今私は、兼業農学校で学んでいます

 

 

入学式の日、一番初めに発表させられたのが

 

 

「なぜ農業をしようと思ったのか」とか

「農業を学んで何をやりたいのか」ということでした

 

 

農業を学ぶ方法はいくつかありますが、ここに集まる人達は、

 

ただ農業に関する知識と技術を身につけたいというわけではなく、その先にやりたいことがあって来た人がほとんどです

 

 

 

ちなみに、どんな動機で入学してきたかというと…

 

定年退職後は農業をして暮らしたいという、田舎への移住希望者もいれば

 

 

お子さんが自閉症で、聴覚過敏

田舎ならイヤーマフを外せることがわかり、移住を考えて農業を始めようとした人

 

 

発達障がいの子どもの療育の場として、畑のある施設を作りたいという人

 

 

子どもの「ダッシュ村」を作りたい人

 

 

子どもが不登校経験があり、子どもは今は田舎でフリースクールを手伝っている

自分は体験農園のあるキャンプ場を作りたいという人など

 

 

「子どもに関連した場」を作ろうと思ってきた人たちが多くいます

 

 

 

 

私自身も同じように

社会の中で生きにくさを感じている子どもや大人たちの「体験フィールド」となる畑を作りたい

 

そして、さらには安心して居られる「居場所」をつくりたいという希望があります

 

 

 

 

 

今でこそ、私も自分が何をしたいのかを言葉にして話すことができるようになりましたが、

 

 

 

自分が何をやりたいのか、学んだ先のビジョンということをたずねられて、しっかりと答えるのは意外と難しいことです

 

 

みんなが、次々と自分の夢を熱く語る中で

ただ何となく参加してしまったという「少数派」の人は、圧倒されて肩身が狭そうな感じでした

 

 

 

社会も少しずつ変化しています

 

 

控え目で

謙虚さが美徳とされる風潮は、今でも残ってはいると思いますが

 

 

「自分らしさ」を封印して、社会に合わせて生きることに対しての違和感が「体の反応」として出てしまう人が、大人にも子どもにも増え

 

 

既に、「自分らしさを表現することが健康でいる上でも大切な時代」に突入したことを実感せざるを得ません

 

 

今の時代は

自分のやりたいことを、はっきりと表現することを求められることが多くなっています

 

 

 

昔から日本人に多い、世間体を氣にしながら、常識的に生きようとしている

いわゆる「いい人」

 

 

そういう人は、子育ての中でも

子どもに「あなたの氣持ちはどうなの?」と問うよりも

 

世間から見ていい子でいることを基準に躾をしていきますが

 

それもすでに、時代遅れ

 

 

 

私たち親の時代は、社会的に評価されることが幸せに直結していた時代ですが

 

今は

自分らしい生き方ができているかどうかが幸せに直結している時代です

 

 

 

新時代を生きる者にとっては、

自分らしさを殺して生きるくらいなら、死んだほうがマシといってもオーバーでないくらい、「自分」というものがすべての基準であって

 

 

「自分らしくいる」ことがとにかく大事なのです

 

 

 

親はまず、これだけの違いがあることを知る必要があります

 

 

 

もはや、親たち昭和世代と

子どもたち平成世代は別の人種だと思った方がいいですし

平成の中でも、後半生まれはもう宇宙人だと思った方がいいくらいかもしれません

 

 

大人にも、

今の時代に合った新しい価値観を身に着けていく事が求められています

 

 

「自分」を中心にした価値観ですが

私たちが嫌っていた「自己中(自己中心的)」とは全く違います

 

 

今は「自分を大切にすること=他人を大切にすること」なのです

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて、私が

まだ「自分」というものに意識が向いていなかった頃のこと

 

 

とあるセミナーで

「この先何がしたいのか」「どうやって行こうと思っているのか」を順番に発表させられた時に

 

 

