2021夏の青春18きっぷ-4日目(只見線)

夏休み前半から仲3日をおいての2021年8月13日(金)。2021夏の青春18きっぷ-4日目のスタートです。
しかし前半戦では最後台風に泣かされたというのに今回も大きな雨雲が九州や中国地方に連続して行進してくる状況の中、向かうは東日本とは言え無事に終わるのでしょうか。

金沢駅に到着すると改札前にはいきなりの脅し掲示板。まぁ七尾線はともかく東行きは大丈夫そうなので無事を祈りつつホームへ。
今日のスタートは金沢 6:52発 泊行き 472M AK15編成(521系0番台2次車)。
ここでアプリからJR西日本/東日本をそれぞれチェックしたら西日本は不安だらけな割に東日本は概ね平常運転とちと安心。
泊でいつものところてん式というか玉突きというかの乗換は 9:19発 1631D ET-122 K2編成。
1631Dは新井行きだけど私は直江津で信越線に乗り換えは 10:59発1331M A9編成(E129系100番台)。ホームでは北越急行とツーショットの並び。
この列車は長岡行きですが私は小出に行きたいので長岡のひとつ手前の宮内で乗り換え。青島は冨永愛効果か相変わらず並んでますなぁ。
宮内駅に入ってきたのは 12:38発 1734M…あれ?さっき乗ってきたのと同じA9編成じゃないですか。長岡折り返しだったんですね。
小出で念願の只見線に乗り換えは 13:15発 2424D 先頭車はキハ110ー135 2両目にキハ110ー214の2両編成。
かかしもお出迎えする只見駅に着くと皆足早に代行バスに乗り換え…考えてみればそりゃそうだこの先の不通区間を代行するんだからダイヤ的に連続でなきゃって事ですよね。
代行バスは2台の運行で先行車は不通区間の終わり会津川口へ直行、2台目は各駅停車と言うことで私は2台目へ。
車窓から不通区間の橋梁やスノーシェッドなど見ながら早く復旧しないかなと思いをはせるうちバスは会津塩沢に到着。ここでの目的は…。

会津塩沢での目的は河井継之助記念館。河井継の助は幕末の北越戊辰戦争で一度は陥落した長岡城を奪還直後に官軍に足を打たれ傷を負ったまま会津へ敗走。その途中ここ会津塩沢の村医である矢沢宗益の家にて治療を試みたものの、ついには命を落としました。
この記念館はダム湖の底に沈む運命となった矢沢宗益の家から終焉の間となった三間続き部分をそっくり館内に移築して他に関連の資料を展示しています。
この日は本来付かないガイドさん(目黒さん)が付いてくれて展示物各点や時代背景等々の説明をしてもらい、司馬遼太郎の峠を読むだけでは解らないような幾多の出来事など知ることが出来ました。
また只見町の文化財調査委員の飯塚恒夫氏による「河井継之助 最後の12日間」なる資料を頂きその中の代官丹羽族(やから)と農民の食糧供出の話はもうひとつの米百俵とも言えるべき話と思いました。
代官である丹羽が当時290戸余りの只見村に25千余名分もの河井継之助他の長岡からの難民に対する食料の供出を領民にお願いしても、当然難色を示します。
そこで丹羽族は難民救済の責任を果たせなかったふがいなさを自刃を選んだ事を領民が知ると、そこまで思い悩んだかと哀れに思い来年の種籾まで含む米などの供出が得られたとあります。
長岡人は只見の人にどれだけ感謝しても足りないでしょう。まさにもうひとつの米百俵です。
…って、先日の牛久保訪問に続いて越後長岡藩づいてるな。

見学を終え会津塩沢の停留所に戻り只見駅へのバスを待っていると…やってきたのは再び先ほどのバス&女性ドライバー!
なんか今日は折り返しの同じものに乗ることが多いな…と思いながら会津川口まで向かうバスの待ち時間に只見付近の鉄道施設を見学。
時間となり会津川口に向かうバスに乗り込んだらなんと!みたび同じバス&女性ドライバー!

ともあれバスは会津川口に着きここからは再び只見線運行区間。
会津若松行きは 19:09発 434D (キハ E120)、そしてなんとなんと乗客は私一人の貸し切り状態。一体これのどこが「密が危惧される」なんでしょうね。(笑)
定刻通り会津若松に到着、向かい側のホームには明日乗る会津鉄道の車両が。そして会津の夜は更けていく。

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