ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「人生の折返し地点」

2022-01-23 00:10:08 | 日記

大阪で生まれた私だけど、小1から高3までは今住んでる三重県の実家で暮らし、高校卒業後は40歳ぐらいまで大阪と東京で独り暮らしをしてました。

東京で暮らしたのは日大の映画学科を目指して浪人した2年間と、35歳を越えてから映像業界で働いた約3年間。

その間の約15年間は、大阪で映像の専門学校を出たあと、ずっとフリーターをしながら自主制作映画を撮ってました。中学〜高校にはロクな想い出が無いので、この15年間が私にとっての青春時代と言えそうです。

で、そんな宙ぶらりんの生活が限界に近づいた30代半ば、ようやくプロデビューのチャンスに恵まれ、目標としてた映画監督に一応なることが出来ました。

そこそこの才能と、チャンスを伺うアンテナさえあれば、デビューするのはそんなに難しくない。本当に難しいのは、そこから続けて行くこと。並々ならぬ情熱と図太さと体力が無ければ、あっという間に居場所を失います。

いや、仕事の内容さえ選ばなきゃ居座ることも可能だけど、なにせ恐ろしくハードで汚い業界です。自分が創りたいものを創れないと、そこは地獄でしかありません。

私は自主制作の期間が長かったもんで、実はデビューする頃には「これだけは死んでも形にしたい!」っていう企画が既に尽きてたんですね。

薄々それに気づきながら「いや、またやりたいことが浮かんで来るに違いない!」と自分に言い聞かせ、自分を誤魔化しながら石の上に3年。それで認めざるを得なくなりました。自分はもう、とっくに燃え尽きたんだと。



さて、ここからが本題。目標を見失った私は、大阪時代に親交のあった、とある女性(便宜上Aさんと呼びます)を支えることを当面の目標と決め、当時Aさんが住んでた神戸(と言っても北部の田舎町)に引っ越し、それから1年間、Aさんと1つ屋根の下で暮らしました。

あらゆる意味で、そこが私の人生におけるターニングポイントだったと思います。それまで行き当たりばったりで生きて来たけど、神戸での1年間を経て、地に足を着けて残りの人生を過ごす覚悟が出来ました。

具体的に言えば、まだ片足を突っ込んだままだった映像業界に見切りをつけ、実家に戻って両親の終末期を支えるべく、安定した職に就くことを決心したワケです。

それまで、私は「夢を追わない自分はただのダメ人間」だと思い込んでました。いや、突き詰めれば、それを定職に就かない理由=言い訳にしてたんですね。

だけどそうじゃなくて、定職に就くことから逃げ続けてる自分こそが世間的にはダメなんだと、今更ながら気づいたワケです。それはやっぱり、母親以外の女性と初めて一緒に暮らしたからだろうと思います。女性は男と違って現実こそを重視しますから。

だからAさんには感謝しないといけないんだけど、同居を続けることは出来なかったし、最後はややこしい事になって縁を切るしか無くなりました。(詳しくは書けません)

ただ1つだけハッキリ言えるのは、私には誰かと一緒に暮らすのは不可能だってこと。実家に戻って何年か経った頃、奇跡的に結婚したんだけど案の定、すぐダメになって別れました。そこでいよいよ確信した次第です。

親とは一緒に暮らして来たけど、それは前述の通り終末期を支える為であって、言わば仕事です。いつか書いたように、家族関係はとっくに崩壊してました。

私は独りでないと暮らして行けない。それを思い知ったからこそ、今は孤独でいるのが全然苦にならないし、恥ずかしいとも思わなくなりました。



Aさんと一年間同居したお陰で、女性に対する苦手意識もかなり軽減しました。男のどういう言動に対して女性が嫌悪感を持つか、イヤと言うほど叩き込まれたから、うまく危機管理が出来るようになって不安が無くなったと言うか……

母親は一切それを教えてくれませんでした。私が子供の頃、会話してて急に不機嫌になったり無視したりして、その理由を何も言ってくれないから女性と会話することが怖くなっちゃった。Aさんのスパルタ教育によってそのトラウマから開放されたワケです。

以前、ちらっと書いたことがありますが、今の職場に私が密かに「推し」てる女性がいます。恋愛は二度とするつもり無いので、恋してるとは言いません。あくまで「推し」です。

その女性(便宜上Bさんと呼びます)は誰とも壁を作らない非常に明るい人だけど、同時に非常に気の強い人でもあり(たぶん職場で一番強い!)、短気だし言葉遣いもかなり荒っぽい。若い頃の私ならとてもお近づきになれなかったと思います。

だけどAさんはもっともっと強かった!w 1年間シゴかれ、正直言って何度も逃げたくなったけど、彼女に鍛えられたお陰で気後れすることなくBさんと接することが出来、すごく仲良くさせてもらってるのが今、仕事する一番のモチベーションになってます。

要するに、神戸でAさんと暮らした1年を境に、私の生活もキャラクターもかなり変わったワケです。

失ったものも多分あるでしょう。常識的な人間に近づけば近づくほど、個性的な人間からは遠ざかってるかも知れません。けど、クリエイターから足を洗った今の私には、個性より常識の方がきっと役に立つ。

精神的には今の方がずっとラクなんで、これが本来の私なんだろうと思います。けどそれは、プロのクリエイターには向いてないと自分で納得するまで夢を追わせてくれた、両親のお陰。だからその恩を返すことが、私の人生後半における目標となりました。

問題は、両親を見送った後ですよね。大層な目標は持たなくていいと思うけど、生きて行く為のモチベーションは何かしら必要。ぼちぼち考えて行こうと思ってます。

長々と自分語りしちゃいました。つき合って頂いて有難うございますm(__)m


 


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