普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

うなぎというものをまったく知らなかったらそのビジュアルから何かを期待できるだろうか

雨の週末というのは本当にいただけないものがある。元気が出ない。しかし、そんな雨の週末でも楽しみを設けることで陽気に乗り切ることができるというもの。

金曜は先週に続き会社のお金でご飯を食べることに成功した。今度は随分前にちょいと儲けを出したときのご褒美とのこと。「打ち上げでもやりんさい」と、会費として支給されていたけど、コロナを鑑み使途が迷子になってしまっていたものが今般発動した。

そもそも何の報奨金か、何をうまいことやったかをあまり覚えていないのだけど、ご褒美をくれるなら嬉しいし、それでおいしいものを食べさせてくれるならつべこべいわずご馳走を胃に納めるのみだ。

そうして選ばれた”おいしいもの”。それはうなぎ。直球かつ安直だけれども、きちんとしたものを食べれば満足しないことはほぼないという安牌でもある。こういうときは変に冒険などせずに浅薄にごちそうにありつけたことを喜ぶのが一番だ。

お昼ご飯の時間となり、メンバーで鰻屋へ向かう。うな重を食べさせてもらえれば充分と考えていたのだが、あれやこれやと出てくるではないか。

ほねせん、うざく、うな串(肝含む)

これでお酒がないのが不思議なラインナップだ。思えば席についたとき、法事のあとにいく会席料理屋のごとく裏返したグラスがテーブルに設置されていた。そして店員さんはめちゃくちゃナチュラルに「お飲み物はどうされます?」と開口一番に聞いてきたし、完全に飲むことを想定されていたのではないだろうか。

一同逡巡の後「ではお茶を…」と伝えると言葉にはしないまでも肩透かしをくらったようなリアクションで店員さんはそそくさとグラスを回収していった。こちとら仕事の昼休みでなければ浴びるほどのみたい所存。というかちょっとくらいなら飲んでもいいんじゃないかなとすら思っていた。うざくを食べた時に「これはお酒ですよね〜」とわざとらしくアピールしてみたが誰も陥落しなかった。念の為うな串を食べた後にも「これは完全に…」と追い討ちしてみたが鉄壁のガードに敗れた。ビールなんてロシアじゃつい最近まで清涼飲料水だったし(お酒認定は2011年かららしい)許されても良さそうなものだけどな。

お酒が飲めないのはこの際仕方ない。そうなった以上うなぎに心血を注ぐのみ。襟を正してお重を待った。

堂々の貫禄

うなぎはおいしいものであると知っているからお重の蓋を開けた瞬間に「お〜!!」となるが、うなぎの蒲焼というものをまるで知らなくて味など見当もつかない状況でこのビジュアルを目の当たりにしたらどう感じるだろう。「ご褒美って聞いたのにおれ、何食べさせられているんだろう…」とちょっとしょんぼりしてしまうんじゃないだろうか。映えの概念が一切ない。茶色い世界だ。そういった意味でいうと、価値観を養うというのは人生を豊にするということであり、うなぎのおいしさを知るということは手を加える前の花壇のようなビジュアルであっても賛美し、歓喜できるようになるということである。パブロフの犬ってこういうことなのかもしれない。

つべこべ言わずにご馳走を胃に納めるつもりが散々つべこべ言ってしまった。まあなんか色々言いたくなる程にうなぎはおいしゅうございました、ということで。

ちなみに、やけに豪華に色々と食べることができた理由は元々割り当てられていた予算にに対して当初想定されていた人数よりも減ってしまっていたにも関わらず予算をその人数分使えたからであるとのことらしい。退職者分の予算をお重以外の部分に充てたということなのだろう。

この日は夜に同じシマの勤務者の送別会があり、その退職者の方もきていたのだけど、「あなたの分の予算でうなぎやで豪遊しました」とは言えずへらへらとお酌などして夜を酒で溶かした。

こんなかわいいもの出てきているのにおじさん会席だった