「障害」という繊細かつ難しいテーマに真っ向から取り組んだ、田畑精一さん渾身の力作。
主人公は手に障害を持つ女の子、さっちゃんです。
実際にさっちゃんと同じ障害を持つ方やその家族達の願いと想いも込められ、出版から35年以上経つ今も、大切に読み継がれているロングセラーですよ。
読み聞かせであんまり重い話は……と尻込みする方もいらっしゃるかもしれませんが、さっちゃんの希望に満ちた元気いっぱいの姿で締めくくられるラストは、晴れやかな読後感です。
障害を受け入れ、日常の一部として生きていくさっちゃん。
幼稚園に通うさっちゃんが自らの障害と向き合う姿に、この絵本を読む子供達は何を感じ取れる事ができるのか……。
特に物語への理解度が進んだ年長さんや小学校低学年の子供達へ、読み聞かせてみてくださいね。
簡単なあらすじ
もうすぐ、さっちゃんには弟が生まれます。
さっちゃんもいつかはおかあさんになりたい!
幼稚園のままごと遊びで、今日こそはおかあさん役をする、と張り切るさっちゃん。
でも、おかあさん役を取られたくないまりちゃんが否定します。
さっちゃんは手がないから、おかあさんにはなれない!
喧嘩して幼稚園を飛び出したさっちゃんは、家に駆け戻って、お母さんに問いかけます。
どうして、自分の手はみんなと違うの?
どうして、皆と同じような指がないの……?
絵本の紹介
さっちゃんの右手には指がない
さっちゃんは生まれつき右手に指がありません。
先天性四肢障害と呼ばれる、四肢の欠損または形成不全による症状が原因。
絵本では最初、さっちゃんの右手に指がないと気づきにくい構図がわざと採用されています。
洋服や身体で手が隠れていたり、握りこぶしを握っているように見えたり……でも、実際には握りこぶしではなく、5本の指がない状態。
さっちゃんがお母さんに問いかける時、この絵本では指のない手を初めて真正面から、絵と文章の両方で描くのです。
まりちゃんから浴びせられた言葉により、人とは違う自分に幼くして向き合うさっちゃん。
周りの子達もまりちゃんの言葉に同調し、変だと言い募ったり、知らんぷりしたり。
子供は正直で、そして、その正直さは時に残酷ですね。
言葉が人の心を傷つける刃になると思い至らないほど幼い彼女達には、悪気も深い考えもありません。
けれど、その言葉はさっちゃんに深く刺さります。
さっちゃんにとっては、指のない手が自分の手。
それは当たり前の事なのに、友達が、周囲がそれを当たり前とは認めない……容赦なく異物として弾かれる姿は衝撃的です。
絵本の冒頭、読者にとっても、さっちゃん自身にとっても、さっちゃんはごく普通の元気な女の子でした。
それがたった一言で、女の子は「普通」から弾かれる。
さっちゃんに「障害」というラベルが張られ、読者の認識が塗り替えられるようとする瞬間、さっちゃんの憤りと悲しみが、障害との関わり方を鋭く問いかけてきます。
障害がある子は変?
障害がある子はなりたい未来を諦めなければいけないの?
知識のない子供はともかく、既に障害についての知識や先入観がある場合には、こちらの心の中を覗かれたように、ドキッとするかも……。
お母さんがさっちゃんに「なぜ自分の手は人と違うのか」と鋭く問われ、その小さな手を握りしめながら、子供にもわかりやすいように障害の事実を隠さずに告げる場面。
それでもさっちゃんの手はお母さんの可愛い手なのだと懸命に語りかける姿は、同じ母として胸に迫るものがあり、読み聞かせる私もついつい涙声……。
ずっと指のない右手のままだという現実に納得できないさっちゃんの涙は、胸に迫ります。
どうにかしてあげたくても、どうにもできない。
さっちゃんがお母さんにとって可愛い大事な宝物である事には変わりないのに、それだけでは、さっちゃんの心は満たされないのです。
さっちゃんの泣き顔を見るのが辛い……!
