愛知県春日井市、JR中央西線🚃定光寺駅から歩いて3分程🚶の土岐川沿いに、
自分の様な焼き物に関心のある旅人が一度は訪れたい老舗旅館があったそうです。
その名も 「千歳楼 (ちとせろう) 」 です❗
自分がこの旅館千歳楼を知ったのはごく最近のことで、
古本屋さんで見つけた35年前の焼き物の本📗に、その千歳楼の女将さんのことが紹介されていて、
千歳楼に行って見たいなと調べて見たら、もう既に2003年廃業していました・・・😰💦💦
自分が調べた千歳楼の簡単な概要は・・・
1928年に名古屋で料理店として創業し、1954年に春日井市定光寺に旅館として創業。
非常に格式高く、リピーターには政府系金融機関の総裁をはじめ、事業家、高僧、文人などもいたといい、
多数の芸者さん方が毎晩呼ばれていたとの事。
焼き物の里、瀬戸と美濃の間に位置し、陶芸ブーム・バブル期の1970~80年代には、
瀬戸・美濃の陶芸家がよく利用する宿として人気を不動のものにしていました。
当時の女将は地元の陶芸家と交流があり、加藤唐九郎、荒川豊蔵、河本五郎、加藤卓男などなど、
そんな人間国宝等、大陶芸家の素晴しい作品たちが旅館内に飾られていたという。
玄関を入った目の前に加藤唐九郎の陶壁があり、館内には他にもエレベータホールや浴室に、
数々の陶芸家が手掛けた陶壁が飾られていたそうです。
志野、織部、黄瀬戸の器に盛られた日本料理に、
特に焼き物に興味の有る方には人間国宝の器で料理を提供していたんだとか!!
最盛期の1994年頃は年収10億を記録したこともあったそうですが、
その後衰退し2003年に6億円の負債を抱え倒産してしまいました。
2003年10月倒産後も建物は現在も廃墟として残っており、
債権者らが室内金庫、高級食器、腕時計や宝飾品を次々に持ち出していったそう。
2008年頃から心霊スポットとして有名になり不法侵入や破壊行為、火事等が相次ぎ、
和服姿の男性が徘徊している、行方不明のオーナーが屋上に立っている、
フロントにある黒電話が鳴るなどの恐ろしい噂もあるようです(^0^;)
更に1階で服を着て座ったままの白骨化した本物の遺体まで見つかりニュースにもなったとか・・・
そんな在りし日の1980年代の千歳楼女将さんのインタビュー記事の内容は、、、
千歳楼のうたい文句は「陶芸と味のおもてなし」で、
「私どものところには確かに身分不相応なほどの器がございます。
でも、うちはコレクターさんとは違いまして、全て用のための器でございますから、
持っている器は加藤唐九郎先生のでも荒川豊蔵先生のでも、
みんなどんどんお客様の為に使わさせて頂いております。
それでお客様が喜んでくだされば、その笑顔が私どもには何よりの励みでございましから・・・」
記者の前に次々と運ばれてくる加藤唐九郎の信楽水差、絵唐津茶碗「銘:止水」、伊賀花入、、、
荒川豊蔵の香合たちを見せられ、この記者は興奮状態で胸が苦しいほどだったと記しています😲❗
「温泉を掘って、結局お湯が出なかったと思えば、
それよりも本物の器にお金をつぎ込む方がずっと特でございましょ・・・」
「器を使うということは子育てと同じでございます。
ひとつ器が増えますたびに、子どもが一人増えたような気がいたします。
大事な人からお預かりした大切なお子。
そう思えば箱から出すのも、しまうのも全部、私が自分の手でいたしませんと気がおさまりません」
「お葬式のお金だけ少し残して、
ありったけの全財産を持って、
好きで好きでたまらない陶芸家の先生がたの個展に駆けつける・・・
それが私の生きがいなのでございますよ」
自分もこの女将さんと同じで瀬戸美濃の陶芸家さんが好きで好きでたまらない・・・😘🍶
自分にはできない千歳楼の女将さんはすべてを地元の陶芸家の作品に愛情を注ぎ、
インタビューの通りに全財産💸を全力で陶芸家の器に注ぎ込んだ・・・
賛否両論あると思いますが、自分はこの女将さんは素晴しいと思います❗❗
それは人が器を選ぶ様に、器自身も持ち主を選び、使い手もお客も選ぶ、
こんなにも素晴しい器の縁に選ばれた女将さんは、
とても素晴しい女性だということを証明していると自分は思うのです😊👍
現在、千歳楼のオーナーの主人👨と女将さん👩は生存行方不明ですが💦💦、
(この35年前の女将さんの写真で70代位に見え、既にこの世の人では無いかも知れません・・・)
女将さんが愛情のすべてを注いで手に入れた器と言う子どもたちが、
今でも大切にされて美術館などの行きべき所にお嫁に行っていてくれていたらな・・・😔💧💧💧