シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

愛と肯定のことばは パンのようなもの

       昭和記念公園にて撮影 節分草

 まったく抵抗もなく、心地よく延々と会話が弾む人がいる一方で、

言葉は穏やかでも、どことなく言い方に険のある人がいます。相性の

問題もあるでしょうが、せっかく会話をするなら楽しい方が良いですね。

 

 人と対話をする時、Noと言われるよりはYesと言われる方が

良いラリーが続きます。しかし、実際にそれはありえないことです。

誰にでも今まで生きてきた背景があるわけだし、それぞれの価値観が

違うわけですから。

 それでもあえて私は、「そうね」と相づちを返すのは、良いことだと

思っています。まったく違う考え方だったとしても、いったん「そうね」と

受け留めることで、きっとその場は和むでしょう。会話はキャッチボールの

ようなものですから、「え? そうかなあ?」とか「いや、違うでしょ」と

いったリアクションでは、せっかくのラリーが中断してしまいます。

 

そうね、私はこう思うけど、そういう考えもあるよね」

やんわりと、また丁寧に自分が考えていることを伝えるなら、会話は

スムーズにつながるはずです。反射的に口から出ることばや相づちには、

その人の人間性が透けて見えることがあります。とっさに出ることば、

よくよく慎重に発したいものです。

 

「そうね」という一言には、「相手の存在を肯定する愛」が含まれています。

その人との関係を、もっと深いものに育んでいくために必要な栄養素。

そんな働きをしてくれる一言のような気がします。会話をする時、いつも

心がけておきたい「合いの手」かもしれませんね。

 

 愛と肯定の言葉は、パンのようなものです。

 それを私たちは毎日、繰り返し必要としています。

 愛と肯定の言葉は、私たちを内側から生かしてくれます。

    ヘンリー・ナウエン著『今日のパン、明日の糧』より