78. 由緒正しき『下』の話

 

高知市の介良(けら)にある朝峯神社(あさみねじんじゃ)。

『延喜式神名帳』にも載っている式内社のひとつです。

どうやら大きな岩があるらしい。

聖なる空気感を想像しながら階段を登ったその先に──────




どーーーんと現れたのは、男性器を模した石でした。

生殖器崇拝のことは知っていましたが、そのような神社に行き当たったことがなかったので、完全に不意打ちです。

モザイクかけられる類のものが普通に置かれていると、やはりギョッとなりました。




本殿の奥にある大きな岩が、女性器に似ているところからの信仰のようです。

詳しくないのであまり語るべきではないのですが、子供が産まれてくる器官が、多産そして豊かな恵みに想像がつながっていくのは自然な流れのように思います。

とても原始的な祈りの形を感じます。




そうは言っても、身も蓋もない状態で見せられると聖より俗を感じてしまうのはお許しください。

とても複雑な心境デス。




とりあえず、その“女陰石” があるという本殿の裏への道を探します。

建物を回り込もうとしたら、立て札が。

「この先ご祈願処は男性のみお参りください」

なぬ!?(←昭和)

男性のみ?

女人禁制の神域として拒否されたのは、初めての経験です。




朝峯神社は、古くから安産・農耕そして酒造りの神様として知られていたそうです。

確かに、本殿となりの建物には酒樽がどーーんと積まれていました。

そして中には、木製の男性器がどーーんと奉納されております。

清らかな心で受け止められるよう鍛錬、鍛錬。




入れてもらえなかったので見ていませんが、“女陰石”の前に小さな池があるのだそうです。

その池の御神水で神酒が作られたところから、酒造りの信仰が生まれたということです。




もう割れてしまったようですが、池の中にひとつの瓶(かめ)があったのだそう。

その瓶の中に水がたまります。

日照り続きのときに、この瓶の水を少し動かして雨を祈るとたちまち降るといわれていたそうですよ。




手水舎には、底の抜けた柄杓がいくつもかかっていました。

底抜け柄杓で水を汲んで安産を願うのだそうです。

なぜなぜ期の幼子と一緒に来たりしたら、境内の石を見て「あれ何ー?」とか聞かれるのかな・・などと全くいらない心配をしてみたり。

雑念が止まらない。




いろんな側面を持っている朝峯神社。

形の良い介良富士の麓で、昔から信仰されていたのだろうと感じました。




しかし、やはり岩が見えなかった無念を引きずってしまっています。

そして、なんだろう、この気持ち。

一旦下ネタが始まるとなかなか戻れないのにも似て。

勢いそのままで、女躰神社(にょたいじんじゃ)に行ってみることにしました。




朝峯神社から10分ほど南に行ったところにあります。

名前が下衆な想像をかき立てる艶かしさがあるので、気になっていました。

よくわからないけど、行くなら今日だろという気分です。




しかしながら神社が見えたところで、下衆な想像を反省。

聖なる空気感漂う神社らしい神社でした。

木々な囲まれた空間が気持ちいいです。

女躰っぽいところがひとつもありません。




郷の人は「にょたいさま」と呼んでいるそうです。

弥生時代から拝み場として信仰されていたとのこと。

そして、元は『如體大明神』だったのが、明治元年の改称令から『女体神社』になったそうです。

「如」の文字は、神仏混合時代の本地仏が如意輪観音だったから。

なるほど「如」が「女」になったのですね。

こちらも田(稲作)と豊穣、そして子宝の神様だそうですよ。




どちらの神社も古くから信仰されていたようです。

時代が移り変わっても、人の願いはあまり変わらないのではないかと思うのです。

長い間そんな人々の営みを見守ってくれているのだなあと、厳かな気持ちに戻りましたとさ。




参考文献 : 岡本健児さん著『土佐神道考古学』、朝峰神社HP

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