普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

心によどみなく我らが子に幸あれとしか思えない

やっぱり書かずにはいられない。

 

我らが子、爆誕!!

嬉しすぎてピントもぼける

昨日(2022年12月8日)夕方、この世にやってきた我らが子。このときをどれほど待ち望んでいたことか。人生でこれほど嬉しいことってそうないんじゃないかと本気で思える瞬間だった。でも今日アーマードコアⅥの発売発表があって早速同じくらい喜んでしまったわけですが。いや、本気で待ってたんですよ、アーマードコアの新作。フロムソフトウェアには感謝の言葉しかない。

と、危ない危ない。そんなことより赤子だ。フロムへの感謝以上に妻へも感謝だ。頑張ってくれてありがとう。厚くお礼申し上げる。そして生まれてくれてありがとう、子よ。

出産にあたって立ち会い出産をしたのだけど、こう言って良いのかどうか迷うところではあるが”壮絶”という言葉が出産中ずっと頭の中から拭えなかった。生命が誕生するのだから簡単なことであるはずがないとどことなく理解しているつもりではあったけれど、聞くと見るではまるで違う。現場は熾烈を極めた。

妻曰く、とにかく陣痛による痛みに次ぐ痛み、痛覚以外機能していないんじゃないかというくらいの痛み、それとその痛みが襲ってくるという恐怖しか感じなかったという。これまで見てきた感じ、妻は痛みに強いほうなのではないかなと思っていたのでその妻があれほど苦痛を感じ、苦悶の声をあげていたのだから想像するに余りある痛みであったことが窺い知れる。

そうは言っても助産師さんや医師の話によるとわりと一般的、なんなら結構スムーズに出産ができた方という話であった。あれで普通って難産の方とかどうなっちゃうんだ…世の母が強いと言われるけど、強くなければ子を産めないのだなとつくづく思う。どんなひとでも母であるということはあの現場を経験しているということになるのだ。反抗期のお子さんには出産シーン見せたらいい。黙ること請け合いだ。

実のところ立ち会い出産に若干の抵抗を感じていた部分はあるのだけど、結果として立ち会ってよかったと心底思えている。出産がどれほど大変なものかわかったし、苦痛を乗り越えて子に出会っているのだというのを間接的ではありながらも感じることができた。そして生まれた瞬間の喜びは一入だ。その感情も夫婦で共有できる。それぞれの考えがあるので誰もが立ち会いして欲しい、したいとは思わないかもしれないが「なんとなくしない」で立ち会わないのはもったいないと思う。今はコロナやらなんやらで立ち会いが難しいこともあるのでしたくてもできないということも往々にしてあるのだろうけど。とりあえず僕はおすすめしときます。立ち会い出産。

こうして妻を含め様々なひとびとの苦労と手助けによって生まれ出でた我らが子。親からしてみたらかわいさしかないのだけど、噂に違わぬガッツ石松ぶりを発揮していた。全体的にむくみ気味なのだな、あれは。そりゃまあ羊水に浸かりきりなのだからむくみもする。生まれたての我らが子の足は足湯に浸かりすぎたときのそれに似ていた。徐々にシュっとしてくるのだろうから、その変化もまた楽しみである。それにしても出産を経験したひとはガッツ石松を見た時にこっそり(我が子のようでかわいい…)と思ってしまったりはないんだろうか。ないね。

子に毎日頬擦りしたくて仕方ないのだけど、コロナの影響で面会が一切できず、昨日の産後直後以来、子に会えていない。それどころか退院まで会えない。コロナめ。ひとの家庭にちょっかい出すんじゃないよ。病院という場所柄少し神経質と思うくらいの対策は仕方ないのだろうけど。病人と老人が地域で最も集まっている場所なのだし。

なにはともあれ、子の人生に幸あれと祈らずにはいられない。祈るだけでなく行動で示して生まれてよかったと思ってもらいたい。そしてそのうちその感謝の気持ちを袖の下であらわしてもらおう。