『日本国記』  「出雲」と「市杵島姫」と「弁財天」       限りなく真実に近いアナザーストーリー  【53A】    ひじかたすいげつ 
 

 

 

 つづく

 

 「出雲」とはなにか?

 

 「イズモ」とは現在の島根県西部の地域であり、杵築大社の一帯をいう。「イズモ」は出雲国であり、同じ島根県でも西は石見国である。また出雲の東は伯耆国・因幡国であり、いまの鳥取県である。明治にいったん一緒の県になったが、両方共が分離運動をはじめ、あまりに仲が悪いので別の県になったといわれる。

 

 昔は但馬国と吉備国は「ヒボコ」の支配地であったといわれる。そこを征伐するために、いわゆる桃太郎が向かった。それに「サル」・「トリ」・「イヌ」が従い、「ヒボコ」である温羅を征伐したという。

 

 その家来のうちの「トリ」つまり「鳥取一族」は、「桃太郎」つまり「五十狭芹彦(吉備津彦)」と共に出雲を攻めた側であった。出雲はそれを忘れてはいない。彼らから見れば「トリ」は仇敵であった。

 

 もともと敵である「ウラ」は新羅系渡来人である「ヒボコ」の一族であり、吉備から丹波にかけて新羅から移住してきていた。本来は、「ヒボコ」を排除する目的で、孝霊天皇とその皇子たちが「サル」・「トリ」・「イヌ」である「猿女氏」・「鳥取氏」・「犬養氏」を従え吉備・但馬に攻め込んだ。ところが、その温羅の領地を超えて出雲の領地まで奪った。そのため仲が悪いといわれる。

 

 「出雲」は「イズモ」とは読めない。「飛鳥」と同様で当て字である。もともと日本語ではないかららしい。「出雲」の伝承では、祖先はインドのクナト国から日本列島にやってきたといわれる。縄文時代である5500年前には青森の三内丸山遺跡にいたという。北回りでやってきたという。

 

 一般に、出雲(日本)の言葉はインドのドラヴィダ語の言葉と似ているといわれる。「口、足、尻、米、栗、歩く、行く、飲む、噛む、切る」などたくさんの言葉が似ている。そして、「イズモ」は「ドラヴィダ語」か?

 

 

 「市杵島姫」は「弁財天」に見立てられることがある。水の女神だからといわれる。

 

 

 「弁財天」はインドの「サラスヴァティー」であるといわれる。ヒマラヤを源流とするサラスヴァ川という川があったといわれ、女神サラスヴァティー、サラスヴァターラーに由来するといわれている。

 

 「サラスヴァターラーsarasvataara」は、アナグラムにすると「arasavtasara」となり、「arasav」と「tasara」に分けると、「あらさふ」と「たさら」になるという説がある。「あらさふ」は「争う=弁」であり、「たさら」は「宝=財」であり、「弁財天」となるという。

 

 冗談のような話ではあるが、馬鹿にはできない。浄土真宗の御経では何度も出てくる「舎利弗シャリホツ」が「シャーリープッタ」のことである。中国では「漢字の音」だけ合わせることが多いが、日本の場合は「漢字の意味」も合わせる。意味を持たせる当て字となる。インドの「クベーラ」が「毘沙門天」になるのと同じである。「ヴァイシュラーヴァナ・クベーラ」は「ヴァイシャヴァナ」から「ヴィシャムナ毘沙門」となった。

 

 「田心姫タゴリヒメ」は「多霧姫タギリヒメ」から。「多岐都姫タギツヒメ」は「湍津姫タギツヒメ」から。「市杵島姫イチキシマヒメ」は「島」の名である。本当の名は、、、。

 

 

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