今日もさすがなアナタへ
この世界に価値がない人間は存在しない。
社会不適合者なヒト
集団行動が苦手なヒト
人付き合いが好きじゃあないヒト
多数派と少数派に分かれるヒト
田舎が好きな(向いてる)ヒト
都会が好きな(向いてる)ヒト
結婚したいヒト
結婚に向いてないヒト
コミュニケーションが不得意なヒト
コミュニケーションが得意なヒト
障害があるヒト
障害がないヒト
何かに依存してるヒト
何かに依存しててもまったく困ってないヒト
などなど…
俺は、私は、
〇〇だから価値がない
とはならないのよ。
何かができるできないとかの単純な判断で
そのヒトのそもそもの存在を
はかる事なんてできないから。
何かを達成しないと価値がない。
何かができないと価値がない。
何もしていないのは価値がない。
これは、ただの社会的評価であって
そもそものアナタ存在とは何も関係ない。
社会的評価=アナタの存在価値
ではないのよ。
社会的に評価が高いヒトだけが存在していい世界なら、この世界はとっくに滅びてるよ(笑)
どんな条件があっても
どんな原因があっても
どんな理由があっても
アナタの価値は生まれてきたときから、何一つ減ってないし変わってない。
アナタの価値を減らすことが唯一できる人間がいるとしたら、それはアナタ自身だけだよ。
周りの人間がアナタのことをなんて言おうが
例え、それが育ての親であっても
アナタの存在価値を下げることはできない。
もし、アナタに訳のわからないことを言ってくるヒトが周りにいたら無視してスルーしとけばいいのよ。
そのヒトは、そのヒトの都合で訳のわからないことを勝手に言ってきてるんだから
こちらも、こちらの都合で対応したらいいのよ。
そもそも、訳のわからないことを言ってくるヒトと関わる必要がどこにあるんよ(笑)
さっさと安全地帯まで離れるなり逃げるなりしましょう(笑)
依存当事者も同じよ。
自分で自分の存在価値を下げてたり、自分の価値を周りに認めてもらおうと躍起になってたりしてたら、自分の価値が下がるのは当然なんよ。
自分で自分の存在価値を下げてる行為をし続けてるんだから。
特に、依存当事者が気にしてるのは社会的評価が大部分を締めてるわけで。
社会的評価=自分の存在価値
と捉えてるから。
じゃあ、勤めてる会社が倒産でもしたらどうなんのよ(笑)
アナタの存在価値も倒産すんのかいな(笑)
凹んだり落ち込んだり、今後の不安はあるやろうけどね。
でも、それでもアナタの存在価値は何一つ変わっらないのよ。
アナタの存在価値は周りに左右されるものではないから。
存在価値は何一つ変わらないし減ることも下がることもないけど
生きづらさが増すことはあるんよ。
依存や障害って生きづらさの代名詞みたいなもんよ(笑)
依存や障害があるヒト
依存や障害がないヒト
どちらのほうが、現実的に生きやすいかと言えば
依存や障害がないヒトのほうが圧倒的に多い。
依存や障害がないヒトのほうが圧倒的に多いけど、生きづらさを感じづに生きてるかとなるとそうでもない。
依存や障害がないヒトとでも、生きづらさを感じて生きてるヒトはいる。
依存や障害があるヒトは現実的には生きにくいとしても、生きづらさを感じて生きてるかどうかと言えばそれは個人によるんよ。
現実的な生きにくい事と生きづらさを感じてることは別物だから。
依存や障害があるヒトでも、生きづらさを感じずに生きてるヒトもいるんよ。
生きづらさって自分のココロの問題やから。
自分自身が
世界と自分と他人を
どう捉えてどう観てるか?
ってことだから。
依存してようが障害があろうが、アナタの存在価値は生まれたときから何も変わってない。
依存してようが障害があろうが
アナタはアナタ。
アナタはアナタのままでいい。