普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

ピンチっぽさをはらんだ可逆性後頭葉白質脳症

久しぶりにお題にのっかってみようと思う。今週のお題「人生最大のピンチ」である。病気と共に生きてきた割には、というかもしかしたら病気だったからこそなのかもしれないが病気由来で人生ピンチだと感じたことはほぼない。

ただ、これはまずいのかもしれないなと感じざるを得ない病気を発症したことがある。

可逆性後頭葉白質脳症(通称PRES)だ。

たぶん聞いたことがないひとがほとんどだと思うので説明をすると名前の通り脳の病気で、高血圧と飲んでいる薬の影響で脳の血管が浮腫んで痙攣するといった病気である。

発症数日前から血圧は高かったのだけど、高血圧慣れというよくない耐性を獲得していたためさして数値を気にしていなかった。確か上は190くらいあったので普通なら気にしすぎるくらい気にするところであるが、僕は中学生の頃、上が280という冗談みたいな数字を叩き出したことがある超高血圧レコードホルダーであったので「ま、このくらいなら」程度にしか思っていなかった。

発症は早朝。眠りから覚めトイレに行こうとふらふらとトイレに向かったところ、何やら視界がおかしい。焦点が定まらないというかなんというか、とにかくものを正確な距離でクリアに見ることができない。「寝ぼけている上に二日酔いかな…シャワーでも浴びよう」と浴室の戸に手を掛けようとしても戸を掴むことができない。距離感などがまったく把握できなくなっていたのだ。やっとのことで戸を掴み浴室に入るも、当然蛇口が掴めない。

これは二日酔いとか寝起きとかではなく完全に視界が異常だ。さすがにまずいと思い妻(当時は結婚前)に「なんか目がおかしい…!」と伝えた。さすがにこの状況はまずいし、視界が異常なまま自力で病院に行くことはできないと判断し、救急車を呼んでもらうことに。このときはまだ視界の異常だけだったと思う。

救急車も到着し、隊員の方々の手によって担架で救急車に運び入れられた。このとき猛烈な吐き気をもよおし、その旨を隊員さんに伝えて対応してもらっていたところで突如痙攣発作が起こる。人生初の痙攣発作。周りもびっくりしただろうけど本人が一番ビビる。しかもその後も何度も痙攣発作に襲われたのでちょっともうダメなのではと一瞬思思わざるを得なかった。痙攣する直前「あ、くるな」とわかるというできればわからなくてもよい知見を得てしまった。まあわかったところで抗えないんですが

その後救急車は無事病院に到着。救急病棟に収容された。その後も何度も痙攣を起こしながら諸々の検査を行い、PRESであることが判明する。ほどなく医師から妻に病名と現在の症状が伝えられたとき、妻はさすがに涙が堪えられなかったらしい。このときもう目はほぼ見えてなかった。

当然にように入院が決定し、最初は救急病棟にそのまま入院となった。一晩明けたが目は一向に見えない。でもなぜかこのときは達観した気持ちというか、この状況を深刻に考えていなかったように記憶している。まだ状況を把握できてなかった説が濃厚ではあるけれど。このとき妻がどれほど見えていないのかを確かめるために指で数字の3を作り僕の眼前に差し出したのだけど「え?メロイックサイン(メタルの🤙みたいなもの)?」とすっとぼけたらしいのでそれなりに元気だったのかもしれない。妻はたまったものではなかったろうけど。

ちなみに救急病棟では2人部屋というか2人収納できるスペースに入院していたようだったのだけど、隣はばあちゃんであった。これがまあ結構にぎやかなばあちゃんで、階段から落ちただかで救急病棟に入院したらしいがそうと思えないくらい元気におしゃべりしていた。見えてないので何歳くらいかはまったくわからなかったけど、ちょっと会話 の内容から幼児退行っぽさを感じたのでそれなりの年齢だったのだろう。

ばあちゃんに対して男性スタッフが甲斐甲斐しく世話を焼いているのがよく聞こえてきた。大変だなーなどと呑気に聞き耳をたてていたあるとき、ばあちゃんが男性スタッフに声をかけた。

ばあちゃん「ねえ、ちょっとこっちにきて」

男性スタッフ「なんでしょう」

ばあちゃん「ちょっと耳を貸して?」

ばあちゃん「好き〜」

ずっこけたわ。まあ可愛らしいのだけど。殺伐とした救急病棟に束の間の平和が訪れた瞬間であった。耳打ちする予定だったのだろうけど、病棟中に響き渡らんほどのはつらつとした告白でしかなかった。

その後、徐々に病状は落ち着いてきたところで一般病棟に移動。相変わらず目は見えないけど、痙攣発作はもう起こらないのでちょっとずつ良くなってきているのかなと希望は持てた。

この辺りからの細かい経緯がちょっと曖昧なのだけど、結局ところ高血圧とそのとき服薬していた移植腎のための免疫抑制剤がこの状況を作り出していたということだったので降圧剤を飲み、免疫抑制剤は中止となった。このおかげで尿が完全に出なくなるのがたぶん年単位で早まっただろうと思う。しかし、そういった対処をしていくことで目は元通り見えるようになっていった。ほんとよかった。

尿が出なくなったという以外はほぼ元通りに快復し退院という運びへ。入院していたのは2週間くらいだったようだ。症状などから考えると意外に短いものだと思える。何か入院中の写真撮ってなかったかなと探してみたが全然撮っていなかったようだった。後半ご飯を摂る余裕くらいありそうだったけどな。ただ、よほど嬉しかったのか、退院した日に食べたデニーズのカレーは写真におさめていた。

病院食には絶対にないピーキー

まあそりゃ嬉しいよな。病院食も僕はわりと普通に食べられる方ではあるけど、精進料理の亜種みたいな食べ物だし。塩分で言ったら精進料理の方が感じられるくらいかもしれない。

 

人生のピンチといって思い浮かぶのはこんな話。でも命に別状があるような病気ではないことを考えると小学生の頃に川とか海とかで計3回溺れ死にそうになったこととか、酒井くんとか勝俣くんに(全然別のタイミングで2回)首を締め上げられて窒息しそうになったことのほうがピンチだったかもしれないな。ていうか結構死にそうになっているな。よくぞご無事で!