2022年9月13日火曜日

Inox (1986)

INOX - INOX (1986)

当時大手レーベルからリリースされた、Heavy Metalバンドの唯一のアルバム

先日訪れた、パウリスタ通りのFeira de Vinilにて、1986年にCBSからリリースされたINOXのレコードを発見。


 

 

 第一回Rock In Rio開催(1985年)以降、ブラジル各地で次々に登場したHard Rock、Heavy Metal Band。Made In BrazilのRolando Castello Jr.(Dr.)、Fernando Costa(Gt.)、当時TV Culturaの音楽番組(Som Pop)で司会を務めていた"Paulinho Heavy" (Paulinho Toledo)、Segis Capuano(Ba.)という布陣でサンパウロで結成されたバンドの1stアルバム。

プロデュースは国内で大成功を収めたパウロ・ヒカルド率いるロックバンド、RPMの『Revoluções Por Minuto』を手掛けたLuiz Carlos Maluly氏。


 当時インディーで活躍していたBandが誰もが夢を見たレコードのメジャーリリース。それを初めて成し遂げた数少ないバンドの一つ。またこの作品は母国語(ポ語)で歌うパワーメタルの隠れた名盤。アルバムは国内で高評価を得て、セールスも良かったようだが、残念ながらこれ以降のアルバムリリースは適わなかった。恐らく、ブラジル国内で当時へヴィな作品を売り出すことに、大手レコード会社は消極的であったようだ。へヴィなロック作品のセールスは、後に現れるRaimundosの登場を待たなければならなかった…。

 Rangerで幕を開ける、ブラジルのHeavy Metal黎明期にリリースされた、生々しい音源に耳を傾けてみたい。Gary Mooreの「Nuclear Attack」のCoverも収録。

 

 2016年の復活ライブ☟

 
 
 
オブリガード 
Rev. Guenyu Katata (Monge Roqueiro)

2021年5月3日月曜日

A Ferro e Fogo

HARPPIA - A FERRO E FOGO (1985)

サン・パウロを代表する正統派Heavy Metalバンドの記念すべき1stEP

Baratos AfinsレーベルのオーナーLuiz Calanca氏は、SP Metalとは別に、最も優れたアーティストに対しては、独自にソロ作品のリリースを考えていた。

そこへ白羽の矢が当たったのが、

 

Harppia

 

だった。 彼らは既に相当の人気を博しており、演奏技術も群を抜いていた(現在も40年以上に渡ってオリジナルメンバーのTibério(Dr)氏を中心に活動を続けている)。

 

サン・パウロはAnhangabaú駅の傍に位置するWoodstock Discos(レーベル、レコード店共に休業しているが、店舗は現存する)での貴重なライブ映像(1988年)。

 

ベロ・オリゾンテのCogmelo Recordsがそうであったように、Woodstock Discosはサン・パウロのロック、メタル好きの社交場であり、キッズ達が情報交換を行う重要スポットであったようだ。 

 

特筆すべきは、現ギタリストが女性で日系人のAya Makiさんが在籍している事。


彼女は、女性メンバーのみのIron Maidenトリビュートバンド、

Wonder Maidensの中心メンバーでもある。

 
 
さて、名曲『Salem』でヘッドバンギング、エアギターしながら、サン・パウロでHeavy Metalが開花した当時へタイムトリップしよう!
 
 
 
オブリガード 
Rev. Guenyu Katata (Monge Roqueiro)
 

2021年3月19日金曜日

Ultimatum

 Ultimatum(1985)

第一回Rock In Rio開催と同日に発売された、歴史的スプリット・アルバム 

1985年1月11日は第1回Rock In Rioがブラジルで開催された日として知られている(映画『グローバル・メタル』の中でサム氏が、取り上げたことで有名)。

 

その映画にも主要人物として登場するのが、Dorsal AtlânticaのCarlos氏( Gt, Vocal)であるが、氏率いる同バンドはリオ・デ・ジャネイロのメタルシーンを代表するバンドであるとともに、ブラジルにおけるThrash Metalバンドのパイオニアとしても知られる。

