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2022年11月18日 1位 獲得記事
愛知県瀬戸市上水野町の陶芸家で 瀬戸市無形文化財「織部」保持者 🏆に認定されている、
昭和4年(1929年)5月13日生まれの 加藤錦三 (きんぞう)先生の 「黄瀬戸ぐい呑」 です❗
このぐい呑🍶は錦三先生のご自宅🏡に直接伺って頂いた逸品✨で、
錦三先生の一番のお気に入りで誰にも手放さずに手元でずっと大事にしていた作品であります👍
「君なら大事にしてくれるだろう・・・」と長い陶工人生の晩年の集大成、特別のぐい呑🍶なんです❗
加藤錦三先生👴は25歳と時に同じ瀬戸市水野出身の陶芸家故 加藤唐九郎 (1897年~1985年)と出会い、
それから陶芸の師として唐九郎先生が亡くなるまでの30年間、側で学んでこられました📚
唐九郎先生の教えを守り、土や釉薬もすべて地元、瀬戸・美濃の自然の物にこだわっておられます👏
この黄瀬戸のぐい呑🍶はロクロ🌀で筒状にまっすぐ立ち上げ、
側面を面取りと言われる錦三先生が削り出した木製のヘラ🔪で縦にザックリ削り出しています❕
真っ直ぐ下に削るので無く、斜めから刃をいれたりして変化を付けています😄
錦三先生のこの黄瀬戸釉は、瀬戸・美濃の山🗻に自生する植物🌿を燃やして灰にした手作りのもので、
その種々の灰・長石等をブレンドして作った黄瀬戸釉が窯の中で溶け合って、独特な模様を作る出しています🔥
緑色の美しく輝く✨模様(タンパン・硫酸銅)はこれまた錦三先生が材料から手作りしたものです🌟
ぐい呑🍶の内側底部は、厚く溜まった黄瀬戸釉が窯の温度🔥で溶け混じり合い、
窯の中で変化した窯変として、キラキラ光輝いて美しいです✨
本当に美しい焼き物と言うのは、こんな偶然の窯変によるものだと感じます😊✨
高台部分を見ればこの黄瀬戸のぐい呑🍶の素晴らしさが更にわかると思います😄👍
釉薬が緑色に窯変しながら流れて、高台部分の手前でピッタリと止まっています😲❗
赤く焼けた土🔥も素晴しく、自ら見つけた瀬戸の上質な山🗻の土で、
粒子が細かく柔らかな土肌、こんな良い土はもう現代では取れません😓💦
左下に錦三の「キ」の彫り名がありますよ👀❕
付属の桐箱の箱書きも素晴しく👏、93年間生きてきた錦三先生👴だから書ける雰囲気のある字体です📝
師の唐九郎先生の字体を踏襲し「くい呑」としているのも唐九郎先生と同じにしているからだそうです👀❗
やっぱり素晴しい作品✨には、共箱もセットであるということなんです😄👌
この上👆の「織部ぐい呑」は15年程前に作った旧作🍶です❗
非常に小ぶりでありながら腰の張った造形、ボテッとし存在感があります👏
全体を覆う長石(志野)釉に上から、錦三先生独特の青く🌊発色する織部釉が掛けられています👀❕
こちら👆の「織部ぐい呑」も15年程前の旧作🍶で、今回紹介した黄瀬戸ぐい呑と同じ面取り型です❗
この面取りを施す造形は錦三先生が好きな造形なのかもしれません😊
薄い長石釉の上から緑色の織部釉が流しかけられています👏
先生はこの織部の技法で 瀬戸市無形文化財保持者 に認定されています🏆
加藤錦三先生は奇跡的な運命で今生きていると語ってくださった❗
16歳の時に旋盤工として広島市の工場で働き、1945年8月6日原爆により被爆。
爆心地からやや離れた工場内で機械の下に潜り込み、奇跡的に命を取り留めたそうです!
1948年、18歳の時には名鉄瀬戸線の脱線・転覆事故で大勢の人が亡くなった大事故があり、
その車両に乗っていた錦三先生は、たまたま後ろの車両に乗っていた為に無事であったそう!
錦三先生は25歳の時に加藤唐九郎先生👴との出会いで陶芸家を志し、
清貧💸を重んじる唐九郎先生の教えを守りバブル期💰も贅沢をせず、
地元の名も無き山の、名も無き土を愛し、土と語って作陶に生きた陶芸人生でありました❗
「古里の山々は陶土の宝庫 白い土、赤い土、その持味を生かして作陶に生きる70年」
錦三先生は俳人としても有名✨で、先生の有名な句・お言葉に、
「いい人に 出会えて人は 人になる」
自分も錦三先生に出会うことができて、またひとつ大きくなれたように感じます😊✨
ボクの人生の中で93歳👏の加藤錦三先生👴に出逢えたこと、
本当に焼き物が好きで、焼き物の神様✨に愛されてよかったなと感じました❗
自分のぐい呑🍶コレクター人生の中で、一生の思い出、財産のひとつになりました😊✨✨✨
「ボクがまだ生きとったら、また遊びにきてください」
外まで出て見送って🚗くださった先生と熱く握手をし約束しました😢💧