ちょっとスピリチュアル…かもしれない

メインブログの中から、スピリチュアル色のある記事を抜き出しました。なにかの専門家ではありません。日常の中で感じることを淡々と綴っています。数秘術やオラクルカードにはちょっと興味があります。

 

両方のベストなバランスを探している

 

医学的な見方から

 

δ株という直接同席しなくても感染する可能性が高いコロナウィルスが大きく割合を占めるようになってきました。予防接種をしていても安堵出来にくい状況になりつつあって、疫病の原因もわからない昔では、本当に神頼みくらいしか方法がなかったというのはわかりますね。

 

なんていうかな。幼少時から弱かった私はいつのまにか医学とスピリチュアリズムにあまり解離を感じていません。幸か不幸か肉体と精神が強く結びついている自覚があるので、どちらか片方を見ているとバランスが崩れてしまうな、と感じていたからです。

 

ワクチン推奨派と反ワクチンの人たちが綺麗に対立構造になるのもよくわからないのです。根拠があやふやなものも多いですし。……というかほとんどそうですが(-_-;)

 

 

 

あと精神疾患についても、やはり服薬だけでは改善しづらいのも感じています。

 

私はよく自分を知るために心理テストや分析などをやってみます。ストレングスファインダーもそも一つですね。自分の強みになる要素を知ることが出来ます。

 

もともと私は内省的かつ運命思考のタイプなので、ずーっとそういうことについて考えてきて、運命思考の解説に出会った時に腑に落ちた感がありました。

 

 

 

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運命思考の俯瞰

 

長い引用になりますが、こんな感じです。

 

coach-liberte.com

 

 

 

運命思考は波紋を見ている

 

何かと何かを繋げる資質は色々ありますが、運命思考のそれは他とは少し違っています。「AだからB」のような目に見える因果関係だけではなく、むしろ時を超えた目に見えない大きな繋がりを見ています。

 

運命思考は何かが起きた時に”こんなことあり得ない”とパニックすることがありません。今ここでジタバタしても波を荒立てるだけだということが直感的に分かっているので、水辺に落ちた石の波紋が広がるのを眺めるように、その行方を穏やかにじっと見ている。そんなイメージがあります。

 

運命思考にとって「一見意味を成さないこと」は、むしろ興味をそそります。なぜならその出来事は波紋の始まりでしかないことを知っているから。

その禅的な在り方やとてもユニークな視点が周りに対して影響力を持っているというのが、運命思考の大きな強みの一つです。

 

今起きていることと過去や未来への繋がりが見えず不安に駆られている人に、その存在は大きな安心感をもたらします。「無意味なことなど一つもない」ということを運命思考は知っているのです。

 

 

 

運命思考は境界線を壊す

 

例えば人種や国籍、年齢、派閥など、ありとあらゆる壁をつくるものは、運命思考にとっては意味を成しません。人は皆同じだし、動物も同じ生き物、もっと言うと地球上にいる、という点で存在するすべてのものが繋がっていることを直感的に知っています。

それゆえ運命思考は境界線をたやすく超えていきます。”ん?ここに線があったの??”とでも言うかのように。

 

そのユニークな在り方は、あまりにも自然すぎて、周りにいる人々の境界線をも壊してくれることがあるようです。

 

隔たりを無くし二つの世界を繋ぐことが、静まった池に波紋を起こす石となることを、運命思考は直感的に知っています。

 

 

 

運命思考は点と点をつなぐ

 

スピリチュアルなイメージがある運命思考ですが、強みとして現れている時は、もっと現実的な一面をみせます。

 

Connectedness=「繋がり」という英語訳をみると、少しこの資質のもつ強みが分かりやすくなるかもしれません。

「あなたが今やっていることは、こんな大切な意味がある」

「あの経験があったから、あなたは今ここに立っている」

 

過去と現在、現在と未来、又は人と人や、物事の間の関連性。点と点を繋ぐことを得意とする運命思考には、他の人に見えていない本質的な繋がりを見つける洞察力が備わっています。

 

また運命思考が見ているのは今ある「繋がり」だけではありません。同時に「繋がる可能性」も見えています。そしてその多くは、運命思考が考えている以上に他の人達には見えていない、とても価値のあるものです。

 

人と人の間の今はまだ無い繋がり。そしてそれを繋ぐことで起こるたくさんの可能性。

何かが壊れている時それをもっと大きなところからみて、何を繋げばいいのか、どうすれば全体に繋ぐことができるのか、そんな視点も他者にもたらすことが出来る才能です。

 

 

 

運命思考を世界と繋げる

 

