風浪宮、参拝してみた【勅命社ってご存知ですか?】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

お久しぶりです私です。
 
また一ヶ月空いてしまいましたねガーン
 
気づけば令和三年もあと1/4になって、また気づけば年末なんだろうなぁと
 
切なくなってきました。
 
まぁ個人的には『月姫』リメイク発売したので今年終わっていいです。
 
 
なんなら今年終わる前にゲームクリア目指します。
 
何年待たされたことか・・・ムキー
 
 
さて、今回の神社の紹介に参りましょうか。
 
ちなみに『月姫』は全く関係ないです。
 
県社 風浪宮
 

 

神社鎮座地:福岡県大川市大字酒見

 

神社御祭神(以下六柱)

・表津小童命(うわつわだつみのみこと)

・中津小童命(なかつわだつみのみこと)
・底津小童命(そこつわだつみのみこと)
・息長垂姫命(おきながたらしひめのみこと)
・住吉大神(すみよしおおかみ)
・高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)

  


神社社格:県社(明治)→別表神社(神社本庁)

 

神社御朱印:あり✨

 

神社公式サイト:風浪宮 公式HP


ということで今回は大川市の風浪宮です。

 

わたし現在神社巡りの一つに「〇〇宮」ってつく神社の御朱印だけを集めてるんですが、

 

この神社もその一環で訪れました。

 

なので実際行ってみたら歴史的に深い神社で驚きましたね。

 

 

 

こちらが由緒書きです。第14代仲哀天皇妃の神功皇后様が命じて建てたお宮です。

 

そのため神社によると創建は192年!!もう紀元前が見えてます。

 

三韓征伐からご帰還なされた神功皇后様がこの地に立ち寄られたときに現れた白鳥が海神さまのお使いだと感じ、



 

その白鳥が飛び立ち留まったところに志賀海神社の神主家と同じ一族の

 

「安曇磯良丸」に神主として神社を建てさせました波

 

ちなみに由緒がきの看板の左端の社名の上に「勅命社」とあります。

 

私も今までの神社巡りの中でこのような社格は初めてみましたが、

 

神主さんに聞くと、九州には多くある神功皇后ゆかりの神社の中で、

 

皇后様が直々に立てるよう命じた神社であることからそう名乗っているそうですキラキラ

 

 

 

手水舎なんですが、面白い形態を取ってます。

 

なんと石鉢じゃなくて水が溝を通って流れている仕組みになっていますハッ

 

コロナ対策なのか前からなのかはわかりませんが、

 

この仕組みなら両手空くので洗いやすいですね。

 

 

 

こちらは祇園社です。

 

まさしく今の時期には参拝必須でしょうね。

 

しっかりとお参りしておきました。

 

はぁ・・・いつになったらコロナ治まって遠出できるのかガーン

 

 

 

こちら隋身門です。朱の屋根と白い壁がよく映えますね



 

間の橋の下は堀になっており、鯉が泳いでます。

 

 

 

そして随身門に提げられているこの芸術的なナニカ!

 

下の看板のとおり、大組子絵馬です!(そのまんま)

 

ちなみに組子というのは日本の伝統工芸で、

 

釘を使わずに細い木の桟を幾何学の文様にに組み合わせる技法のことです。

 

日本家屋の欄間にあるそうですが、実物は見たことありません。庶民なんで!!!!

 

 

 

こちらが拝殿です🙏

 

うわぁ空が超どんより!!何があったし。

 

確か行ったのが梅雨時だったからですね(名推理)

 

 

 

風浪宮の本殿は永禄三年(1560年)に再建されたものが現存しており、

 

戦前には国宝、現在は国の重要文化財に指定されているほど、

 

歴史的価値の高いものですキラキラ

 

この由緒がきには福岡県下の旧国宝指定の社寺建築として他に、

 

英彦山神宮、宗像大社、太宰府天満宮が挙げられており、

 

軒を連ねる神社が有名どころばかりです。

 

しかしこの風浪宮も負けていません。

 

明治からの近代社格制度では県社に列格していますが、

 

戦後には別表神社に指定されていますラブラブ

 

 

 

こちらは先ほど出てきた神功皇后さまにこの神社の神職を命じられた、

 

安曇磯良丸像です。

 

ちなみに現在船に「〜丸」とつけるのはこの方が発祥なんだそうですよ。

 

ちなみに私の中で印象に残っている船名は「つれたか丸」ですねニヤリ

 

 

 

拝殿の天井に取り付けられているこの十二支を象った意匠。

 

昔十二支は羅針盤、ないし方角を決める物にも使われており、

 

海上安全や、航海安全、大量満足の御神徳のある神社であるため、

 

この羅針盤チックになっているのだと思われます。

 

 

 

本殿は三間社流造で、複数の神座を持つ建築様式なので一番よく見ますね。

 

福岡の神社は割と流造や、権現造、入母屋造が多かったイメージですね。

 

平成三十年には一度修繕されているようです。

 

 

 

この御神木は白鷺の楠と呼ばれるもので、



前述した神功皇后さまの前に現れた白鳥が止まった楠とされています。


つまりは、この神社が建つ前からこの地を見守ってきた、まさしく御神木と呼ぶに相応しい歴史を持ちます。


楠といえば太く縦に長いイメージですが、この大楠は幹が太く、縦より横に広がっています。


現在は国の天然記念物に指定されています。




 