 

セパルトゥラのMax Cavalera氏が書いた自伝『My Bloody Roots』には、印象深いシーンが描写されている。

 

80年代初頭(バンド結成は81年)に、7歳年上の従弟と共に幼き日のMax(12歳頃)が地元で初めて観た屋外でのフェスティバルで、唯一のメタルバンドとしてDorsalが出演しており、その登場シーンが後の彼の人生を変えたのだそうだ。

 

A primeira coisa  que o vocalista disse quando pegou o microfone foi : "Somos o Dorsal, do Rio. Se não gostarem de nós, vão tomar no cu!"

 「俺たちはリオのドルサルだ!俺たちの事を気に入らねえ奴はFXXK YOUだ!」そうして演奏が始まった。


まるで、Venomの様に目の周りに黒縁メイクを施した彼らの容貌からサウンドまで、まさにこれだ!という鮮烈なイメージを幼き日のMaxに与え、Sepultura結成への動機に繋がったということだ。


そんな彼らが、自らの楽器類を売り払ってまで出した、500枚のコピーが当時のロックブームとの先駆けとなって、注目を集めることとなった。

 

飾りっ気のないまっすぐなサウンドは、 ブラジル版のMotorheadとも称され、Punk影響下の強いアグレッシブなサウンドを封じ込めている。

 

また当時、結成間もない15~18歳のメンバー率いるMetalmorphoseも、NWOBHM直系の正統派パワーメタルサウンドを聴かせてくれる。残念ながら、彼らの活動期間は短いが2008年に再結成し『Máquina dos Sentidos』(2012)を発表。この内容がまた素晴らしい。

  

Dorsal Atlânticaは紆余曲折もあったが、現在も健在であり、New Album『Pandemia』のリリースも近いもよう。

 

来月よりオフィシャル・ホームページからも順次情報が更新される様なので要チェック♪

 

追記、今年(2021年)に企画されたブラジルのバンドによるSlayerトリビュート『BRAZILIAN TRIBUTE TO SLAYER』にももちろん参加されています!

 

このパンデミックの世の中を、ともに乗り越えよう!

 

Jamais Desista!

決して諦めるな!

 

オブリガード 
Rev. Guenyu Katata (Monge Roqueiro)

2020年12月18日金曜日

SP Metal

 SP Metal (1984)

サン・パウロのへヴィ・メタルバンド、4バンドの音源が収録されたスプリット・アルバム

 

1980年代前半、世界的なHeavy Metalムーブメントはブラジルにもじわりじわりと浸透し、サン・パウロ州都サン・パウロ市では、若者たちを中心に次々と新しいバンドが結成された。Anthro、Ave de Veludo、Cygnus、Anacrusa、Harpia、YX、Santuário、Vírus、 Avenger、 Salário Mínimo、Centúrias、 Patrulha do Espaço、 Féretro、 Pulsar、 Korzus、 Minotauro、 Titãnio、 Deimos等

そんな中でレコードをリリースすることが叶わず、けれど積極的に活動して人気を博していた若いサン・パウロのバンドらに声をかけ、 レコードを作るというアイデアを請け負ったのが、ブラジル初のインディ・レーベル(店舗を兼ねている)と言われるBaratos Afinsの店主Luiz Calanca氏である。


 サン・パウロのロック情報発信基地ガレリア・ド・ホッキ(Galeria do Rock)に店を構える(レコードコレクターにはすでに有名?)

氏はまだまだご健在である(サイン頂きました♪)。

 さて、限られた情報の中、低予算にてレコードが製作された。

1984年の1stスプリットには、Avenger、Centúrias、Salário Mínimo 、Vírusの4バンドが選ばれ、それぞれが2曲ずつを録音。 Centúrias、Salário Mínimoは現在も活動を続けている(Salário MínimoのカリスマVo、China Leeさんは最近脱退してしまったらしいけど)。カヴァーアートはVírusのFlávioさんが担当(DIY精神!)

