまでの作品は、いずれも主観的な悲劇を扱っていたが、この交響曲は、偉大な歓喜と栄光をたたえるものである」とまで書いている。かなりの自信を抱いていたようである。

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第9番ニ長調

【概要】

作曲1909年。マーラー49歳。約75分。全4楽章。

【コメント】

上述のとおり、本当に素晴らしい傑作。マーラーの最高傑作と断言させてもらう。僕としてもマーラーの全作品の中で最も愛してやまない曲であるばかりか、僕の知る限りのありとあらゆるクラシック音楽の中でも屈指の名作。僕の好きな全てのクラシック音楽のトップテンの一翼を占めるものだと言ってもいい。ベストテンは苦しいかもしれないが、ベスト20の中には間違いなく入ってくる。

第1楽章の素晴らしさはもちろんだが、やっぱり最後の第4楽章の魅力は格別だ。第4楽章の冒頭の息の長いメロディを聴いただけで、メロメロになってしまうくらいに惹きこまれる。これは良く言われるように死への憧憬、あるいは諦念の音楽だと僕も感じる。

聴いていて切々と胸に迫ってきて、冷静でいられなくなる。極端なことを言ってしまうと、僕はマーラーではこの第九の第4楽章と、第5番のアダージェットの2曲さえあれば満足。この2曲さえ聴いていられれば他にはいらないと言ったら、世のマーラーファンからは怒られそうだが、本音ではある。

第10番嬰ヘ長調(未完)

【概要】

作曲1910年。マーラー50歳。
第1楽章のアダージョのみ完成。第3楽章はスコアのスケッチがあり、他は草稿のまま残された。
イギリスの音楽学者D・クックの補筆による全曲版があり、多くのレコーディングもある。

【コメント】

この唯一残されたアダージョが、とてつもなく美しい名曲なのである。本当にこの美しさは尋常ではない。異様なまでの透明な美しさを誇って、聴く者を魅了して話さない。

第5番のアダージェットと第9番のアダージョの2曲さえあれば他はいらない何てことを書いたが、とんでもないこと。この第10番のアダージョを抜かすわけにはいかない。

この弦楽器による引いては打ち寄せる息の長い妖しげな旋律は、マーラーの最良の部分が集結したもの。静かでいて、じわじわと少しずつ高揚してくる様はマーラーにしか書けなかったものだ。その透明感と寂寥感と遥か先を見つめているかのようでいて、耽美的でも官能的でもある音の世界は、マーラーの傑出した能力が凝縮していて、聴く者を虜にして離さない。本当に魂を抜き取られてしまいそうな音楽である。

よくぞこの部分だけでも残してくれたとマーラーには心から感謝したい。

マーラーは晩年に大きな挫折を体験し、そこから立ち直ろうとする矢先での50歳という若さでの無念の死であった。作曲家はモーツァルト、シューベルト、ショパンに代表されるように若死にが多いが、マーラー50歳というのも若過ぎる。

各交響曲の作曲した年齢を見てもらうと一目瞭然だが、マーラーは相当に真面目で几帳面な性格だったのか、第1交響曲からこの第10番まで、途切れることなく作曲し続けている。ある交響曲を作曲し終えると、直ぐに同年か次の年から決まって次作の交響曲の作曲に取り掛かっている。後、10年永らえれば、多分間違いなくあと3~4曲の交響曲を作曲してくれたはずだ。そう思うと残念でならない。

後10年なんて言わない。せめて後1年だけでも寿命が続けば、第10交響曲は完成させることができただろう。

クックの全曲版もいいもののようだが、僕はCDを持っているのに一度も聴いたことがない。将来の楽しみにとっておこう。

我が家のマーラーの交響曲のCDコレクションを立てて撮影したもの
我が家のマーラーの交響曲のCDコレクション。

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全交響曲を好きな順に並べると

現時点(2022年7月)で10曲の全てのマーラーの交響曲を好きな順に並べてみると、以下のようになる。
いずれ変わる日もあると思うが。

①第9番
②第5番
③第10番(未完)
④第3番
⑤第8番「千人の交響曲」
⑥第4番「大いなる喜びへの賛歌」
⑦第7番「夜の歌」
⑧第6番「悲劇的」
⑨第2番「復活」
⑩第1番「巨人」・・・これは不動の定位置!

総括すると

最後に、著名な指揮者ゲオルク・ショルティのマーラーに対する言葉を紹介しておきたい。
現在、マーラーの交響曲作品はその規模の大きさや複雑さにも関わらず世界中のオーケストラにより頻繁に演奏されているが、その理由について、ショルティはこう述べている。 

「マーラーが偶像視されるようになったのは偶然ではない。演奏の質に関わらず、マーラーの交響曲ならコンサートホールは必ず満員になる。現代の聴衆をこれほど惹きつけるのは、その音楽に不安、愛、苦悩、恐れ、混沌といった現代社会の特徴が現れているからだろう」

今回、じっくりとマーラーの音楽を聴いてみると、その言っている意味は非常に良く理解できる。現代人と現代社会の「不安、愛、苦悩、恐れ、混沌」を表現した作曲家マーラー。僕はそれに「孤独」と「疎外感」を付け加えたいと考えるが、これから益々マーラーの音楽の需要が高まっていくことだけは間違いなさそうだ。

 

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