天一神王神社、参拝してみた【いい満月でしたね】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんばんは、わたしです。


先日は中秋の名月月見でしたね。


なんでしょうね。やっぱり毎月満月の日は来るわけですが、一際大きく輝いて見えますよね。


あれでまた月自体は太陽のように自己発光してるわけでなく、


太陽の光が当たって光ってるんですから、一般常識とはいえ驚きです。


あ、そういえばですね、




これうちのベランダから撮った月の写真なんですけど、


月の左斜め上と右側の学校の筋の先に星が写ってまして、


これがどうやら木星と土星だったみたいなんですよね。


そんで、木星(左斜め上)と月の間には海王星があったようで。


太陽系の天体が一部勢揃いしてたんですよね。


"一部"なのに"勢"揃いて。


惑星は他の恒星と違って周回軌道があって配置が変わるからこそ"惑"星と呼ばれるわけですが、


何百年も前にこれを見つけていたのですから、先達の天文学者は凄いですね(小並感)


ちなみに昔は十五夜や十六夜などの特定の月齢の日に集会を開き、月を拝み宴をする月待信仰というものがありました。


んな月齢とかぱっと見で分かんのかよ…と思うかもしれませんが、


昔の暦は月の満ち欠けで数える太陰暦なので30日数えればわかります。


とはいえ、暦があった方が確実ではありましたけど。





さて、ここまで十五夜ネタを引っ張ってきたわけですが、




今日紹介する神社には


全く関係ありません!!!!


マジでただの雑談です。すんません。


では本編に参りましょう。


  ​無格社 天一神社


神社鎮座地:兵庫県佐用郡佐用町東徳久


神社御祭神:天御中主神


神社旧社格:国幣小社(延喜式)右矢印無格社(明治)


神社御朱印:不明


ということで今回は兵庫県にある天一神社を紹介します。


佐用町は兵庫県の南西部最西端に位置する町で、南は赤穂市、


東は岡山県美作市に接しています。


佐用郡は播磨国の時代から変わらず残っており、


この神社も『延喜式』神名帳には播磨国佐用郡鎮座の天一神王神社という名前で載っています。


もうこの名前を見てわかると思います。


社名がカッコいい(小並感)キューンキューンキューンキューン


ただそんだけの理由で車を走らせたわけです。


だって社名に「神王」ってついてるんですよ。他の式内社見ても「王」のつく神社はあまり思い当たりません。



そんな神社の周辺はというと、



こんな感じです。超田舎です。最高かよ。


地方の田舎育ちの私としてはどうもテンションが上がっちゃいますね。


2、3時間散歩したい勢いです。






一応周辺には小さいですが標識がありますし、


カーナビがあれば辿り着けると思います。


ただ、Googleマップとかで現地の写真を見てもらうと分かるのですが、


一の鳥居は少し高台にあります。


しかも写真撮り忘れたのでここでは出せないのですが、


山道の入り口は害獣除けの柵が設けられており、


鍵を開けて中に入る必要があります。


帰る際には閉めるのを忘れずに。



鳥居をくぐっていざ神社へグー


参道は簡易にブロックが埋め込まれた階段が形成されており、


言うほど登るのは難しくないと思います。




とはいえ一の鳥居のすぐ真後ろに社殿が見えます。


小さなお社ですね。


マップ上で見るとこの社殿の場所が天神降臨の岩と登録されており、


どうもこの祠の下にある岩がそれなんだとか。


岩というか普通の山肌に見えなくもないうずまき

中を覗くとこんな感じ。


小さな祠と坐像が見えますね。


右側の由緒書きには書道の神と書かれており、使用済みの掛軸、書き初め、硬筆ノートを奉納し、


目的成就を感謝する、とあります。


天満宮を中心に見られる筆塚と同じように見えて、


書く方(鉛筆)ではなく書かれた方(メモ)を奉納するんですね。


なかなか珍しい信仰です。




さて、お参りも済んだしここは終わりかな…と思いがちですが、


なんとこの神社が天一神社ではないようなんです。


事前にこの神社を検索し先達の方々のブログを見たときに、


みなさんこの書道の神さまの祠を本社と勘違いし、


物足りなさを感じ資料を調べるとここは本社ではないという流れになるようで、


注意するよう書いてくださいました。


これは式内社のブログをよく見る方には有名な玄松子さんのブログにもありました。


玄松子の記憶 天一神社


まぁあの方は『式内社調査報告』持って動いてるみたいなんでガチガチのガチですけどびっくり




実際に書道の神様の祠の左側に階段が続き、


一本道を登っていくと建物が見えてきました。


古い神社はこういう一筋縄ではいかないことが多いですねガーン


ちょっと木の葉が多く急ですがすぐに着きます。




手水舎っぽい石も。普段は無人のようで雨水が貯まっています。



着きました。こちらが本社です。


小さな狛犬さんがお出迎え。


…なんか右側の阿さんめちゃくちゃまでニヤけてますね。口角爆上がりです。

 