運命思考を上位にもつひとは、自然のなかに行くことが好きだという人がとても多いようです。おそらくそれは、現代のSNSのような人工的な繋がりを離れて、もっと大きな世界や宇宙との繋がりを感じられるからかもしれません。

 

ただ自然の中に出かけるだけでなく、実際に水や木や他の生き物に「触れて」繋がる。言葉通り、物理的に繋がる時間を持つことは、運命思考のユニークな才能にエネルギーを充填するのに、とても効果的です。

 

自然の中に行くのが好きな人はたくさんいますが、運命思考にとって世界と繋がることは、特別な価値を生み出します。

 

 

 

運命思考とセレンディピティ

 

セレンディピティに気づくためには3つの A が大切です。Action(行動)、Awareness(気付き)、Acceptance(受容)。新しい価値観を受け入れられるかどうかが重要で、すでに知識や経験やスキルがないと、出会ってもそれがセレンディピティだとわからない。ボーっと生きている人ではセレンディピティを生かせないのです」 

 ー脳科学者 茂木健一郎

 

「偶然の出来事から新しい発見をする能力」をサイエンスやビジネスの世界では「セレンディピティ」と呼んでいます。

 

失敗作から生まれたポストイットなどが有名な例ですが、日常的にもセレンディピティは生まれます。偶然セミナーで隣り合わせたひとと共通の目的が見つかって、一緒に大きなビジネスを成し遂げた、とか。

 

他の人には見えない「繋がり」への気づきと、人と人の縁を大切にし目の前に起きることを穏やかに受け入れる運命思考は、行動を起こせば起こすほどセレンデイピティを生み出す可能性があがります。

 

とても直感的な才能であるため、論理的に説明することが難しく、言葉にすることをためらうこともあるでしょう。

 

「この一言に、果たして価値はあるのだろうか?」

単独で存在するものなど無いことを知っているからこそ、自分の言動が世界に及ぼす影響力に責任を持とうとするのです。

 

本質的な繋がりが見える運命思考の視点には、とても大きな価値があります。他の人が見過ごしてしまう視点を言葉にして誰かに伝えることは、波紋が広がるための石を投じることになります。

 

進化した運命思考は、波紋を見つめるべき時と、自ら石を投じるべき時を見分けます。

そして自分を中心にして、その影響の輪を世界に広げ、様々な人や物を繋いでいくことが出来るのです。

 

この世界がすべて繋がっていることを、誰よりも知っている運命思考。

わたしが愛してやまない世界の一つです。

 

 

 

偏りのないスピリチュアルに関心がある人はこういうタイプなのかもしれないですね(^^;)あんまり理解されやすいとは言えませんが、そもそも直感を説明しろというのが無理じゃないかと思います。そして直感は基本的に間違わないというのもありますし。

 

 

 

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どちらも必要なもの

 

私は子供のころからかなり落差のある人生を生きてきましたが、スピリチュアルな方向からそれを見つめる視点が出来て、生きる勇気が湧いてきたので、自分にとっては非常に意義あるものだとありがたく思いました。私には生きるために必要なものだったのです。でも世間的な意見を鵜呑みにはせず、自分なりに学んで裏付けを見つけていきました。

 

ただそれはあくまでも私自身にとっての価値観なので、自分が納得できればそれでよく、布教(?)する気は皆無です。

 

だから反ワクチンなどの人がなんで懸命に布教したいのかよくわからないです。でも医学的に過去も含めてみたら、結果的に少なからぬ悲劇を生み出していることは否めませんし、コロナ関係のことでも公衆衛生の観点から、ノーマスクとか明らかに他人の迷惑になることはやめて欲しいわけです。

 

多くの人が真面目に予防しているのに、ぶちこわさないで欲しいし。ノーマスク反ワクチンというとスピ関係の人に少なくないのですが、私はこれは医学と公衆衛生と両方の立場から否定的です。

 

 

 

スピリチュアルな真理は生きる支えになりますし、励みにもなります。これは私自身が経験したことです。現代医学のみでは足りないところをフォローしてくれます。両方のバランスをうまく取ることが必要なんです。どちらか片方に寄ってしまうことから弊害が生まれます。真理を知ると自死を選択出来なくなります。

 

どちらかというと不具合が多い身体よりも魂主体に生きたい私ですが、その身体の不具合にすら意味があるのがわかってしまったので、バランスを取るというのが課題になります。

 

多分そのために他の人より多種多様な経験をしてきたんだと思います。「バランスを取る」というのは個人的なキーワードです。いままでもそうでしたが、これからも大きな課題になると思います。

 

 

 

 

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