魔法の手という認識の変化
すっかり元気を無くしたさっちゃんですが、その心は少しずつ癒えていきます。
弟という新しい命の誕生・友達からの不器用な謝罪・幼稚園の先生の訪問。
周りとの関わりを通して、さっちゃんは右手にが指がなくても関係ない、揺るぐ事のない自分の居場所があると確認していったのでしょうね。
何よりも大きなきっかけは、お父さんの言葉。
「それにね さちこ、こうして さちこと てを つないで あるいていると
とっても ふしぎな ちからが さちこのてから やってきて、
おとうさんのからだ いっぱいに なるんだ。
さちこのては まるで まほうのてだね。」
(引用元:偕成社 田畑精一・先天性四肢障害児父母の会・のべあきこ・しざわさよこ『さっちゃんのまほうのて』1985年出版)
お父さんの愛情のこもった言葉は、さっちゃんの心に届きました。
お父さんにとっては、さっちゃんの手に指があろうとなかろうと、可愛い娘の手が不思議な力をくれる魔法の手である事に変わりはなかったでしょう。
けれど、さっちゃんにとっては、自分の右手を変な手ではなく、魔法の手として認識を改める事で、障害をありのままに受け入れる契機となったのです。
障害という現実は変わらない、けれど、障害をどう捉えるかという認識は変えられる。
他者から張られるラベルなんて関係ない。
自分や自分の大切な人が思う通りに思えばいい。
さっちゃんの右手は変な手ではなく、お父さんお母さんの可愛い大事な魔法の手。
障害という事実に初めて向き合い乗り越えたさっちゃんは、もう傷ついた女の子ではありません。
最後、ジャングルジムを登るさっちゃんのパワフルな姿には、ホッとしますよ。
絵本制作の経緯
それにしても、35年以上も前に、よくぞこの難しい題材へ真摯に向き合って絵本化してくれました。
パラリンピックへの注目度が上がった現在でも、障害に対する理解が一般に浸透しているかと問われれば、首を傾げざるを得ません。
恥ずかしながらも、私自身、知ったふり、わかったふり……。
ましてや、35年以上前といえば、障害を持つ者と持たざる者の断絶は今よりも更に深い時代。
SNSやネットなどの情報収集手段もないですから、家族会の活動はあっても、そこへたどり着く道は細く、外部へ開かれていたとは言い難かったでしょう。
バリアフリーですら、1980年代前半になって、国を挙げての取り組みがやっと始まったくらいですからね。
出版当時、障害への考え方のターニングポイントを社会的に迎えていた頃とはいえ、障害を子供が読む絵本のテーマに選ぶというのは、相当に気合が必要な決断だったのではないでしょうか。
この絵本は、先天性四肢障害児父母の会の依頼で作られた、絵本作家田畑精一さんとの共同制作の作品です。
障害を持つ子供自身、そして周囲へ障害をどう伝えるか。
その務めを果たせる絵本を描きあげるまでの苦労は相当なものだったそうですよ。
先天性四肢障害を持つ子供の母であり、父母の会創設者の野辺明子さんが、自らの体験を元に原稿を書き、先天性四肢障害を実際に持つ志沢小夜子さんからのアドバイスを取り込み、それを田畑精一さんが絵本として落とし込んでいく……。
たった40ページの絵本の制作にかかった時間は、なんと5年です。
それぞれの方がどれほど悩んで七転八倒したか、想像できますね。
でも、その甲斐あって、この絵本は本当に素晴らしい、子供達が障害を考えられる絵本になった訳です。
ストーリーには、障害に直面する本人と家族達のリアルな息吹が吹き込まれています。
さっちゃんの手を変と言い放ったまりちゃんが反省して謝罪する、なんてご都合展開はなし。
障害が何かの役に立つ、障害があった上での成功体験、といった展開もなし。