割拝殿の形式ですね。雨祈神社の旧拝殿も同じでした。




割拝殿の右側には何か動物を模した像が。


狐のように見え、それでいて馬のように見える…お神馬さんなのかもしれませんね。


まぁ一目見てまず出てきたのはRODYでしたけど。


めっちゃ似てません?RODYプロトタイプかと思いました。




柱には御霊験、御神徳が描かれていました。


無病息災、交通安全、入試合格がメインのようです。


また、元旦から1月7日までにこの神社に参拝すると、疫病にかかることがないとも言われています。


今一番お力をいただきたい神様ですね笑い笑い


割拝殿には大きな絵馬も奉納されているのですが、


劣化が激しくなにが描かれているのか分かりません。

 

なんか天女…的な人が中央上段にいますし、うーん、なんだろ。なんか左右で対峙しているようには見えます。



奉献芳名者一覧も掲げてあります。


昭和54年、55年の人たちが書かれてますね。


皆さん氏子さんかと思えば、姫路市、大阪など割と遠くの方の奉納もあったりします。


元々の住民とかでしょうか?




由緒書きです。


ここまで人里離れた山の中、そして無人の寂れた神社なのに、


由緒書きがめちゃくちゃしっかりと作られていますびっくり


この神社は今から約2000年前の弥生時代に創建されたとされ、


日本でも最古の神社と称しています。


同じように日本最古と目される神社は多く、ひとまず歴史的に見ても間違いないと思われる神社として、


大神神社、諏訪大社、伊弉諾神宮などが挙げられます。


諏訪大社は歴史が古すぎて創建は具体的に分からず、


伊弉諾神宮は記紀神話の神代の段に出てくる幽宮を当社と比定するするため時期が判明しません。


なので応神天皇さまが創建させた由緒のある大神神社が逆算すると弥生時代の終わりくらいなので、


この神社も最古と名乗るのは間違ってないのかもしれませんキラキラ




そしてこの由緒書きの『延喜式』神名帳の欄を見ると、


天一神神社となっています。


じゃなくて、!!!??


一番驚きましたが、逆に神王という社名としてはなかなかにそぐわない感覚から


一気にあり得そうな社名になった気がします。


『延喜式』はいくつか写本があり、その際の写し間違いや、



写本の字の間などによって社名が違っている神社がいくつもあります。



この神社もその際の一例であるといえるでしょう。



ちょっとロマン的には残念ですけどねもやもや


御手洗いは和式の汲み取り式です。


こう見ると設備しっかりしてますね。崇敬者さんたちが長居すること前提で作られてます。



拝殿を通り過ぎて左奥に道が続いており、


突き当たり…には両部鳥居があります。


どうやら丘の裏手にまた別の入り口があるようですが、


こっちめっちゃ坂道だったんですよね…しかも普通に丘越えになるのでどこに降り立つかはいかなかったので、


気になる人は降りて行ってみてください。


無事に帰って来られるといいですね…魂


扁額がなかったのでちょっと探してみたら、


割拝殿の由緒書きの隣にありました。


ここで言うこの天一神についてなのですが、


現在の御祭神は天御中主神さまとなってます。


しかし、式内社において天御中主神さまを祀った神社は基本的にないとされており、


現代においては主祭神としている式内社は妙見信仰の影響と推測されています。


なのでこの神社も本来は天御中主神さまではない可能性があります。



祭神について他の説としては、安直に天一神さまが挙げられます。


天一神さまは陰陽道における方角の神様で、凶のの方角に住んでいるとされています。


この神様が天に帰って、凶の方向がなくなって自由に行き来できるという日が天一天上で、


暦とかをみていると一粒万倍日と同じように記載されています。


ただ、やはり陰陽道の神様というところが式内社というカテゴリにはかなりひっかかるところで、


弥生時代からの創建であるなら陰陽道に指針を合わせるには時代の差が大きく感じます。


もう一つが天目一箇神さまと言う説ですね。


ん…どこかで聞いたような…あっ電球


天一神社の配祀神としてこの天目一箇神さまが祀られており、


それを裏付ける要因として、御神体の銅剣が挙げられます。


上の天目一神社の記事で述べたように、天目一箇神が鍛治の神様として祭り上げられていたように、


この播磨地方には製鉄技術を持った職人たちが住んでいたことが分かっています。


天目一神社と天一神社、なんとなく社名も似ていますね。


これは同じく天一神社へ行った方々も同じ結論に至っているようです。


なんかこう見ると周辺の家々が隠れ里みたいに見えてきましたね。鬼滅かな?

あ と が き 



という感じでいかがだったでしょうか。


冒頭でこないだの月の話をしていましたが、


現在台風が日本列島に近づいています。


今日から明日にかけておそらく大陸を通過していくと思いますので、


皆さんどうかご無事で。絶対に川覗きに行ったり、


避難にはちゃんと従ってください。


ただでさえこのブログを読んでくださる方が少ないのに、


災害で儚い命が失われてしまうのはとても悲しいものです。


私も台風に備えて洗濯物を取り込む準備をしながら、


本日は筆を置きたいと思います。


それではまた来週くるくるバイバイバイバイバイバイ




にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