その向かいの楼門裏の回廊には屋久杉に彫られた七福神や、



9頭の龍や、


虎たちの彫刻があります。


こういうのたまに見ますけど凄いですよね。


岩じゃなくて木に彫ってる時点でよく割れないなって。   




多分そういう削り方とかあるとは思うんですけど、


しかも屋久杉…かなりの崇敬のある方が奉納なされたんでしょうね。



 

本殿裏には笹林が。


石の玉垣に囲まれて何やら意味深な雰囲気が…七夕



 
こちらは末社の月読神社です。


月読神社だとやはり伊勢の神宮の月読宮、月夜見宮などのように天照大御神さまとともにあるイメージですが、

実は九州地方は月読神社と由縁が深いですお月様


全ての月読神社の元宮は壱岐国にありますし、


鹿児島にも月読神社が複数ありますお月様


そしてなぜか眼病平癒のご神徳があるそうです。

 月姫要素はこの辺くらいですかね。

「月」読みだし、直死の魔眼を眼病平癒する感じで…


いやむりだな😓
 
これはお稲荷さんですね。お名前は岩藤稲荷社と書かれています。


最近知り合った方でお稲荷さん好き、というかお狐さんマニアの方がおりまして、


ほんとに勉強させてもらってます。


コロナ明けたらぜひ飲みに行きたいですね。


 
 
こっちもお稲荷さんです。名前は松風稲荷。

おそらく近所にあった小さな神社を境内に遷座したんでしょうね。

 この二社のお稲荷さんは、筑後国十社稲荷の一つに数えられているそうです。

残り8社は一体どこなんでしょう…びっくり


 
こちらは梅之宮。木花咲耶姫命さまを祀っており、


良縁成就、恋愛成就のご神徳があります。

しっかり祈っておきました✨


そしてみなさん、この梅之宮の写真、なにか違和感がありませんか?


具体的には正面にかかっている紙垂とか。





 
 
アップするとこんな感じ。よくある稲妻型じゃなくて、

シンメトリーに折られた形をしています。

現在の主な神社の紙垂には吉田流、白川流、伊勢流の三種類がありますが、


その中でも伊勢流にとてもよく似ていますが、

唯一の違いはシンメトリーに折られた紙垂の先が二つに割れていることですキラキラ

どの流派でも紙垂の先が割れているものはありません。

わたしも初めて見ました。そして気になりました。


なので神主さんに聞いてきました!


これは風浪宮のHPの右隅にある社名のロゴですが、

左のマークはこの神社の社紋です。

の三つの丸はそれぞれ航海に必要な星星、太陽晴れ、月お月様を表しているそうで、


どうやら先程の紙垂もこの社紋を形作っているそうです。

ちなみに神主さんは伊勢流の紙垂についてはご存知でした。

しかしそのうえで出自は違うと仰っていました。

なかなか面白いですね。


なんならこれだけで今日この参拝の取れ高充分になりましたニヤリ

 
 

 
 
こちらの五重の塔は正平十年(1355年)の作品で、


本殿と同じく旧国宝、現在は国の重要文化財に指定されています。

なんなら本殿より古いです。


神功皇后による創建という立派な創建由緒を持ち、


現在も別表神社に指定されるほど福岡でも名社に入りますが、

意外にも『延喜式』神名帳には記載されていません。

はやりこの五重の塔があるように、もともとはお寺の管轄に入っていたからかもしれませんね。



 
 
こちらの虎の像は、神功皇后さまの前に現れた白鳥が、

出会った場所から艮(北東)の方角に飛び去り、この地に降り立ったことから、


鬼門を守る虎が建てられていますトラ


先程の屋久杉も同じ理由でしょうね。

あとは毘沙門天の神使あたるのでその縁もありそうですね。

 


そして鳥居前の道を挟んだ向かい側には大きな公園があり、


その入り口にお社がありました。

これは磯良丸神社で、名前の通り初代神主の安曇磯良丸さんを祀ります。

現在は初代から数えて現在の宮司さんで67代を数えるそうです。なんて歴史だ…アセアセ

そしてこのお社の横に「磯良塚」があり、本当に磯良丸さんが眠っています。


しかも首長墓としては最大級なんだそうです。


そして一番の見どころは、

幼稚園の敷地内にあることですハッ

なので近くまで行けません。残念…


そして現在、おふろうさんは本殿奥に新たに百年の杜という自然公園を整備する事業を進めています。


実際裏手が既に整備のため整地されていましたが、


かなり広めに取られています。


いやぁまだ完成までかなりかかりそうですが、楽しみですね。


というか、さっきの磯良丸神社さんの側にある風浪宮外苑の大川公園もかなり広そうなのに、


それに匹敵する公園を建てようとするなんて…


しかもこの大川公園、時間の都合で行かなかったんですが、


奥に風浪宮の下宮があったそうです。


もったいねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!ガーン

しかももともと上下宮に分かれてたのも後で知りました…また行くしかねえ。


あとがき



というわけでいかがだったでしょうか。

久しぶりに書きましたが、疲れましたね。


前までのノリどんなんだったか思い出せなかったので今回もその場のノリで書いてますアセアセ


読みにくかったらすみません。


そういや実家からヒガンバナ咲いたで連絡が来ました。


未だに白い彼岸花植えたのに赤しか咲かない謎が解けないです。



それでは今回はこの辺で筆を置きたいと思います。


来週は…頑張って書いてみますね。

何卒よろしくお願いします。


それではまた次回!バイバイ

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