前回の続き



出張三昧だった20代、出先での一番の楽しみはバーの開拓だった。

私は夜な夜な薄暗い路地を歩き回り、小汚ないバーの片隅で孤独な夜を過ごした。

普段の痛々しい独り言はこの頃形成されたものと思われる。

そんな私のフロンティア精神もある日突然崩壊することに。

思うところありお酒に纏わる一切の活動を停止した私は、出張先でやることがなくなってしまった。


30代前半でルアーを使った釣りを始めていた私だが、この頃はまだ出張先でやろうなんて微塵も考えたことはなかった。


次に槍玉に上がったのはゲーム
30代はこれで行こう。
これならホテルの部屋から出ないで済む。
当時の気分にピッタリだった。

しかし困ったことがあった。
子供の頃はゲーム三昧だったものの、長いことご無沙汰なのである。
ゲームからはとんと離れていた。
何を選んで良いのか見当もつかない。
家人たちがゲーマーなので家には最新機種が転がっていたが、どれも食指が動かない。
個人的に所有していた最後のゲーム機はメガドライブ。
魔界村やストⅡのゲーム脳しか持ち合わせていない私、最新ゲームを理解するのはナメック語を翻訳するに等しい。
全くわからない。
画面を見ているだけで酔ってくる始末。

そうだ、国盗り合戦ならどうだろう?
これなら大丈夫そうだ。
昔好きだった光栄の歴史シミュレーションゲームをまた始めてみよう。

こうして私の手元にポータブルゲームの「三国志」がやってくることになった。


私は何十年か振りにゲーマーに戻った。

ちょうど仕事に悩み会社に不満だらけの時期だったから、董卓=社長、曹操=専務、呂布=常務などと仮想敵を仕立てることで随分ストレスが緩和された。
楽しくて仕方なかった。
苦労を重ね悪玉の首領・董卓の首を挙げるのは、これ以上ない快感だった。
捕らえた際にいくら命乞いを請けても決して赦さず、個人的な恨み辛みを思い出しながら笑顔で処刑した。

現実的な私の立場を考慮し、孔融や王朗、金旋、劉度など弱小君主でプレイすると尚更リアル性が高まってドキドキした。


「信長の野望」でも同じだった。

朝廷を蔑ろにし始めた織田信長は社長となり、三好長慶や松永久秀たちは役員となった。

没落しかけた足利家に与する弱小大名を選択し、苦労を重ね朝敵たちの首を討った。

やはり快感の極みだった。


出張生活は劇的に変化した。

勤務先の上層部を根絶やしにすることが私の新たな使命となった。

最低限の仕事をこなした後は急いで夜食を買い込み、駆け足でホテルに向かった。

早くゲームがしたい。

懇意にしている取引先の方より食事に誘われても、私用があるの一点張りで頑なに断り続けた。

私は部屋から一歩も出ることなく、ただひたすら私用に勤しんだ。



だんだん虚しくなってきた。
ゲームの世界でいくら董卓社長を叩きのめしても、現実は違う。
実際に捕らわれ命乞いをしているのは私のほうなのだ。
処刑一歩手前。
風前の灯火。
死に体。
私の会社員生活を一言で表すとこうなる。
不思議な程どれもしっくりくる。
深夜にゲームに終えリアルに戻った途端、私はひどく落胆した。
ストレス解消どころか蓄積の一方。
やればやるだけ悲しくなる。

こういうゲームは精神衛生上宜しくないのかも知れないな。
もっと建設的なものにしよう。
私は数年世話になった光栄の歴史シミュレーションゲームにお別れすることを決め、下取りと出会いを兼ねてGEOに赴いた。

こうして新たに白羽の矢が立ったのが、
発売されたばかりのWii·桃鉄だった。


結論から言うと2年近くやり込んだ。
どハマりした。
頭がおかしくなるくらいプレイした。
子供時代に感じたテイストとは異なり、大人になってからの桃鉄は手応えが違った。
これぞ正しい人生ゲーム。
強烈に面白かった。
私は仕事外の殆どを桃鉄と過ごした。
これまでの人生で一番時間を費やしたゲームかも知れない。(もしくはエキサイトバイク)

最初は自宅でやっていた。
早く桃鉄がやりたいがため、一切の残業をやめて一目散に自宅へ帰るようになった。
周りからは白い目で見られたはずだ。
こんなときKYは強い。
空気が読めないのはあながち悪いことばかりではない。


やがて、桃鉄のない時間をどう過ごして良いのか分からなくなった。

Wiiの本体がキレイに収まる専用バッグを購入し、出張先に持っていくようになった。
これでずっと一緒だ。
都心部の出張は基本徒歩による移動。
嵩張るわ、重いわで心から閉口した。
駅の貸しロッカーの利用も試してみたが、一回につき¥300~400の使用料は痛かった。
Wiiを宿泊先のホテルへ送ることも検討したが、運搬中の衝撃による故障が恐ろし過ぎた。
むむ、一体どうしよう…?

結局、仕事の荷物を減らすことにした。

まずは膨大な資料のカットに着手した。
長ったらしいプレゼン資料の起・承・転を省き、結のみとした。
また、これまでお相手に対し一人一部用意していた資料を三人一部制へ変更した。
複数人の打ち合わせではそれぞれ肩を近づけてもらい、一部の資料をご覧頂いた。
いい歳したおじさんたちが可愛い!
ワンパク達が教科書を忘れてしまった時のような光景にこちらの心まで癒されてしまった。

この判断は功を奏した。
私の出張生活は益々快適になった。
成績は落ちたが思ったほどではなかった。
なあんだ、この程度か。
最早落ちるとこまで落ちていたので、神田川の歌詞と同じく優しさ以外に怖いものはなくなっていた。
私は次々にメスを入れた。
断捨離って本当に大事だなぁ。
これまで自身の仕事振りが如何に無駄ばかりだったか、つくづく痛感した。

最終的にWii以外殆ど手ブラの状態となった。


桃鉄のお陰で私の出張生活は充実した。
ありがとう桃鉄。
2年近くやり込んだため完全に掌握したと言って良いだろう。
基本3人プレイとなるため2人のコンピューターと争うわけだが、その2人が「さくま」なる最強キャラでも全く相手にならなくなった。

シーバスエキスパートが今日はジョイクロだけで釣る!といった縛りを課すように、私も様々な縛りを設けて桃鉄をプレイした。
どんな条件下でも100%ランカーを釣り上げることが出来るようになった時点で、私はめでたく桃鉄を卒業した。

その後幾つかのゲームに手を出してみたが、どれもこれも長続きしなかった。
やはり桃鉄は偉大だった。
暫く経ってゲーム自体に飽きてしまい、私は数年間にも及ぶ無の時間を過ごすことになる。
何の喜びも見い出せない心身の大スランプ。
キングボンビーに憑かれたかのようだった。
悲惨すぎて思い出したくない。
思い出しても無であるために書けることは何もないが。

現在、私の出張の一番の楽しみは河川シーバス釣りだ。
これまでの遍歴で最も健全且つ至福。
もう寄り道はしたくない。
これが最後と思いたい。
バーも桃鉄も過ぎた話。
私はいまシーバスに夢中だ。
出逢うべくして出逢えたと心の底から感謝している。