上発地村から

標高934mぐらい日記

コロナ禍にて

2020年07月30日 | Weblog
大学は高崎だった。高校の同級生は東京の大学に行っている人間が多く、そんなに意識していたわけではないけれどちょっと出遅れた感はいつも心のどこかにあったような気がする。
大学を卒業し、特になりたかったわけではないが、まあ社会人としてはそんなに間違ってはいないだろうということで銀行に就職した。
仕事は仕事として生活していくための手段と割り切っていくもんだと思っていたし、それがまともな大人ってことなんだろうとも思っていた。
東京のど真ん中、千代田区の社員寮に入り江戸川区の支店に出社する毎日が始まった。慣れないネクタイを締めスーツを着て満員電車にゆられ会社に出社
仕事の覚えがいいほうではないので基本的な業務をこなすのもなかなか一苦労だった。
ある日秋葉原あたりだったと思うが同僚と酒を飲んだ後、駅のホームで電車を待っていたら会社の支店長次長にばったり出くわした、時刻は午後10時を回っていた。
次長はかなりの時間をかけてこれから埼玉の自宅に戻るとのことだった。
それを聞いた時、俺もどのみち次長のような生活スタイルになるんだろうと一瞬で自分の未来の絵が頭に浮かんだ。
そのあたりからなんか気持ちが変化していったように思う。入行して三か月、ボーナスをもらった後ぐらいに依願退職した。嫌気がさしたのだ。
東京で一人前になることがまともな人生だと思っていたし、それなりに出世したいとも思っていたけど、それは叶わなかった。負けたと思ったけどさっぱり感もあった

東京の大学出身の同期入社の同僚は満員電車を難なく乗りこなしていたし、新社会人生活をそれなりに楽しんでいるようだったが俺は違った。
高崎あたりの地方田舎都市にいた人間にとって東京ってのはなかなか手に負えなかった、っていうかそもそも高崎に住んでいたのも一年だけで三年間は軽井沢の実家から大学に通っていたので元々田舎率99パーセントの人間なのだ。

人間が密集しているところをさらりとかわしながら生きていくのが都市の洗練された人間なんだろうと思っていたが、俺は洗練されてなかった。

理路整然とした植え込みと平らな道路、時間通りにくる電車、固すぎる革靴、同じ方向に向かう人並み、空調のしっかりきいた店内と子供の頃に経験したことのない高温多湿となんとなく気に入らない空気。それらすべてが俺を少しづつ消耗させた。
人との距離が近くになるってことを経験してこなかったために実は近距離免疫をもっていなかったのだ。口では「近くて全然オッケー!」とか「ソーシャルディスタンスなんて要らない!」なんて言っているけど体自体は拒否反応を起こしているのだ。
全然ウェルカム、フレンドリー、小さいことは気にしないワカチコワカチコー!な人間じゃない…

今ソーシャルディスタンスを訴える人がイライラをあらわにしているのは、もともと都会が内包していた近距離マターがやっぱりこれは普通じゃないっていうことが顕在化したんだと思う。

たぶん銀行の同僚はいまでも自分の仕事を全うしてるし、都会のストレスの中でするりと人をかわしながら元気にやってると思う
出世した人間は社用車に乗ったり、軽井沢に別荘を持ったりして近距離マターから解放されている場合もあるだろう
中にはうちの妹みたいに東京大好き都会大好き、近距離バッチコイ!っていうのもいるから、単純にひとくくりはできない。

今回のことでいろんな事が表面に現れた。
かみさんと俺の意見が食い違うことが多い、いわゆる性格の不一致もあらわになった。

ただそれで結果的に助かったことは多かったと思う




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