車椅子の経験から

2022年11月27日

僕の通う作業所には、車椅子の利用者が数名いる。
手狭なフロアだから、車椅子が邪魔になることもある。先日は、本当につまずいた。
だからといって悪態をついたりはしない。もしかしたら、そこにいるのは自分だったかもしれないから。
出退勤するのに他人に車椅子を押してもらって。トイレへ入れば時間がかかる。道具一つ床に落としただけで大事になり。不用意に動けば他人にぶつかってしまうことも。
みんなから煙たがられているかも、と思いながら通所するのは辛い。車椅子になった理由と併せての二重苦を経験したくないし、他人にさせたくもない。

僕は一時期、車椅子での移動を余儀なくされていた。
足を切断してから、退院して義足で歩けるようになるまで。家の中では松葉杖を使い、富山の病院へ通うのに車椅子が必要だった。
基本的には駅と病院とその周辺だけの車椅子。何とかなるにはなるけど、制約が多すぎて快適性はほとんどない。
列車の乗り降りには駅員が対応してくれるけど、よほど慣れた人でないと危なっかしい。その最大の関門を抜けても、エレベーターが遠い位置にあるのが通例で、駅員に押してもらう時間がやけに長くなる。
病院へ向かうタクシーが発着する私鉄駅では、係員のいる時間しか介助できないと言われた。そして、病院の診察が遅れたら、係員のいる最後の便にギリギリだったこともある。
当時の僕は、病み上がり。網膜症の術後ケアで通院していたこともあり、目の見え方はかなり悪かった。相当な無理をして富山へ行っていた。
車椅子に乗っていると、平面的に見える都会の地面が、実は起伏だらけだと嫌でも分かる。バリアフリーなんて嘘っぱちだ。それに、緊急事態宣言の真っ只中で通行人の消えた駅を自力で走行する車椅子は、僕だけだった。
そういう経験があるから、途中で義足を制作し、車椅子ではなく自分の足で歩いて病院へ向かった時の感慨はひとしおだった。松葉杖を用心棒として持っていても、車椅子の制約とは段違いだった。
駅員の手を煩わすことがない。買い物が自由にできる。好きな店で食事ができる。その当たり前を取り戻せたことがとても嬉しくて、ありがたかった。

現実的な観測をすれば、死ぬまで義足で歩ける可能性はかなり低い。加齢だけでなく、環境や体調の変化によってもリスクは高まってしまう。
僕の場合、いつでも車椅子のお世話になることを想定していなければならない。恒常であれ、一時的であれ、そうなってしまう時を考えたら、車椅子は他人事ではない。
富山への通院で味わったあの惨めさをまた経験することになる。しかも今度は助けてくれる人がいてくれる保証もない。車椅子生活になれば、はっきり言って絶望しかない。
それでも作業所へ通うことができれば、気持ちはいくらか楽になる。自分の居場所を失わないためにも、他の人を邪険に扱ってはいけない。
彼らは全員、なってもおかしくない僕の鏡像だ。車椅子の人がいて、むしろ安心している面もある。
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