翌年(1985)にはVol.2が製作され、こちらにはKorzus、 Abutre、 Performances、 Santuário の4組が選ばれた。

Korzusは現在も活躍中!ただ、この時実は選考からは外れていたらしい。

本来はCérberoが選ばれていたが、彼らがアメリカに移住するために出国する日と収録日が重なり、代わりにKorzusが選ばれることになった。CérberoはSepultura以前より英語で歌ったバンドとして知られる。アメリカでもそこそこ活躍したようだ。

 

そうして、時代は軍事政権の終わりを迎え、

ブラジルロック史においては重要な1985年、

第一回Rock In Rio開催の年を迎える。

 

Rock In Rioを境に開花する、ブラジルのロック・ブーム以前の軍事政権下において、Heavy Metalの力を信じて時代を切り開こうと、その歌に込めた彼らの熱いメッセージを聴いてみたい。 

 
 
Cidadão do Mundo - Avenger
(世界のメタルヘッズたちへ)
 
Se você ama judas priest (もし君がJudas Priestのファンであるなら)
Se Metallica lhe facina (メタリカが君を魅了するなら)
Me dê a sua mão (その手を俺に差し伸べよ!)
Vamos até onde nos deixarem (彼らが示すその場所へ行こう)

Com asas em fogo (燃えたぎる翼を羽ばたかせ)
Aterrisando em cada cidade (世界中の街へ降り立とう)
Vou parando a cada dia (毎日のように)
Executando a cada noite (毎晩のように)

Voando de norte a sul (北から南まで飛び回ろう)
Por terras geladas(凍った大地であろうと)
Por infernos dos desertos (灼熱の砂漠であろうと)
E subúrbios mal formados (荒れ果てた郊外の街であろうと)

O caminho está traçado (それが俺たちの歩む道)
 
Cidadão do mundo (世界のメタルヘッズたちよ!)
Onde passarei? (どこに向かうのか?)
Cidadão do mundo (世界のメタルヘッズたちよ!)
Minha marca deixarei (刻印を残そう)

Cidadão do mundo(世界のメタルヘッズたちよ!)


Guerreiros do Metal - Korzus 

(メタルの戦士)

 
Está na hora de rompermos todas as barreiras 
(全ての障害を打ち破るときがきた!)
Nem trovões, nem tempestades mudarão nossos passos 
(たとえ雷であろうと嵐であろうと、俺たちの歩みを止めることはできない)

Faremos da realidade o metal pesado
(へヴィメタルをぶちかまそう!)
E ninguém vai nos deter 
(誰にも邪魔はさせないさ)

Porque lutamos pelo metal! (メタルで戦いを挑むのさ!)
Porque lutamos pelo metal!(メタルで戦いを挑むのさ!)
Com a energia nós somos imbatíveis (そのエネルギーは無敵だから)

E o poder da rapidez está em nossas veias (高速の力が帆をなびかせる)
Nós somos os guerreiros do metal! (俺たちはメタルの戦士なのだ!)

E não adianta vocês tentarem nos vencer (俺たちを倒そうなんて無駄なこと)

Porque lutamos pelo metal! (メタルで戦いを挑むのだから!)
Porque lutamos pelo metal!(メタルが最強の力だから!)

 

Extra :

ちなみに、この時代のブラジルのメタルが好き過ぎて、フィンランド人にも関わらず、わざわざポルトガル語で曲を歌うForça Macabraというバンドがある。

このヴァージョン素敵過ぎるので、こっちも張っておきます。

 
 
 Missão Metálica!!
メタルミッション発動 !!

