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pripocoの休日

ジョギング散策:JR加古川線:加古川⇔日岡‥後編

前編からつづく後編です
(前編の加古川河川敷からスタートして後編の日岡駅〜の日記です。良ければ、前編もお立ち寄りください🤗)

11月27日(土)
参加者:私と夫、長女の3人

日岡駅を出発し、次の目的地日岡神社へ


1300年の歴史のある大きな神社で、安産の神様として有名です。

(以下は日岡神社のホームページより抜粋)

第十二代景行天皇の皇后である稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)が最初のお産が難産で大変お苦しみになられたため、次に皇后が身ごもられた時に、当社の主祭神である天伊佐佐比古命が七日七夜祖神に安産を願い、無事双子の皇子を御安産なされました。

だから、安産の神様なのかぁと分かったところで…

「無事双子の皇子を御安産なされました」
の、くだりにある“双子”の皇子の一人が
「倭健命(やまとたけるのみこと)」という…


ヤマトタケルは、記紀などに伝わる古代日本の皇族。 第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
(ウィキペディアより抜粋)

私:「そんな有名な人が、なんでここで生まれるん

えっ、地元の人やったん
ホンマにおったん
物語の中だけじゃなくて

色々疑問が湧いてきますが、
この神社の隣りにあるお墓は
倭健命のお母様のお墓だと。

お墓はお墓なのですが「古墳」です。それも、「御陵」。
境内から続く石畳を登っていく途中に

「稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)御陵〇〇‥」と彫った石碑があります。

「宮内庁」の管轄のようです
この柵より向こう側が古墳で宮内庁と書いた看板付きの柵でぐるっと囲ってあります。

宮内庁と書かれた看板を見るのは初めてかもしれないのでなんだか緊張

立派な御陵で、中には入れませんが、神社の方が手入れをされるのでしょうか、整えられた玉砂利の砂紋が見事です

この御陵は稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)のひれとくしげが納められています。
(以下加古川観光協会ホームページより抜粋)

皇后が亡くなられた時、日岡山へ葬るため遺体を乗せて印南川(加古川)を渡っていた時、大きなつむじ風が吹いて船は転覆しました。

後に「ひれ」と「くしげ」だけが見つかり、これを葬ったので「ひれ墓」とも呼ばれています。


ちょっとワンポイント
宮内庁による陵墓指定・管理の古墳
あまり知られてはいませんが、日岡御陵の正式名は「景行天皇皇后日岡陵」という宮内庁指定の陵墓です。
これは「播磨国風土記」に記述がある印南別嬢(いなみのわきいらつめ)が、「日本書紀」に記された第12代景行天皇の后「稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)」にあたり、その墓が賀古郡の日岡にあるという記述があるためです。


この前ジョギング散策した「玉丘史跡公園」の玉丘古墳は古墳の丘陵まで入らせてもらい、感激しましたが、


ここは同じ前方後円墳といえどもレベルが違うようです


色々見てたら、もう17時前で夕日が没みます早く帰らねば…

と、上から見えたのは下の公園でなんだか、お祭り催し物をやってるみたい

コロナ禍でなかなか出来なかったイベントがぼちぼち始まり始めましたね

下の公園は、マルシェが開かれ、沢山の人で賑わってました


みんな、楽しそうです

日岡神社から入ってきてしまったので、入り口を通らず来ましたが、「ムサシオープンデパート」と題してこの日と次の日の2日間夜市が開かれてたそうです


このあと、暗闇の中、来た道を戻り、せっかく加古川に来たのだから


加古川名物かつめしを食べて帰りました。


お疲れ様でした








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