2021年8月3日火曜日

「できないこと」の重要性



 しばらくブログを留守にしていた間、北バージニアの僻地はキイチゴの旬を迎えていました。いろいろな種類があるのです。夕方、暗くなってきた農道のわきに西日に照らされて光るキイチゴは宝石のような輝きを放ちます。その姿を記録したく何度も写真を撮りましたが、私の腕ではあまりうまく写せませんでした。表面につぶつぶがたくさんあるせいか、なかなかピントが合いません。

 面白かったのが、犬のコディがキイチゴが大好きだと分かった事です。コディは雑草は比較的ついばむものの、野菜やフルーツといったファンシーな食べ物は一切受け付けない男です。ところがこのキイチゴを投げたところ、パクっと空中でキャッチして、いくらでも食べることが分かりました。これらの果物には抗酸化成分があるというし、なによりキャッチする時の顔があまりに面白いので夕食後の散歩でキイチゴキャッチをするのが毎日のルーティンとなっていました。季節がすぎ、枯れた果穂を見た時は寂しかったですが、また来年のキイチゴに期待が膨らみました。

 本日は(これまで若干6年ほどのぺ~ぺ~ではありますが)ヒト幼児と大型イヌを一緒に育てる中で気が付いた犬や子供が「できなかったこと」「しなかったこと」の重要性についてごちゃごちゃとムダ話をしたためたいと思います。勉強やらしつけやらで、犬や子供に何かをやらせようと働きかけたが、できなかった、しなかった、ということはわりとよくあります。親や飼い主はついついイライラしてしまうのですが、これらはとても大事なことで、そこで立ち止まって時間をとって、考える価値のある事だと感じています。

 ホームスクーリングもどきを1年以上続けている娘(5歳10ヶ月)は数字に殆ど興味がありません。日系人の子女向けにオンラインのプレイグループをしていると、周囲には4歳くらいで九九まで出来る子とか、小学校に入る前に低学年の漢字をマスターしている子などがちらほらいるのでちょっと焦ってしまい、「娘、記号に弱いのではないか」とか「算数が苦手になるかも知れないので学校へ上がった時のために先取りして教えるべきか」などという気になることもあります。でも、算数は一旦置いておいてほかの科目をしていると、地図記号や、漢字の意味を考える事は、わりと好きだということがわかりました。

 地図記号はもちろん、漢字などは象形文字で、ある意味記号です。つまり、頭の中で実像と結ぶことができる記号や、物語性のある記号は好きなのです。この事から、娘は(他の大勢の子供達と同様に)より多くの学習内容を実像と結べるように、より多くの身体的経験を必要とするタイプだという事が分かります。これは今後10年以上娘という子供の性質と向き合う上で意味のある発見です。

 ここでフト気付いたのが、「自分の娘が数字に興味が無い」ということに気付いた時点で、そのことで頭がいっぱいになり、その苦手を「消す」ためにがむしゃらに反復練習などを日々繰り返していたとしたら、おそらくこの発見はなかったと思われることです。または、ずっと後になってから、もしかすると練習のしすぎで漢字や算数などが嫌いになってから、その事実にたどり着いていた可能性もあります。


ボールを返せという指示があるまで、返すことを「しない」犬。犬自身の考えがあるようだ。


 もうひとつの例はコディです。ドッグトレーニングをしている人なら皆「犬になにかをするようリクエストしたが、犬がそうしなかった」という経験を持っていると思います。私の犬コディも、家の裏庭で遊んでいる時に、たまに「オイデ」を無視することがあります(!)。

 コディにとっての「オイデ」はもともと非常に効力のある言葉で、ドッグパークの雑踏やパーティーの人混みの中や雑木林などでも、わりとすぐに戻ってきます。たとえどこかに向けて走って居ても、呼ばれたらUターンを描いて戻ってきます(シェパオーナーの方はどういう様子かすぐ想像出来ると思います)。

 ところがこの裏庭に居る時、時折「オイデ」を2回言われないと戻ってこない事があります。そういうときは、1回目の「オイデ」では、遠くで立って私の事を見ているのです。それで、興味を持っていろんなところやいろんな時間帯に呼んだりして調べたところ、特に日暮れ前の時刻に、東側の庭(公道と雑木林に挟まれて伸びるスペースです)の中にいる時、「オイデ」が2回要る傾向があると分かりました。

 しばらく今の場所に住んでみて気付いたのですが、この東側のスペースの外側は野生動物の通り道になっていて、シカや小さな生き物が頻繁に通過していることがわかりました。この動物の往来?が最も盛んになるのが、日暮れ前の1時間ほどでした。またあとで知ったのですが、公道をはさんだ向かい側(といっても200m以上離れていますが)に大きなマスチフがいる家があって、その犬の事も警戒しているようでした。

 コディは基本的に言われたことは守る性格ですが、シェパード的な敷地を守る気持ちや、イザとなったら自分で考えて決めようとする気質が強く残っています。その性質をどうしようもなくかき立てるのがこうした害獣の存在であり、この「夕暮れ時の東側の庭」だったということです。私の犬は脅威を身近に感じた時、自分のビジネス(危険管理)を優先する奴だということがわかります。こうして「オイデができないことがある」事の原因を探る過程で、愛犬の性格について、また少し理解を深めることができました。

 犬にもヒトの子供にも言えると思いますが、何かをやらせてみて、「とくいだった」「好きだった」ということから分かることと同等か、時にそれ以上のことが、この「できなかった」「しなかった」ことの分析から分かると思います。だから、やらなかったことの原因を真剣に考えることなく、子供を強制的な練習メニューに放り込んだり、犬にはEカラーをつけるなどして、好ましくない行動をさっと消去しようとすることは、心情的にはとてもよく理解できますが、相手を知るための非常に重要なチャンスをも消去していると言えます。

 別の話でもすこし触れましたが何かを飼い育てる、教えるということは、結局は相手を知ることがほぼ全てなのではないかと考えます。ナンデこれが出来ないのかとか、ナンデしないのかとか、そういうことを探ったりする中で、少しずつ状況が改善したりすることもあるし、ふいに相手から感謝されたりすることもあります。藻掻きながら、親と子だったり飼い犬と飼い主という「オリジナルの関係性」の構築を目指していくことが、結果的に良いことなのではないかと思いました。



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