うっ!
うぎゃぁぁぁ!!
危うくチャリから転げ落ちそうになった。
腿がつった。
しかも両足。
ふくらはぎなら伸ばせばいいが、
腿となるとどうやって伸ばせばいいのか。
しかも裏筋もなんかヤバい。
考えている間にも
腿筋がピクピクピーン!
痛ててててて。
とりあえず、チャリを降りて屈伸。
考えてみれば、
慣れない自転車。
電動ではなく、普通のママチャリ。
小さくて座りづらいサドル。
1時間近くこぎづらいチャリを乗り続ける。
ツルよね。
まいったなぁ、どうする?
堺、広すぎるんだよ。
ここで撤退はあり得ない。
ちょいと足を休めて続行。
堺奉行所跡
信長時代は
松井有閑が堺代官として
そして
秀吉時代は
石田三成が堺奉行として
確実にここにいた。
堺の中心にある。
写真の左端黒いビルから右の赤の信号までが一辺。
その後ろがこの一片の2倍くらい。
そうとうでかいよ、奉行所。
一軍が駐屯できる。
よし、堺のクライマックス
港へ行くか。
「は~い!ここからは呂宋(納屋)助左衛門の助ちゃんが案内するね!!」
また変なのが出てきた。
今、BSで再放送してる
大河「黄金の日々」の主役。
あのルソン壺のブームを作り、
堺の大商人にのし上がった奴。
「は~い、ここから見える港が、戦国時代の堺の港。」
「今はだいぶ先まで埋め立てちゃったけど、ここだけは昔のまんま💛」
「おおぅ、戦国時代はここが世界への扉だったわけね。」
「なんかぞくぞくしてくるぜ。」
もうちょっと先まで行ってみた。
ちょうど阪神高速道の下あたり。
明治10年(西南戦争の年)に建造された灯台があった。
戦国時代から明治初期にかけて、
ここが堺の港の先端だった。
木造建てのモダンな作りがいい感じ。
右に見える壁画もなかなか洒落てる。
南蛮船と渡来人。
海側から堺港を見てみる。
織田信長も
豊臣秀吉も
徳川家康も
この港に立ち、世界を眺めた。
「はーい、この助ちゃんもで~す。」