もう、冷や汗タラタラ  あせる

生きた心地がしないほど焦った思い出があります

 

 

 

それまでは、セミナーでも「子どもの不登校を何とかしたくて何かを習う」というスタンスで参加していたのが

 

だんだんと選ぶセミナーが、不登校の子を持つお母さんとしてではなく

 

あなたは何がしたいの?」と問われるようなものに変わっていることに、自分でも氣がついていなかったのです

 

 

 

もともと、人に求められて期待に添うようにすることは得意でも

「自分」の氣持ちに従って、自分が主体として何かをすることは苦手な私です

 

 

「自分が何をしたいか」なんて考えたことがありませんでした

 

 

何とか、自分の中から答えを引っ張り出して、その場を切り抜けた記憶があります

 

 

 

 

思い返してみれば、その頃はちょうど

娘の起立性調節障害の症状も徐々に安定して来ていた時だったと思います

 

 

 

 

だいたい、子どもの状態が安定してくるのは、

 

親が子どもの状態を受け入れたり、あきらめたりしながら

 

少しずつ、子どもから意識が離れていった時期とリンクしていることがよくあります

 

 

 

これまでに、講座やご相談で出会った方々も

 

お子さんの状態が心配で心配で目が離せないという間は、なかなかお子さんも動き出さないことがほとんどです

 

 

親御さんにしてみれば

「だって、子どもがこんな状態なんだから、自分のことを考えている場合じゃないでしょ!!!」と思うかもしれませんが

 

 

そもそも

 

・親が自分の氣持ちに蓋をし過ぎている

 

・自分自身の中に抱えている本当の氣持ちを表に出さない

 

・今置かれている状況にただ我慢して、その状況を解決しようとしていない  

 

・自分のことはそっちのけで、がむしゃらに頑張り過ぎている

 

 

というような、「自分さえ我慢していれば、丸く収まる」というような

「事なかれ主義」的な発想の方がいまは問題という時代なのです

 

 

 

 

 

けれども、私たちは

 

世間がどうだとか

社会がどうだとかいうことに目を向けることしかしてきたことがないので

 

自分のことがわからない!!!

 

 

 

そんな親に、あーだこーだと言われたら、子どもは

 

「私のことはほっといて!

 

それよりあんたこそ、自分のことそれでいいと思ってんの?」

 

って感じかもしれません

 

 

 

 

また、不登校のお子さんに対する困りごととして

 

「お子さんが無氣力とか勉強をしない」ということがよくありますが

 

 

子どもは周りにいる大人を見ていて

将来への希望が持てずに、無気力になっている場合もあるのです

 

 

 

「だって、大人は楽しそうじゃないじゃん!!

 

  

勉強して、いい会社に入ったって全然楽しそうじゃないとしたら、勉強する意味ってあるの?」

 

という思いでいるのです

 

 

 

もっともすぎて、反論もできない あせるあせる

 

 

親が

自分のことを大事にしているか 

 

そして自分の人生を楽しんでいるか

 

そこを子どもは見ていま

 

 

 

 

音に必要なのは

まずは「自分」に目を向ける練習からです

 

・自分の氣持ちをかんじてみる

 

・自分のからだに意識を向けてみる

 

 

それができたら、自分と対話してみる

 

 

親が楽しそうにしていると、そのエネルギーは子どもにも伝わります

 

 

大人が元氣で楽しそうな様子がキッカケになって

子どものエンジンがかかり始めることだってあるのです

 

 

 

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★自分を感じることを忘れてしまった大人たちへ★

アマラス講座

本来の感覚を取り戻すことは、子どもを理解することにつながります

 

今の子どもたちは、自分の感覚に正直。心と体の反応が直結しています。

自分の中の違和感は、すぐに体の反応として現れ、時として病氣のようになることもあります。

しかし、心(意識と無意識)について知り、その取扱い方を学べば、体の反応は最小限にすることができるのです。

 

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