連休も終わりですね。今日は珍しく昼くらいまでゆっくり寝て、疲れが抜けました。私は疲れに鈍感な時は、疲れたなと感じたときには、何かとやばい感じなことが多いです。体と心、ダブルできているときは、やる気が起きなくなったり、鬱への入口になったり。病気でなかった若い時と違って、頑張りすぎ気をつけています。

 

 若いときや子供の頃は、負けず嫌いでした。子供の頃は、小さい田舎町の学校でしたが、勉強は何故か三位が定位置。一位の二位の子供に勝ちたいって、競争心や向上心が頑張れる源だった。一位や二位の子供は女の子で、ガリ勉な感じでした。一人の人を抜かしてももう一人に負けてたり、負けてた人を抜かしたと思ったら、もう一人に抜かされたり。私はガリ勉ではなく、野球をしたり、以外と走るのが早かったり。千メートルとか四分を切るタイムで、この前、調べたら今でもまあまあなタイム。当時、六校あった陸上大会で優勝したことも。子供の頃、自分でもその一位と二位の子供に勝ちたいって思ってましたが、その一位二位の子供は逆に私みたいなやつには負けたくないって、気持ちはあっただろうなって推測出来ます。その二位人を好きになって、一時付き合った。その子が転校して、一度切れたのですが、進学して、私が隣前に下宿するようになったとき、その人の友達を介して、再び付き合うようになりました。吹奏楽部でなかなな私は時間が取れず、よく下宿に手紙をくれました。話は脱線しがちで何を書きたいのか(^_^;(笑)自慢ではありません。書いてるうちに淡いいい思い出となって浮かんできました。

 

 アルコール依存性あるある的な感じは、酒が人より強い自慢が多かったりします。たまに、断酒会でも体験談で誇ってる?ような話もあります。そんな競争心はいらないですね。断酒歴何年ってのもなんの自慢にもなりません。でも、どん底から、あがってくるって向上心的な考えは死ぬまで大事かも知れません。依存性の知識ってある一定程度だけで良かったりするけれど、地にまで落ちた人格は、磨かれて天井はなかったりするかなと思います。

 

 依存症に昔的考えの人で、「底つき体験」って口にする人が結構いたりします。間違った考えではないです。もう底まで落ちて上がるしかないって思いからは。でも、底つきは気が付く前に死に至る可能性の方が俄然多いかなと私は思います。いつからか底つきより、底上げがすんなり気持ちに入ってくるようになったのは、私は自然な考えになりました。多くのことやものを失った私は、失うものが少ないうちに断酒に迎える人がいいかなと切に感じます。

 

 私は自分的には結構、楽観思して考える方です。でも、依存性のことに関してはそうは言いません。断酒して、努力したら報われてい合わせが待ってるよなんても決して口にしないかな。理想と現実は違ったりするし。自己卑下して前へ進まないことはダメだけど、断酒は決して甘いものではないし、断酒なんて簡単に出来るなんて口にする人は、ほぼ信用出来ないかな。明るく笑うって無理にしなくても、回復していく先には、結果として笑いは戻っているかなと思います。

 

 今日は今の私には、競争心は必要ないけれど、酒を止めて、そんなにいろいろなことを求めてもいないけれど、ある意味、向上心がなくなってるかも反省で書きました。

 

 

 一日断酒継続しましょうね(#^.^#)