この絵本は、非常に生々しく、現実的です。
それでいて、希望に満ちた結末。
その希望の出どころが自らの認識そのものという点に、綺麗事ではない確かな説得力があるんですよね。
子供の姿をダイナミックに、感情表現は繊細に描く田畑精一さんについては、代表作『おしいれのぼうけん』でもご存じの方がいらっしゃるかも。
この絵本でも田畑精一さんの手腕は惜しみなく発揮されています。
溌溂としたさっちゃんと周りの人々の心の動きを繊細に映し出していて、絵だけを見ても人間ドラマそのもの。
目を吊り上げて糾弾するかのようなまりちゃんから、手を庇うように後ろへ回すさっちゃん。
指がない理由を問う小さな娘を、大きなお腹も構わずに抱き寄せるお母さん。
自分とは違う、指が揃った両手を挙げて眠る弟を見つめるさっちゃんの横顔。
着替えを準備し、友達から貰ったチョコを眺めながら、布団の中で明日を心待ちにするさっちゃん。
どの絵も、表情や仕草全てに込められた細やかな感情表現がすごい!
表紙の涙するさっちゃんの顔……こんな複雑な思いが交差する表情を子供にさせる絵本って、他にあったかな……。
ちなみに、先天性四肢障害児父母の会では、毎年各地で『さっちゃんのまほうのて』原画展を開催しています。
田畑精一さんは2020年に亡くなられましたが、この絵本に関わった全ての人の想いと情熱を込めた原画が、今でも多くの人にさっちゃんの話を伝え、日本中にいるさっちゃん達を力づけている事に、心から敬意を表したいですね。
原画展を目にする機会がありましたら、皆様もどうぞ足を延ばしてみてください。
我が家の読み聞かせ
我が家の息子達、最初はさっちゃんの手について、不思議そうな顔をしました。
長男5歳・次男3歳の頃だったでしょうか。
長男から「ゆびがない子がいるの?」と質問をされたのを覚えています。
絵本の中の、生まれつき指がない子もいるというくだりを読んで、そういうものかとすぐに納得。
今は7歳と5歳になった2人、さっちゃんの手を見ても「珍しいけど、よくある事」と受け止めているようです。
子供で、余計な先入観がないから、受け入れやすいのかも?
息子達が大人になった時、どういう思考をするようになっているか、は未知数。
私も長男も次男も、それぞれ違う人間ですから、考え方も違うのは当然です。
けれど、できれば、この絵本を読んだ経験が実を結んでほしいな、と願っているのです。
本人の努力ではどうにもならない生まれつきのものにラベルを張って除外するのではなく、フラットな見方をできるようになってくれた、嬉しいなー。
その為にも、私も自分にできる事や一緒に学べる事を探して考えていかなければなりませんね。
さっちゃんの絵本はスタート地点かな!
まとめ
障害を持つ子にとっては力になってくれる絵本、障害を持たぬ子にとっては障害について知る絵本として、オススメの1冊です。
先天性四肢障害のみならず、全ての障害にも通じる要素がある絵本ですから、この絵本を読んだ経験はきっと子供にとっての財産になるはず。
障害について、知っておくのに、遅いという事はありません。
無知は理解を阻みます。
断絶を選ぶのではなく、自分には関係ないと切り捨てるのではなく、あるがままを受け入れて理解していく為にも、『さっちゃんのまほうのて』を読んで、一緒に考えてみませんか?
作品情報
- 題 名 さっちゃんのまほうのて
- 作 者 田畑精一・先天性四肢障害児父母の会・野辺明子・志沢小夜子
- 出版社 偕成社
- 出版年 1985年
- 税込価格 1,320円
- ページ数 40ページ
- 対象年齢 5歳から
- 我が家で主に読んでいた年齢 5~7歳(先入観のない年齢に読むべし)