こんにちは。

 

気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴22年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。照れ

 

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私のオーストラリアの人生経験、国際結婚、DV、国際離婚、裁判、鬱、カウンセリング...人生最大の激動の頃についてはコチラからどうぞ

 

『虚家族』の今までのお話はコチラから

 

春の花ジャカランダが終わると、夏の花ポンチアーノが咲き始める。

 

 

 

 

 

 人間は、死の間際に何を見るのだろう?

 

 別れた後もDV元夫との関係が清算されるまでに年月を要し、一時期は車で対向車線のダンプに

 

(ここで突っ込んだら楽になれるかな...)

 

なんて考えるくらい鬱ってた私だけど、あの時ダンプに突っ込んでいたら、死ぬ間際に私は何を思ったのだろう?

 

 

(DV元夫との別居、離婚で鬱になっていた頃のお話はコチラ)ダウン

 

 

 

 

 私は、母が長年パーソナリティーの問題を抱える父と生活を共にして、三人の子供を抱え、父の両親から『ダメ嫁』のレッテルを貼られ、悲しみの中でよく死ぬ気にならなかったもんだと思い、聞いた事があった。

 

母:「何度も考えたよ。でも、貴方達がいたから頑張れたのよ。」

 

 そう母が言った時、カウンセラーや友人に助けられた私と違って、

 

(母は本当に孤独の中で私達を育てて来たんだ。どんなに辛かったろう...😢)

 

と思い、涙した。

 

 今でも母の孤独を想像する度に涙が出る。😢😢😢

 

 母は、昔の精神的虐待を父や父の家族全員から受けていた頃の事を話し始めると、今でも涙を流す。

 

 精神的DVを受けながら、自分のどこがいけないのかを模索し、例え母が何をしても、旨く行った事は父の手柄になり、旨く行かない事は母の責任になった。

 

 そんな父との共同生活を、母は35年続けた。(私は、パーソナリティー障害を抱えるDV元夫との生活7年7か月で精神が悲鳴を上げたえーん

 

 母は、私の結婚生活の約5倍の長きに渡って、精神的DVを受け続けたのだ。

 

 だから別居に踏み切った後も、母は長きに渡って自分が家を出た事に罪悪感を抱き、嫁としての責任から逃げたという負い目を背負い続けていた。(精神的DVの被害者の特徴。自分を責める)

 

 昨年、超熟年離婚するまでは...。

 

 

(もし、昨年の離婚成立前に母が亡くなっていたら、母は死の直前に何を思ったんだろう...?悲しみを抱えたまま、人生を後悔しながら旅立ったのかな...)

 

 最近、ふとそう思った。

 

 母が父のアスペルガー症候群を疑って私に相談をして来た時、私は、母の為に父の性格の問題をはっきりさせてあげたかった。

 

 自分を責め続けてきた母に、母は悪くなかったのだと気付かせてあげたかった。

 

 パーソナリティーに問題がある父に『発達障害』という診断が下りた後、精神科の心理療法士は、母にカウンセリングを勧め、私も母にカウンセリングを強く勧めた。

 

 母は、そのカウンセリングで、『自分は悪くない』という事をハッキリと自覚出来たのだという。

 

 第三者のカウンセラーと話をする事で、自分を罪の意識から解き放ち始めた。

 

 そして、遂に離婚訴訟を起こした母。

 

 

 すると、弟のホオズキと妹のイラクサは離婚をしたくない父側に付いて、離婚を阻止すべく陳述した。

 

 私は忘れない。

 

 母にビデオコールをした時、父側の供述書の中に弟ホオズキと妹イラクサの二人が離婚に反対する陳述した内容を母が読んだその時の母の涙を。そして、

 

アリス:「お祖母ちゃん、元気出してね。また来年会いに行くからね。爺と離婚したら、オーストラリアに来て、一緒に楽しもう!」

 

という言葉に、嬉しそうな笑顔を見せながら嬉し泣きしていた母の顔を。ダウン

 

 

 

 離婚成立直後は、よく泣いていた母。

 

 長年の精神的虐待で傷付いた心。

 

 昔の記憶が蘇る度、その心の傷の中に溜まっていた膿を涙と共に流していた母。

 

 でもこの一年、少しずつ、少しずつ、心の膿を出してきた母に、少しずつ、少しずつ笑顔が増えていった。

 

 そして、昨年の超熟年離婚から1年経って、母の顔はとても穏やかになった。

 

 離婚に踏み切った途端、父側に付いたホオズキやイラクサの恨み事を言うわけでも無く、

 

母:「親になって子供を育てた事が無いんだから、親の気持ちは理解出来ないと思うのよ。これは仕方ないわよね。」

 

と、言った。(母親の愛情と、兄弟の愛情は違うな...と思った)

 

 

 今、母は自分の人生の終盤に、父の介護の責任を負う必要は無くなった。

 

 母は、自分のためだけの終活を始めた。

 

 今も人生を振り返り、人生に気付きがある事を、ビデオコールする度に笑顔で語ってくれる母。

 

 

 今なら、母は死の間際に何を思うのだろう。

 

 少なくとも、人生を振り返って、笑顔で私達に語ってくれる今の母だったら、悲しみや恨みや後悔を抱えて逝く事はないだろう。

 

 母は穏やかに、穏やかに、年老い始めている。

 

 

 

 

 

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