鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ199] 心に荒野を持て(7) / エリオット”waste land(荒地)”  

2022-12-08 17:33:45 | 生涯教育

1914年から18年まで続いた第一次世界大戦は、ドイツ・オーストリアを中心とした”同盟国”とイギリス・ロシア・フランスの三国協商との対立を背景に起こった、まさに人類史上初の”世界大戦”だった。往時の”同盟国”はドイツ帝国・オーストリア・ブルガリア・オスマン帝国、”連合国”はイギリス・フランス・ロシア帝国・日本・アメリカ・セルビア・モンテネグロ・ルーマニア・中華民国・イタリア。各国入り乱れての戦争では、産業革命以後人間が手にした新しい革新的な諸技術と資金は、戦闘機や偵察機、潜水艦や戦車、化学兵器(毒ガス)や機関銃などの武器開発に投資された。このことによって、兵力以上に近代科学技術による戦力が増強され、国家総動員が戦争の勝利の要因と考えられて戦争の影響は一般国民にまで拡大していった。

その結果もたらされた戦争の惨禍は、今まで人類が経験したものを遥かに超えていた。4年間にわたる戦争では、7千万人以上が参戦し、軍人9百万人以上が死亡し、戦争に巻き込まれた一般市民7百万人以上が死亡した。それまでの戦争とは桁違いの死者数だ。戦争はアメリカの参戦を契機に連合国側の勝利で終わったが、世界各国を巻き込んだ初めての大規模な戦争は”殺戮戦”だった。

T.S.エリオット(注:Thomas Stearns Eliot、1888-1965、アメリカ生まれのイギリスの詩人・劇作家・文芸批評家、1948年にノーベル文学賞受賞)が書いた” The Waste Land” (1922)(注:日本題『荒地(あれち)』)は、「四月はいちばん残酷な月だ‥」で始まる良く知られた彼の得意な宗教詩である。

第一次世界大戦は、19世紀的ヒューマニズムを信奉していたエリオットらイギリスの若者たちから見れば、戦争を廃絶するための戦争と言いながら、大量破壊兵器による大量虐殺によって人間性が圧殺された人類が経験したことのない戦禍体験であった。産業革命で技術革新を遂げた様々な産業技術は、人間の便利で幸福な生活に寄与した一方で兵器や軍事技術に転用されて行ったという悲劇。人間殺戮と破壊のためにありとあらゆる兵器、軍艦、潜水艦、重装備の戦車、機関砲、戦闘機、爆撃機、飛行船、魚雷、化学兵器(毒ガス)‥が競うように開発/投入された。エリオットら若者たちは、そこに今までのロマンティックなヒューマニズムの転落と失墜を見た。その背景としては、イギリスのビクトリア王朝以来の帝国主義的繁栄もその根底が揺らぎ、経済大国となったアメリカの享楽主義的プラグマティズムの進展、1917年のロシア革命の成功による世界の価値体系の揺らぎも存在した。

このような世界秩序/社会秩序の動揺と価値観のゆらぎをもたらした大規模戦争による大量の人間の死と国土荒廃の様子を、エリオットは「waste land荒地」と見たのである。そしてヨーロッパ文明の「精神的・霊的頽廃=死の世界」として観察した。ヨーロッパ文明が破滅の道をたどらされる運命にあることも強く認識した。そして彼は徹底的に破壊された廃墟の虚無の世界観からの人間の”救済”の可能性を宗教的命題として捉え、”死から蘇り生命へと至る”信仰の可能性を詩人/作家として希求したのだった。

エリオット”waste land”には人間同士が大規模な戦争で殺し合い戦場となり死者累々の荒涼とした荒野のイメージが記される(壺齋散人訳)。
『ここには水がなく岩ばかりだ/岩ばかりで水はなく砂の道がある/山々のあいだをくねくねと続いている道/その山は水のない岩山なのだ/水があれば立ちどまって飲むところだが/岩の間では立ちどまることも考えることも出来ぬ/汗は乾き足は砂の中だ/岩の間に水さえあれば/奇妙な歯をした口のような死んだ山では唾も吐けぬ/ここでは立つことも横たわることも座ることも出来ぬ/山の中には沈黙さえもない/雨を伴わぬ乾いた不毛な雷がなるだけだ/山の中には孤独さえもない/赤い不機嫌な顔が裂けた泥の家のドアから/歯をむいてあざ笑うだけだ/‥でも水がないんだ‥』

人間の世も人間の心も全て荒地となってしまった。そこに広がるのはただひたすらの”虚無”である。

そしてエリオットはこの詩の後半ではキリスト・イエスの幻影を記している。これは救済の可能性である。神への祈りである。

『‥いつも君のそばを歩いているあいつは誰だい?/数えてみると僕と君しかいないんだけど/あの白い道のほうを見上げると/君のそばにはいつももうひとりいる/ブラウンのマントに身を包んでフードをつけてる/男か女かわからないけれど/君の向う側にいるあいつは誰なんだい?‥』

エリオットは1928年にアングロカトリック(英国国教会)に改宗している。ヨーロッパの精神的な荒廃とそこからの蘇りを描いた”waste land荒地”は、彼自身の信仰と精神世界の変容を表現した作品でもあった。


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