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〜かたることばが歌になる風になる〜

歌曲「曼殊沙華(彼岸花)」

そろそろ時期が終わりそうな「彼岸花(曼殊沙華)」
関西では今盛りの所も多く、我が家でも植えた記憶が無いのに
毎年必ずお彼岸の頃に、それまで何の兆しもないのに
気が付くとニョキっと突然細い茎が伸びてきて
あっという間に開花します。

北原白秋が、福岡柳川で過ごした幼少期の懐旧の情を綴った
「思ひ出」という詩集に「曼殊沙華」は収められています。

この詩には、3つぐらい解釈があるそうで
一つは「子供を亡くした女性のうた」二つ目は「堕胎した女性のうた」
三つめは「白秋の初恋の記憶」だとか。

二つ目の解釈にあるように、私も、どこでいつそんなことを聞いたのか
「彼岸花」「堕胎薬」の元になる毒を有していて
昔はそれに用いられたらしいと言う説と、
最後の「まだ七つ」というフレーズから
「子供を亡くした女性」というのも想像して
短調の曲調から、いつも何か薄暗い影を感じながら聴いてしまいます。
どなたかが「【堕胎薬】という認識から
女の愚かさ、人間のあさましさとは隔絶して凛と咲く
赤い曼珠沙華の存在感とを対比させた詩」だとも書いておられました。

この詩の冒頭の「ゴンシャン」とは、ご存じの方も多いですが
柳川に於ける地域で言う「良家の令嬢」の意味だそうですが
三つ目の解釈にあるように
白秋が7歳の頃出会った初恋の女性を思う
抒情溢れる切ない高尚な歌曲として歌いたい作品です。

以上のように詩の解釈は色々ですが
言葉のイントネーションに忠実に音をつけられた
山田耕筰氏の作品でソロで歌われる声楽家も多い名曲。
「女声合唱団風」では2006年に
林光さん編曲の「日本抒情歌曲集」の1曲として歌いました。
この曲のステージの録音をまたアップします。
コーラスの後奏最後、5度の和音は、空虚な雰囲気を醸し出していて
お寺の鐘を撞いて、徐々に消えていく音と、一番最後のアルペジョは
さらにこの歌の持つ、背景に秘密めいたものを想像させる余韻が残ります。

このステージは、私がピアノ伴奏をした思い出の曲ですが
母校の初代学部長でもあられた山田耕筰氏の作品は、
いつ聴いても、演奏しても、やはり秀逸です。
ごんしゃん 何処へゆく
赤い御墓の ひがんばな(曼珠沙華)  ひがんばな
今日も手折りに 来たわいな
ごんしゃん 何本か
地には七本 血のように 血のように
ちょうどあの児の 年の数
ごんしゃん 気をつけな
ひとつ摘んでも 日は真昼 日は真昼
ひとつあとから またひらく
ごんしゃん なし(何故)泣くろ
何時まで取っても 曼珠沙華 曼珠沙華
恐(こわ)や 赤しや まだ七つ

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

コメント一覧

chorus-kaze
maruttiさん
ありがとうございます。
ソロとして歌われているのも素敵ですよね。
林光さん編曲の「日本抒情歌曲集」からコンサートで演奏したのは
他に「この道」「早春譜」「かやの木山の」「待ちぼうけ」「ゴンドラの唄」です。
以前にもアップしていますが、また再度掲載したいと思います。
marutti
アッコさん、曲のアップありがとうございます。
この歌曲好きなんですが、合唱も素敵ですね。さすが「風」さんです💕
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