 
 
 
オブリガード 
Rev. Guenyu Katata (Monge Roqueiro)

2020年11月28日土曜日

Stress

 Stress(1982)

ブラジル初のHeavy Metal Album

 

 

Stress 

 

ブラジルは北部アマゾン河口の街、Belém(PA)にて結成されたバンド。ブラジルで初めてHeavy Metalのレコードを発表したバンドとして知られる。 


1970年代のブラジルには、A Barca do Sol, A Bolha, Arnaldo Baptista&Patrulha de Espaço, Bixo da Seda, Casa das Maquinas, Made In Brazil, Módulo 1000, Moto Perpétuo, O Peso, O Terço, Os Lobos, Os Mutantes, Raul Seixas, Rock da Mortalha, Som Nosso de Cada Dia, Spectrum, Tutti Frutti, Utopia, Veludo, Vímanaといった、優れたロック・バンド、アーティストが既に活動しており、ブラジルでも数多くのロック作品が発表されてきた。

 

が、N.W.O.B.H.Mの流れを汲む、所謂Heavy Metalの作品を正式にリリースしたのは、Stressが1982年にリリースした同タイトルのレコードが最初と言われている。

 

結成は1974年と古く、当初はLed Zeppelin、Black Sabath、Deep PurpleやNazareth等をコピーするバンドとしてスタートする。

 

同じ学校のルームメイトたちとの作曲活動、積極的なライブ活動等によって少しずつ知名度を上げていき、地元ではかなり人気のあるバンドに成長した。

カレッジスクールの卒業を控え、若干二十歳の彼らは一大決心をする。


レコードを作ろう!

 

それまで、ベレンはおろかブラジルでHeavy Metalのレコードはリリースされておらず(軍事政権下のブラジルでは、輸入品が禁止されており、また海外の音楽情報が正しく伝わることは無かったそうだ)、まったくの手探り状態で、巨大な音楽マーケットのあるリオ・デ・ジャネイロにレコードを作りに行くことを決める。


Belém→Rio de Janeiro

3.250km 

何とこの行程を、バスで丸3日掛けて移動した!!というのだから驚き。それに、手配したスタジオ(Sonoviso)が前情報とは違って酷い状況。その小さな録音スタジオには、ただ壊れたドラムセットが置かれてあり、針金やテープ等で補強するところから始めたそうだ(当時のリオにもHeavy Metalのレコードを扱うスタジオや、エンジニア等存在しなかったという事)。

 

しかも、 レコーディングに掛けた時間はわずか2日(1982年8月3,4日)。

トータルで16時間というスピード作業。

 

さらに、当初の予算をオーバーしてMixにかける資金が足りなくなり…。

 

"Quando o técnico foi ao banheiro pegamos a fita e saímos fugidos do estúdio, corremos para o metrô e desaparecemos. Era o jeito... Tudo pelo Metal" , ironiza Roosevelt.

(Roadie Crew No.82 Novembro de 2005)

「エンジニアがトイレに行ったとき、オリジナル・テープを持ってスタジオから逃げたんだ。地下鉄まで走って、フェイドアウト。全てMetalの為さ」(Roosvelt "Bala"-Vocal and Bass)


マジか!!😆😆👏👏💀💀


何だか、これだけでドラマになりそうな冒険談。ブラジルらしいね(笑)


その後、何とか1,000枚の少数コピーをリリース出来る運びとなり、

めでたくブラジル初のHeavy Metalのレコードが誕生した。

レコーディング・メンバーは、

 

Roosevelt Bala (Vocal and Bass)

André Chamon (Bateria)

Pedro Valente (Guitar)

Leonardo Renda (Key)


の四人。特にヴォーカル、ベースのルーズベルトさんは学生時代ローイングの州大会で優勝した経験があるらしく、"Bala"(弾丸)という正にメタルヘッズな通り名を持つ。

さらに、このアルバムはファン・ジン(当事、数少ない海外作品のリリース情報などをキャッチするツールとして重宝された)や、Fulminense FM局の番組の宣伝協力を得て、口コミで噂が広まり、1000枚のコピーは瞬く間にレア・アイテムになったそう。しかも、アルバム・リリースを記念したベレンでのライブには2万人のファンが集った。結成当時のSepulturaが前座で演奏した際には、自身もStressのファンであったことを打ち明けたそうだ(Wikipedia)。 


そして、この作品の反響のおかげもあり、

2ndアルバム「Flor Atômica」(1985)は大手Polygramからリリースされる。


 

音質や演奏力も格段にアップして、N.W.B.H.Mの遺伝子を正しく受け継いだ、

正統派パワーメタルの雄という趣き(こちらも名盤です)。 

音の悪さは抜きにして、前タイトルともに非常に演奏はタイト。ブラジルのJudas Priestとメディアで謳われた通り、ブリティッシュ・ハードを基調とした格調高い作品となった。


ただその後は、よりポップな売れるアルバムを製作したいレコード会社との確執、彼らが結成当初からこだわった母国語(ポルトガル語)による歌詞の影響も手伝い、海外メディアから特に注目されることも無く(2ndアルバムは後にポルトガルでもリリース)、英語で歌うことによって海外で評価されたSepulturaに続け(セパルトゥラ現象)と、英語による歌詞が主流となった主に80年代後半のHeavy Metalブームからも取り残されて、2ndアルバム以降は沈黙が続く。

 

しかし、1996年にはRoosveltoとAndre(彼は90年代にはX-Ratedで成功を収めていた)の旧友二人が中心となり活動を再開 、「Stress Ⅲ」をリリース。

初期作品の再リリース等や、シングル盤Coração de Metal(2005)、Heavy Metal é a Lei(2014) のリリースも手伝い、現在までブラジリアンメタルのパイオニアとしてリスペクトされている。

 

 2016年には、映画"Brasil Heavy Metal"(元SantuárioのMicka Micaellisが発起人となって製作されたドキュメンタリー映画)のサウンドトラック、"Brasil Heavy Metal"を製作し、昨年、2019年6月8日(サン・パウロのメタル記念日になりました)に急逝したAndré Matosをはじめ、80年代から活躍するメタルバンドのヴォーカリスト等が集って録音された。


 
昨年( 2019)年には、待望の4thアルバム「Devastação」をリリース。 
 
合わせて。魅力あふれる彼らの楽曲を愛情を持ってカヴァーされた、ブラジルのメタルバンドらによるトリビュートアルバム 、"Tributo ao Stress - Amazônia Inferno Metal(2013)"も興味深い内容。

 

さて、では名曲"Sodoma e Gomorra"(ソドマ・イ・ゴモハ)で幕を開ける82年リリースのファーストアルバムを聴きながら、ブラジルで新しいHeavy Metalという激しい音楽が芽吹いた瞬間を、一緒に感じてみたい。


 

 

 オブリガード

Rev. Guenyu Katata (Monge Roqueiro)

ブログ再開

 Brazilian Underground再開

 

2006年にブラジルに僧侶としてやって来て、今年(2020年)で早くも14年が経ちました。

言葉や文化の違う国での生活に、中々慣れることが出来ませんでしたが、週末サン・パウロの街のどこかで開かれる地元へヴィメタルバンドのライブに行くことが、僕の心の支えになっていました。 

けれど、2007年より地方都市の勤務が長く続き、せっかく続けてきたブログやMIXIのコミュニティを長らく中断させてしまいました。 

 

興味のある方は、是非こちらのリンクから過去の記事もご覧になってください。

↓↓↓

http://brazilunderground.pokebras.jp

https://mixi.jp/view_community.pl?id=1226337

 

そして今年2020年から、またサン・パウロの本部勤務となり、またひっそりとブラジルの、主にロック史を紐解く記事を書き始めることにしました。

 

 ここではブラジルでの生活情報や、ライブ・レポート(このパンデミックの状況下では、オンライン・イベントが主流ですが)、作品レビュー等行っていきたいと思います。

 

 また現在活動している、南米発の僧侶を中心としたリモートバンド、

Os Bombusの活動も合わせてよろしくお願いいたします。

  

 

Venha conhecer as músicas dos Bombus!





Muito Obrigado!
Rev. Guenyu Katata (Monge Roqueiro)

Inox (1986)

INOX - INOX (1986) 当時大手レーベルからリリースされた、Heavy Metalバンドの唯一のアルバム 先日訪れた、パウリスタ通りのFeira de Vinilにて、1986年にCBSからリリースされたINOXのレコードを発見。      第一回Rock In R...